松崎丈「鉛頭一割」

松崎丈「鉛頭一割」

140字では綴れないことをつれづれに。

2020年1月24日(金)

Brand Blend #2

『ダイナマイト佐竹くん.』

『あの釣り堀の日にはもう』

『僕は作詞家になりたい』

新中野Waniz Hall

 

 

 ゆうや氏のご紹介で新中野WanizHallにふたり芝居×3作品のオムニバス公演へ。

 それぞれの作品がおよそ30分ほどの短編。

 短編の戯曲をいままでほとんど書いたことのない自分としては、勉強させていただく気持ちで劇場へ向かいました。

 

 少し早めに着いたので、WanizHallの近くにある「珈琲や」さんへ。

 所狭しと並ぶさまざまな種類のコーヒー豆は壮観。店内にはコーヒーを焙煎するとても良い香りが。

 

 

 

 最近はどこもかしこも禁煙で、スモーカーの僕としてはちょっと辛いのです。

 特にコーヒーと煙草は、個人的にはベストマッチですから。

 しかしそんなことが気にならないくらい素敵な店構え、そして何しろコーヒーが美味い!

 エチオピアをオーダーしたのですが、提供までそこそこ時間がかかりました。

 それは一杯ずつ丁寧にドリップしてくれているから。

 一口すすっただけで幸せの香りと味が満腔に溢れます。

 

 

 

 ほっこりしたところでWanizHallへ。

 うっかりすると見落としてしまいそうですが、劇場HPに掲載されているマップが簡にして要を得ているので迷子にならずたどり着くことができました。

 

 

 

 階段を下りて場内に入ると、これがまた何とも素敵な空間なんでございますよ。

 ニューヨークにいるころ、こんな感じのライブホールに行ってスタンドアップコメディなんぞを楽しんだことを思い出しました。

 

 セットも照明も最小限、ここで繰り広げられるふたり芝居は役者さんの力量がもろに試されるだろうなあと思いつつ、開演を待っておりました。開演を待っている時間ってのは本当にワクワクします。ましてこんな素敵な空間ならなおのこと。

 

 1本目の『ダイナマイト佐竹くん』

 ナンセンス感満載のオープニング、畳みかけられるオーバーアクティング。

 このままコントタッチで奇想天外なエンディングに向かうのかなあと思っていると……。

 クリエイターならずともぶち当たらざるを得ないような、現実世界のシビアな側面が、チクリと刺すような箴言で表現され出して「おや?」と思い始め、そんな観る側の心の移り変わりを見透かしたように劇中に溢れ始める、優しい、あまりにも優しいペーソス。

 不器用だっていい、上手くいかなくたっていい。そんな自分を無理に肯定しなくてもいいけれども、でもそっと受け止めてやることから、自分なりの幸せ探しが始まるんじゃないか。

 不惑を迎えてもまだまだ惑いっぱなしの僕だけど、そんな僕の方を「トン」と叩いてくれるような優しさを感じる作品だった。

 

 3本目の『僕は作詞家になりたい』にも『ダイナマイト佐竹くん』と通じる優しを感じた。

 作詞家志望の青年の暑苦しいまでの真っすぐさ、演じているたつみげんきさんのシュッとした感じとのコントラストが面白い。

 その暑苦しさを受けて立つレコード会社の社員女性を演じた土田有希さんも秀逸。自分自身も何かを諦めざる得なかった人間だからこそ持っている包容力のようなものがしみじみ伝わってきました。手袋の伏線の回収も良く出来ているなあと感心してしまいました。あの手袋を外すときの決然とした感じ、良かったなあ。役者の力量というのは、ああいう仕草にこそ現れるんだなあ、とまたしてもしみじみ。

 

 2本目の『あの釣り堀の日にはもう』

 これねえ、困りますよ。。。まだ1月ですよ、今年始まったばかりですよ。

 このタイミングでこんなすごいの見ると、この先の11か月、僕はずっとこの作品を基準に芝居の良し悪しを考えちゃいますよ。そしてこの作品に匹敵するのって、そうそうは出て来ないという予感がビンビンするわけですよ。

