こんなタイトルですが、今日は非常に色々考えさせられることがありました。



祖父が、倒れました。



心筋梗塞って聞いて、頭真っ白になりました。
けど、実は倒れたのは今朝で、その話を聞いたのは、ついさっき。
「え?」って感じだったけど、今は持ち直して意識もあるそうなので一安心(?)だそうです。

で、その報告の電話をくれた親父はちょっと泣いてるみたいでした。
祖父はつい先日、83歳の誕生日を迎えたばかり。
当日僕は電話したんですが、つながらなかったので後でかけなおそうと思っていました。
しかし当日はすっかり忘れてかけ過ごしてしまったのですが、今日のことがあって、ぞっとしました。
もう声が聞けなかったかもしれない、そう思いました。

その電話で父は
「お前の1日と、おじいさんの1日は違う」
って言ってました。
ぁー、その通りかもしれん、と思います。
明日僕が死ぬ可能性も十分にありますが、やはりそれは偶然の可能性であって、老いによる「必然」の可能性よりも、恐らく低いものでしょう。
そう考えると、手紙を出して何日も待たなければ連絡がとれない時代ではないので、もっと積極的にコミュニケーションをとって、部分的にでも時間の共有を出来るように心がけなくてはと思いました。

そしてもう一つは母に関してです。
我が家は現在子供が2人の大学生と1人の高校生になり、父は半単身赴任みたいな形で実家からは少し離れたところで仕事をしています。
それゆえ家には母と、高校生になったばかりの弟で暮らしています。
そんな中、弟のこの反抗期やら思春期やらの気難しい時期を母一人で相手することがとても大変だと、電話から感じました。
そして何より、母には頼れる人がいない、ということが今日始めてわかりました。

僕が中学生になるとき、横浜から静岡に引っ越してきて、自分はまわりに友達が出来ましたが、母は、横浜に居たときのような「友達」ができなかったんだなぁと初めてしりました。
そんな中で、妹、弟が同時に受験に向かうというキツイ状況も母が支えてくれていました。
本当に、精神的にしんどいとこで毎日頑張ってくれているんだと、改めて感じました。

自分は、毎日就活だとか、部活だとか、バイトだとか、結局自分のやりたいことをやらせてもらっている一方で、神経すり減らして頑張ってくれている人のことを知らなかったことにとても罪悪感を感じます。

一人で色々考え込ませてしまうのがとても不憫に思えるので、なんとか電話したり、マメに帰ったりして、祖父にも、母にも会って、顔を見ながらもっと話をしたいと思いました。
それで母のストレスとかが解消されるのかと言うと、実際はよくわかりません。
というか、ここにはかけないような諸事情ももちろん色々あるわけです。
そーゆーのも、母が基本的には全部しょってくれてたんです。
親父も一人でずーっと仕事してくれて、時々東京で酒飲みながら人生相談してくれて、本当に感謝しなければならないと強く感じました。




今日の出来事から、やはり自分は一人で生きているんじゃないってことをすごく強く感じました。
そして、それに対する感謝の気持ちをなんとか形にしたいとも思いました。
とりわけ、父や母には、はやく余生(っていうと聞こえが悪いかもしれませんが)というか、自分の時間をゆっくりと使えるようになってほしいと思います。
そのために、自分が今何ができるかなぁと考えましたが、まぁ出来ることは限られているし、「出来ること=しなければならないこと」だったりするので、そこから頑張らないといけないかなと思います。





早いとこ就活にもケリをつけて、ひと段落させたい、今日この頃です。