父との思い出 リブログ”復活へのひとしごとを終えて” | SATANS KITTENS

父との思い出 リブログ”復活へのひとしごとを終えて”

皆様、花杵庵のブログをお読みになって頂いた方もいらっしゃるかと思います。

自分はこのブログを書いていた花杵庵の息子でございます。
突然ではございますが、今月の22日に父は永眠致しました。
神道や仏教、癌を患ってからは癌関連のブログをお読み頂いた方もいらっしゃるかと思います。
本人のブログで散々、道楽息子と言われ続けたのは自分です。

※以後、病状や当時の状態などを含みます為、ご注意下さい。
これは自分自身の気持ちの整理の為にも書いている部分もあるので。



今月11日に自宅にて転倒してしまい、その時にはもう手足が動かなくなっていた様です。
自分はあまり詳しくは無いのですが、どうやら頚椎に転移していた癌がいよいよ脊髄や頚髄を圧迫してしまったようで、完全に手足が動かなくなりました。

それまでも、手足が痺れたり力が入らなかったり、最後はペットボトルのキャップも回せず、食事をしようにも箸やスプーンを口まで持っていく事すら出来なくなっていたようです。

そして17日の日曜日に母からLINEで、呼吸が出来ないとの事で病院へ救急搬送された事を知らされました。
それが夜中の3時頃です。
通知音が鳴らなかったせいで、気付いたのは6時くらいでした。
急いで病院へ行こうと思いましたが、結局コロナ対策のせいで、行ったとしても面会謝絶で誰も本人には会えないという事でした。

2日後の19日に父は自宅へ帰ってきました。
本人の希望でした。
病院でも、もう手の施しようが無かったようです。

その日に会いに行きましたが、医療用麻薬のせいなのか何なのか、言葉も喋れず、目はあちこちに動かしている状態で、起きれば「痛い、痛い」と言葉にならない言葉を言い続けていました。
それは本当に辛い光景でした。
半分でもいいので、痛みと苦しみを分けて欲しかったくらいでした。

そして3日後の22日の16時に父は旅立ちました。

外に出ると目の前には夕陽に照らされた富士山が綺麗でした。

なんという天気なんだよ!と泣きたい気持ちを抑えるのに必死でしたね。


これが最後の数週間の話です。

もう癌の末期患者でした。

前立腺癌は進行が緩やかといっても、死に至る病気である事に違いありません。

これは僕が身をもって経験した、遺族としての話です。


最終的にはPSA値が9,000を超えていたという事です。

僕も父に言われて毎年検査をしていますが、1.3という数値なので、9,000などという数値が如何に悪い数値なのかがよく分かります。


これから、父との事についてのブログが続くと思いますが、自分の中の気持ちを昇華させる為にも書くので、もし読んで頂けるという方がいらっしゃいましたら、気分を害される部分もあるかも知れません。


今後ともどうぞ宜しくお願い致します。