 いやあ、言葉がないってこのことなんだろうけど、まず本がすごくいい。

 特に最後のまとまり方、巧みだなあ。

 僕は戯曲も小説もそこそこ読む方なのですが、そして手前みそに聞こえるかもしれませんが、ピタリとはいかなくとも大体の終わり方は予見できる方だと思うのですが……このラストはぜんぜん読み切れなかった。

 そしてこの作品のラストのまとまり方は、すごく素敵で、すごく説得力があるのです。完全にやられてしまった感じです。

 さらに二人のセリフのやりとりに、本当に無駄がない。すべてが必要だと思わせる言葉なんです。

 その言葉は決して大仰なものではないんだけど、一つ一つがちゃんと笑えたり、ちゃんと心に沁みて来るんです。

 またその言葉を紡いでいくお二人の間がいいんだなあ。

 トントントンと運ぶところがあるかと思えば、いぶし銀の演歌歌手が敢えて節をずらすような、ちょっとしたズレがあったり。「緩急」という言葉が陳腐に聞こえるほどの絶妙さ、完全に脱帽です。

 わずか30分の中に、これだけの要素が入っている、そしてそれが最も効果的と思われる形で演じられている。

 これは相当な巧者でないとできないことで、この二人以外にできる人なんかいないんじゃないかと思ってしまうほどです。

 

 3つの作品ともに、「切り取り」の妙を感じさせられました。

 ほんの一コマの中に、その人たちの生きてきた過程や、いま生きているあり様が広がっていく。

 いまそこに展開されている光景がとんでもない広がりをもってその人たちの全体像を見せていく。

 短編の醍醐味はまさにそんなところにあるし、そもそも限られた時間と空間で展開する舞台というジャンルはそういうものなのかもしれない。

 

 音響ガンガン、照明ギラギラの作品も面白いけれども、静かな舞台の中で役者の力がまさに静かに炸裂する。そして観る者の心にそっと灯をともす。こういう作品との出会いというのは、本当に心の栄養になるし、幸せなことだと思います。

 

 明日から、いや今日この時から、僕も自分の日常という小さな舞台で、不器用だけど一生懸命に生きていこうと思わせてくれる、そんな作品との出会いに感謝、感謝。

2020年1月12日(月)

Sweet Arrow Theatricals presents

『You're a good man, Charlie Brown.』

シアター風姿花伝

 

 

 2019年夏の公演を見逃したために、どうしても今回は観てみたかった『You're a good man, Charlie Brown.』を楽日にやっとこさ観劇。

 

 午前中の仕事と午後の仕事の間に無理やり3時間の隙間を作っての観劇だったので、スーツ姿で劇場へ。

 祝日のマチネ、スーツ姿で劇場にいるのは何だか恥ずかしくて(年甲斐もなく…)、劇場の最後部、しかも隅の方にそっと着席。

 

 しかし、とにかく客入れの際のクルーやスタッフの明るさと言ったら!

 型にはまったマニュアル通りの丁寧な客入れも嫌いではないけれど、「こういう客入れって本当に楽しいなあ、気持ちいいなあ」と芝居が始まる前から心が整えられていく感じが嬉しい。

 

 劇空間の作り方が魅力的で、「ここで何が始まるのだろうか?」「この空間がどのように使われるのだろうか?」とワクワクしながら幕開きを待つ時間。僕はこの幕開きまでの時間がたまらなく好きなのだ。

 

 

 

 いよいよオープニング。そしてオープニングに続くナンバーは「You're a good man, Charlie Brown.」。

 これを聞いただけで、僕の目から涙が溢れ始めて、それはしばらく止まらなかった。

 カンパニー全体によるこの曲を聞いた瞬間、まだ僕が若かった一時期、ニューヨークに住んでいた日々のことが一瞬にして甦ったのだ。

 

