きっかけは夏川りみの「涙そうそう」だった。
沖縄の歌に興味を持ち島唄に惹かれていった。
当然の成り行きだったが、静岡に三線を教える師匠がおられることを知り、早速朝日カルチャーの三線教室に通うことにした。
半年ほど初心者クラスで基礎を学び、2003年の秋、本クラスへ進んだ。
2008~2009年には同僚のYさんと、民謡コンクールに参加するために沖縄へ行ったこともあった。
それ以来(途中半年ほどブランクがあったが)三線は続けている。三線は私の音楽にとって根幹を成す楽器だ。

2007年の秋、私はウクレレを購入した。
突然、ウクレレで「芭蕉布」の弾き語りをやりたくなったのだ。
丁度テレビでウクレレ講座が始まっていて、それを見ながら我流で覚えていった。
私はYさんの三線とコンビを組んで、沖縄料理屋「海人」や城北公園などで練習を始めた。
いつか二人で老人ホームを回ったり、何かのイベントに参加したいと思っていた。

しかしその希望が実現することは無かった。
2010年初め、一五一会教室を主宰していたAさんに誘われて彼女のグループに参加することになった。
彼女のグループ「S」は〝島唄系アコースティックバンド〟を標榜し、Yさんの三線、Aさん・Mさんの一五一会、私のウクレレという編成。リーダーのAさんは一五一会の弾き語りによるソロ活動が主体だが、より厚味のある音を出すためにバンドを作った。それが「S」だ(私はそう理解した)。音は殆んど全て彼女が決める。彼女の音楽理論、様々な楽器への愛着・知識はハンパではなかった。
当初私はベースで「S」に参加したいと思っていた。そのために安いエレキベースも購入した。しかしハードルは高かった。Aさんは元々ベース奏者だった。私の幼稚なベースプレイは通用しなかった。
2年半に亘る「S」での活動は楽しかった。ウクレレ伴奏でいろいろなライブに出させてもらった。様々な経験をして、沢山のお友達ができた。きっかけを作ってくれたAさんには感謝の言葉もない。

2011年の夏、私はAさんを通じて知り合ったⅠさんと「ゆらてぃく」というユニットを結成した。
「S」では、後方で譜面を見ながらウクレレを弾いていれば良い気楽な立場だったが、音楽的な自由は無かった。「S」と「ゆらてぃく」を並行して活動していくつもりでいたが、生意気にも私はAさんの考えに時々疑問を持つようになってきていた。

ー続くー