父親との思い出 page 1
癌という病気は誰でも発症する可能性があります。
国立がん研究センターの統計によると、最新統計の2019年に新たに診断されたがん患者数は999,075名だという事です。
そのうち男性患者の1位が前立腺がん、女性患者の1位が乳がんだそうです。
5年生存率をみても、前立腺がんは非常に生存率が高い事が分かります。
99.1%の確率で5年後も生存しているという事で、100人の患者がいたら、99人は生存しているという事ですね。
10年生存率を見てみましょう。
前立腺がんは78.0%の生存率です。
しかし、適切な治療を行っているか否かで、この確率は変わってくるかも知れません。
詳細には覚えていないのですが、今から8年程前でしたかね。
確か健康診断か何かだったか、よくは覚えていないのですが、父が母と共に病院へ行って帰ってきた時に、「言っておかないといけないんだけど、癌があるんだって」と突然の報告を受けました。
その頃はまだ実家で一緒に暮らしていましたので。
手術は!?手術したら大丈夫なんだろ!?
と聞きました。
ところが父は、手術はしないと笑っていました。
ショックというかなんというか、全身がゾワゾワする感じでした。
いつもそうなるのですが、不安な事が起きるとすぐ体中がゾワゾワして、血の気が引くような感じになります。
そして僕は暫くおかしくなってしまいました。
軽い鬱ですね。
ガン宣告は、がん患者本人だけでなく、家族へもズドンと重いものが伸し掛ります。
これは誰にも言いませんでしたが。
父は随分昔から背中に地図があるかのような湿疹があり、皮膚科へ行っても何だか分からず、ずっとステロイドを塗っていました。
後に分かったのが、そういう湿疹もがんの症状の一つだと言われたそうです。
がんの大きさからしても、30代くらいから発病していたのではないかと言われたそうです。
父が30代というと、僕がまだ小学生くらいの時です。
そこからずっと放置というか、発覚しなかったのです。
なので、亡くなるまで約30年近くは前立腺がんが存在したという事になります。
そのうち療養を行ったのは最後の7年から8年間でした。
なので、お前も遺伝があるんだからPSA検査はやれと、ずっと言われていました。
癌が発覚してから暫くは、本当に癌なのか?というような、普通に仕事をして、普通に生活をしていました。
父は最初から手術も化学療法もするつもりは無かったのです。
どこか他人事のような、自分の身に起きている事だとは思っていなかったのかも知れません。
それもそうです。
至って元気でしたから。
なので亡くなるまで一度も、手術も放射線も抗がん剤もやりませんでした。
凄く頑固でした。。。
恐らく初期の段階だったら手術も出来たはずですが、僕には「もう手術出来ないんだって」と嘘をつきました。
しかし本人が決めた事なので、無理強いは出来ませんでした。
僕としては適切な治療を受けて欲しい気持ちはありました。
ただ、色々なブログを見ている内に怖くなったのか、生検をやった途端にがんがあちこちに散らばって、みんなすぐ死んじゃってるとか、すぐ転移しちゃってるとか、そういう話をするようになりました。
なので、民間療法を選択しました。
調べては色々試していました。
正直、本人は良かったかも知れませんが、母は大変だったと思います。
そもそも手術も抗がん剤もやらなければガン保険に入っている意味もありませんから。
しかし本人が民間療法を望むので、僕もありとあらゆる事を調べて、サプリも沢山買いました。
page 2 へ続く