 あの頃、食事を一日抜いてでも、ブロードウェイやオフ・ブロードウェイで芝居を観た。

 言葉も肌の色も、考え方や感じ方も違う連中と、それでも芝居のこととなると、そんな違いなんか乗り越えて、侃々諤々の議論をした。

 貧乏だったけど、毎日が楽しくて、刺激的で、そしてとにかく熱く生きていた。

 

 そんな日々の記憶が、鮮明なイメージとしてではなくて、「体温」として甦ってきたと言おうか。

 あの頃の自分に対するノスタルジー、いまの自分に対する複雑な想い、でも止まってなんかいられないという意地。

 曲を聞くうちに自分の中でいろんな思いが混合されて、それがどんどん熱を帯びて、なんだか分からないけど、涙してしまった。

 

 僕はしばしばミュージカルを観る。

 お金のかかった大きなプロダクションのものも観るし、ご縁があって小さな会場で上演される作品を観ることもある。

 それぞれ素晴らしい作品に出会う機会が多いが、やはり生の声には力がある。マイクを通さない生の声ならではの熱量や訴求力。

 もちろん鍛錬された歌手や歌い手の力量があってこそのことだが、その力量と技術が生でぶつけられると、聞いているこちらの心にも熱いものがこみ上げてくるのだ。

 

 「You're a good man, Charlie Brown.」が終わるころには、僕の精神状態は、23歳の頃、ニューヨークで必死に生きていた頃の自分にかなり近づいていたと思う。青くさく、生意気で、負けず嫌いで、体温だけはやたらと高い。祝日の昼下がり、劇場の隅っこでスーツを着た40過ぎの男の心が、こんなにも燃え上がっていると誰が思うだろうか?

 

 とにかくこの一曲で、僕の心はすでにこの作品の虜になってしまっていたのだ。

 

 そのあとはもう、こちらの心がONになっているものだから、どんどん作品に没入していくことができた。

 コミカルで笑う場面でもハンカチが手放せない、ホロっと泣ける場面(僕はよく泣くので特に)でもハンカチが手放せない。

 

 このミュージカルにはストーリーらしいストーリーはない。

 日常の小さなエピソードが、ときどきデフォルメされながら、ポップでありながらも美しい音楽に乗り取り上げられる。

 チャールズ・シュルツのコメディ『ピーナッツ』を原作としているミュージカルだが、シュルツの『ピーナッツ』はなかなかウィットと風刺に富んだ作品だし、ときどきヒューマニズムも感じさせるエピソードもある。

 

 この作品でも、あるいはコミカルで楽しいエピソードが、あるいは現実社会の不条理や矛盾を一刺しするようなエピソードが、あるいは誰の心の中にもある不安や悲しみを優しく包み込むようなエピソードが、パッチワーク的に配置されている。

  しかしどのエピソードにも、毎日毎日の中で、忘れかけている小さなことへの感謝や、見逃している小さな幸せを、もう一度思い出すきっかけを与えてくれるような、そんな力が備わっている。

 

 ランチタイムの孤独、ブランケットを手放せない少年、短気な自分への自己嫌悪、成績の悪い自分がたどり着く哲学、そして食事への喜び。スヌーピーが歌う「Suppertime」はとてもシニカルかつインストラクティヴ。

 

 それらすべてのエピソードを本当に魅力的に演じ、美しい歌声で魅せてくれたキャストたちに最大限の賛辞を。

 池田さん演じるチャーリーのネガティヴさと不器用さの絶妙なブレンド、しかしその根底には真っすぐさや諦めない強さを感じられて、彼のチャーリーを見ていると本当に心が優しさでいっぱいになるし、僕も少しだけ前を向いてチャレンジしてみようという気持ちになる。

 海老原さんの演じるライナス。ルーシーに「姉のことを大好きな弟がいるからだ」を言う時のあの笑顔に溢れ溢れている優しさと慈しみ。いま思い出しても心がいっぱいになってしまう。

 

 今回の公演もキャストの組み合わせに色んなバージョンがあったようで、叶うことならもっといろんなバージョンを観たかったし、再演の機会があればぜひ英語版も観てみたい。

 

