今日は、本当はしんみり過ごしたかったのだけど、
僕の業務能力が足りなくて、休日だと言うのに、
10時過ぎに仕事が終りました。
どうしてもチャーハンが食べたくて、車で20分走って
夜でもやってる中華屋へ。
(この辺、店少ないんです)

でも、
1年前は20分かけてチャーハン食べに行くような
そんなガソリンも無かった。

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実は僕、茨城在住にもかかわらず、地震そのものは
体験していないんです。

あの日、僕は中国の杭州へ出張していました。
社内イントラネットのチャットで、
突然その情報が舞い込んできました。
当然日本に電話をかけるも通じず。

確かその日の晩は、炒飯と蘭州拉麺を食べながら、
日本の様子をテレビで見ていました。
(人民代議員大会より小さな扱いで)
でも見えるのは津波と爆発する原発ばかり。
眠れぬ夜を過ごしました。

翌日、上海のホテルで日本へ帰る飛行機が出るのを
待ちました。
ロビーにあったイギリスの新聞、
「がんばれ日本、頑張れ東北」
“Don't give up Japan , Don't give up Tohoku”
真っ赤な日の丸と共に、第一面を飾っていました。
僕は涙がとめどなく流れました。

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帰ってきた茨城の職場は、割とグチャグチャでした。
なす術がないので、3月は割と気楽でしたが、
4月に入ると休みなし。クタクタでした。

でも、
確か4月の第3週だったか、原発から50kmほど離れた
浜通りの渓流にヤマメを釣りに行きました。
ヤマメはちゃんと生きてました。
いわきの皆さんは、苦しいながらも精一杯暮らしてました。

また、涙を流しました。

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そして、1年が過ぎました。
日本は何も変わっていないように思います。

いや、
一人一人の意識は変わったかもしれません。
会社とか、地域とか、
そういうコミュニティーは変わったかもしれません。

でも、
この国の政府は、相変わらず嘘ばかりつくし
この国のマスコミは、情緒的に済まそうとするし
(今日は反吐が出そうなのでテレビを見てません)
逆に、例えば放射能と食品のあれこれのように
個人の自分勝手さ、いわゆるエゴが
顕在化するような場面もしばしば見ました。

いろんな意味で不幸でした。

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僕は、震災から数ヶ月間、
今の日本に必要な音楽の何だろう。。。と考えていました。

癒し、励ましは当然ですが、怒りや悲しみの発露も含めて。
そういう感情表現ができる音楽ってROCKしかないんじゃないか?

そして、その中で最も輝いているのはTHE WHOの
Who's Nextじゃないかって?
$JoeJoeの隠れ家-who's next
もうすぐ日付が変わってしまいます。
YouTubeのリンク貼るのも間に合いません。

もし、まだ震災の痛手から立ち直っていない人がいたら、
そして、本当にイイROCKを理解できる人がいたら、
YouTubeにWho's Nextと入力して検索するなり、
いっそ、Amazonで買っちゃったりしてください。

Baba O'Rileyで励まされ、
Song Is Overで変化を決意し、
Behind Blue Eyesで痛みを分かち合い、
Won't Get Fooled Againで政治家やマスコミ共に
原発推進論者や、東京電力や、日和見的な無関心層に、
中指を立ててください!

俺たちはもう二度とだまされない、と。

(奇遇にも、賛同してくださった方がいました。ありがとうございます。)