 新年早々、こんなに楽しくて、こんなに元気をもらい、そして自分が置かれている幸せを見つめ直すきっかけを与えられる素晴らしい作品との出会いに感謝。こういう出会いがあるから、観劇も芝居も絶対にやめられない。

2020年1月3日(金)

壽初春大歌舞伎 鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)

歌舞伎座

 

 

 一昨日の新春浅草歌舞伎に続いて、昨日は歌舞伎座の壽初春大歌舞伎へ。

 白鷗丈の河内山、猿之助丈の連獅子と観たい演目はあれこれあれど、時間の都合もあって中村屋兄弟の『鰯賣戀曳網』(いわしうりこいのひきあみ)を幕見にて。

 

 三島由紀夫が六代目歌右衛門丈のために書き、歌右衛門丈の蛍火、十七世勘三郎丈の猿源氏で初演されたこの狂言。

 その後は五代目玉三郎丈の蛍火、十八世勘三郎丈の猿源氏で人気を博した。

 分かりやすいハッピーエンドの娯楽作品で、ナンセンスな台詞が随所に散りばめられ肩の力を抜いて観ることができるし、廓ものならではの衣装の美々しさも目のごちそう。爽快な笑いに包まれる、まさに初春にふさわしく、歌舞伎を観たことがない人も楽しめる演目。

 

 この狂言は中村屋にとってはとても大事な作品のひとつで、十七世、十八世の両勘三郎丈が演じて人気を呼び、当代勘九郎の猿源氏、七之助の蛍火でも何度かかけられている。

 

 僕はいままで2000年、2005年、2009年と3度、歌舞伎座で観たことがある。

 2000年は十七世勘三郎丈の十三回忌追善興行、2005年は十八世勘三郎丈の襲名公演、2009年は歌舞伎座の建て替えに伴う「歌舞伎座さよなら公演」、いずれも十八世勘三郎丈の猿源氏、五代目玉三郎丈の蛍火だが、これを見ても大事な節目節目で中村屋が演じる大切な演目であることが分かる。

 2014年には当代勘九郎の猿源氏、七之助の蛍火でかかっているが、これは十七世勘三郎丈二十七回忌・十八世勘三郎丈三回忌追善興行と、やはり大事な折の上演。このときはどうしても都合がつかず観ることができなかったのは痛恨事。

 

 中村屋の身上のひとつは可愛げのあるコミカルな芝居だが、この猿源氏にはそのような中村屋の人がぴったりと合う。

 庶民の鰯売りが焦がれ焦がれる遊君・蛍火に会うために、大名のふりをして廓に足を運ぶ。いかにも人の好さそうな鰯売りが一生懸命大名の真似をしているあたり、いかにも微笑ましく思わず笑顔になってしまう。

 迎え入れる遊君・蛍火。遊君とは遊女の中でもトップクラスで、並の客は相手にしない。蛍火は実は大名の姫君なのだが、人さらいに遭い今は遊女に身をやつしている。遊女ながらも凛とした気品を備え、一方ではとぼけたコメディの要素も持ち合わせていなければならない。なかなかの難役だ。

 十八世勘三郎丈と玉三郎丈の軽妙なやり取りは「秀逸」という言葉では言い切れないほどで、3回とも歌舞伎座の幕見席で笑い転げていた。

 

 いよいよ勘九郎と七之助で観ることができると思うと、昨日はわくわくして少し寝不足だったので、1時間ほど昼寝してエネルギーを充填して歌舞伎座へ。

 

 ここのところ、勘九郎は十八世に声がそっくり。容貌も父君を彷彿とさせるところがある。

 かつてドキュメンタリーで勘九郎が『身替座禅』をやっているとき、「どうしても父のようにはできない」と苦悩している様子を見たことがあるが、たしかに父を亡くしたあとの勘九郎の芝居は硬かった。父に追いつこうと急ぐあまりの焦りみたいなものが感じられて、観ているこちらも余裕をなくすようなところがあった。

 しかしその後、いくつもの大役を務め、中村屋を引っ張る責任と向き合っていくうちに、勘九郎は確実に進化している。「余裕が出てきている」とは言えないが、父のコピーではない自分だけの勘九郎になろうとしている。今回の猿源氏にしても、良い意味で緊張感のとれた、勘九郎の猿源氏に仕上がっていたと思う。

 一方の七之助。この人にはいい意味で次男坊の気楽さみたいなものが感じられる。もちろん偉大な父を早くに失った大変さはあるだろうが、七之助には良い意味での「遊び」が感じられるのだ。『伽羅先代萩』の政岡、『助六』の揚巻など次々に大役に挑んでいる七之助だが、玉三郎丈の七之助にかける期待のようなものがひしひしと感じられ、それに応えようとする七之助の進境著しさは今年も目が離せない。

 

 観劇後うちに帰って、なんと十七世勘三郎丈の猿源氏と六代目歌右衛門丈の蛍火による昭和29年の初演の映像を発見。

 歌舞伎は良くも悪しくも家の芸だが、役の性根が十七世から十八世、十八世から当代勘九郎へと脈々と引き継がれている様を目の当たりにすると、心が熱くなる。

 

 初春早々の中村屋兄弟の芝居。高齢になりつつある名人上手の芸もさることながら、今年は同年代や若手の芝居をもっともっと観たいと思わせてくれる、笑いに満ちた充実の70分。

2020年1月2日(木)

新春浅草歌舞伎

浅草公会堂

 

 

 例年、観劇初めは歌舞伎座ですが、今年は趣向を変えまして浅草公会堂へ。

 若手役者が普段はやらない大きな役を務めるのがお楽しみ、新春浅草歌舞伎へ。

 毎年観ているわけではないが、観るとやはり元気をもらえる。

 

 初めて新春浅草歌舞伎を観た頃はまだ辰之助だった当代松緑、新之助だった当代海老蔵、菊之助、亀治郎だった当代猿之助など僕と同年代の役者さんがたくさん出演していた。同年代の役者が演じるからこそ感じられる緊張感やスリルがあった。

 

 やがて当代猿之助、勘太郎だった当代勘九郎、七之助が中心となり、いまは松也が座頭となり……。時代の移り変わりを感じながら、自分より年下の役者たちの活躍を目にすると、生きる世界は違うものの、刺激を受けるところがとても大きい。

 

 今回の一番のお目当ては菅原伝授手習鑑の『寺子屋』。

 大好きな大好きなこの狂言、松也の松王、隼人の源蔵、新悟の千代もさることながら…米吉の戸浪、これが一番のお目当てだった。

 

 ここ数年「可愛すぎる女形」として注目を集めている米吉だが、彼の芝居は品位があって色気もあって、実に魅力があるのだ。家柄もあってかまだまだ大きな役を任されることは少ないが、大きな可能性を秘めている役者だと思う。

 

 その彼が演じるのが戸浪!

 夫である源蔵の旧主・菅丞相へ忠義の念と、一子・小太郎を表上は敵対しながらも真の主と慕う菅丞相の息子の身代わりにする松王丸と千代の愛情、そのいずれもが身に沁みるからこそ苦悩する戸浪。

 「さいぜん連れ合いがお身代わりと思いついたそばへいて、『お師匠様、いまからお頼み申します』と言うたときのこと思い出だせば、他人のわしさえ、骨身が砕くる」のくだり。

 この台詞をいかに真に入って聞かせるかは、そこに至る戸浪の仕草や所作がいかに自然に運んでいるかにかかっている。ここだけ気を入れても、どうも浮ついてしまうのだ。

 米吉の芝居は夫の思いも共有しつつ、千代の気持ちも痛いほど分かっている様が丁寧に描かれていて誠に秀逸。彼の芝居は人の心をちゃんと動かす力を持っているのだ。

 

 そしてそのあとの坂東巳之助の『茶壷』。

 父・三津五郎も得意としたこの演目。亡き父の背を追う巳之助の想いのようなものがにじみ出るような名演。

 父の背を追うと言えば、海老蔵や中村屋兄弟が注目されがちだが、巳之助も大和屋の看板を背負うべく、日々精進している様がよくよく分かる、コミカルな中に気概を見せる見事な踊りだった。

 

 どの道を行こうとも、矜持と気概を持って歩み続ける。

 その大切さを教えてくれる若い役者たちの気の入った熱い芝居。

 新年早々、気合を注入してもらった。

 

 さて、明日は歌舞伎座。

 今年は欲張って新橋演舞場も。

 春から歌舞伎三昧とは、贅沢、贅沢。感謝、感謝。

2019年12月29日(日)

フライングステージ

『gaku-GAY-kai2019』

新宿シアターミラクル

 

 

 年末の風物詩、フライングステージさんの『gaku-GAY-kai2019』へ。

 この日はマチネで1本見て、新宿大ガードそばのveloceでコーヒー1杯で3時間半読書して(迷惑・・・)、そして満を持して新宿シアターミラクルへ。普段観劇するときは15分前に劇場到着がデフォルトの僕だが、この催事はいつも鈴なりなので、30分前には劇場へ。それでもかなりのお客様。あやかりたい、あやかりたい。

 

 第一部は『贋作・から騒ぎ』

 シェイクスピア喜劇の中でも傑作のひとつと見なされているこの作品が、いったいどんな「贋作」になるのかと思い楽しみにしていたが・・・笑い過ぎてはらわたが捩れるかと思った!!ちゃんとシェイクスピアの香りを残しつつ、ちゃんとゲイテイストに脚色されて、まさしく「gaku-GAY-kai」の名にふさわしい。

 

 そしてみなさん、達者!!

 安定の関根さん、岸本さんは言うに及ばず。

 11月のフライングステージ公演『アイタクテとナリタクテ』でのチャーミングなマーメイドが印象深い木村佐都美さん、同じく『アイタイクテとナリタクテ』の真っすぐな少年役で僕の涙を絞りつくした芳賀さん、9月に下北OFFOFFで拝見した『おへその不在』の妖艶なマダム役がばっちり瞼に焼き付いている宍泥美さん、相変わらずお美しくピュアな役どころも巧みにこなすエスムラルダさん、そのエスムさんに負けず劣らずお美しく知的な魅力満載のモイラさん、ほかの皆さんも本当に生き生きしていて、観ているこちらが元気をばっちりチャージしてもらった。

 

 個人的には「楽しんで舞台を務めます!」と役者が言うのはあまり賛同しない。

 もちろん「楽しむ」の裏にはたくさんの稽古や工夫があり、真剣に向き合っている人が多いことはよく分かっているのだが、そして「楽しんできます!」というのはお客様向けの軽い挨拶みたいなものだということも百も承知なのだが、それでも「楽しむだけじゃあダメだろう」と思ってしまう。

 しかしその一方で「楽しむ」ことはやはり大事なのだ、とも思う。やっている本人が楽しめない作品を観客が楽しめるわけはないのだから。問題はその「楽しむ」の裏側にちゃんと熱さや演者の誇りがあるかどうかだ。

 gaku-GAY-kaiにはいつのその両方が備わっている感じがする。だから見ているこっちが安心して笑えるし、お祭り気分の楽しさに身を任せていられるのだ。今年も見て良かったと心底思えるのだ。

 

 第二部のお楽しみも例年のごとく。

 「ごとく」って言葉は演者には失礼かもしれないが、安定感というか、「冬と言えばミカンとこたつ」的な意味での「ごとく」なのだ。

 

 ここ数年の観劇は1月の歌舞伎座に始まり12月のgaku-GAY-kaiで終わるが常態化しているが、このルーティンがちゃんと機能しているということは、今年も自分は幸せだったという証拠のような気がする。

 

 明けて30日は自分の2月公演の打合せ。

 元気もらったし、今度は自分がバシッと決めなければ!