大学に入ってから、仕事ができるとか、できないとか、よく考えるようになりました。
バイトはじめたってのもあるのかもしれませんが。


部活でもマネージャーさんってのはいないので、雑務から何から全部自分たちがやるわけですが、そこでもそれらを『仕事』と呼びます。
みんなの間でも「あいつは仕事できるよね」なんて、ちょくちょく話します。


で、最近は自分が関わった人を、よく「この人は仕事できる人なのかな?」って目で見てしまうことも増えました。



そんな中で一緒に少年サッカーのコーチをしている同じ歳の友達がいるんですが、そいつは僕の中で相当『できる』人間なんです。
あ、あと部活の友達は、多少の差はあれ、みんなすごく『できる』やつらに感じます。


なんでかといえば、まず自分の意見をしっかり持っている、にもかかわらず、人の話を聞ける。
その後の思考の柔軟性はそれぞれですが・・・。
っていうか、柔軟→優柔不断につながる気がして、柔軟なのも一概にいいとは言えないと僕は思ってるんですが。
あとは、論理的に考えてる。色々な場合を想定して、対応して考えられる。
で、一番大切だと思うのは、人の気持ちが考えられる。
人によってポイントは多少ずれるけれど、みんな、律儀なんです。意外に。


そんな中で、そのコーチしてるやつ(以後O氏)はめちゃくちゃ頑張るやつなんです。
で、自分がそいつをすごいと思ったのは、次のような場面での考え方が、自分にはできていないと気づかされたからです。



・・・部活のチームはコーチ(大学院生)2人と、選手(大学生)から編成されています。
コーチをしている大学院生も、指導実績などほとんど無いので、もちろん失敗は多々あります。
そんな中で、O氏は上から2番目(全6チーム)で、かなり上手な選手の集団にいます。
そのチームには県の代表だったやつもいて、とても実績のある指導者の方から指導された選手が多くいます。
なので、現在のコーチの与えるメニューに対して、不備があると、選手にもわかってしまう。
良い指導者は、そのオーガナイズミスを臨機応変に変更して改善することができるそうですが、にわかコーチにはなかなかできるものではありません。
なので、選手たちは、だんだんと「こんなメニューやって意味があるのか」「こんなメニューで評価されても困る」と、不満がたまっていきます。

このような場面について、O氏は次のように言ったんです。
「メニューが悪いのは確かにあるけど、選手自身がまず本気でベストのプレーをその中でしていないのに、文句を言うべきではない。まずは自分たちで変えて行かないと行けない部分が他に沢山ある」


これは、ほんの一例で、このような言葉の裏には常に
『まずはベストを尽くす』ということがあるんだと思います。



自分もそうですが、うまく行かないとき、もしくは「うまくいきっこない」と思ってしまう事ってすごくよくあると思うんです。
けど、そういうネガティブな予測を勝手に立てて、自分からチャレンジする事を放棄してしまう事って簡単ですけど、それじゃ全然何も得られないんだと思います。
それは無理でしょ、って思う事に、最初からチャレンジしないのではなく、全力で、やろうとしてみることで、結果としてできなくても、できそうなきっかけをつかむ事ができるかもしれない。
トレーニングの例で言えば、積極的にやって、不備を見つけたなら、それはスタッフに伝えて、自分たちからトレーングを変えていくような働きかけをしてこそ『ベストを尽くした』と言えるし、そこまでやって、なお「マジ、意味なかったなぁ」なんて思うことは無いとおもうんです。


で、O氏はそいういうのを常に実践してる、というか、ネガティブな方に逃げないんです。
もう見てるとある意味恐れ多いというか、同じ歳なのに尊敬せずにはいられないわけです。

部ではO氏だけでなく、こういった行動、判断ができる人が少なからずいます。


こーゆーのって働く上ですごく大事だと思うんです。
ぎりぎりまで見極めて、ベストの選択を導く。
ベストの選択を導く為には、やっぱり、ぎりぎりまで試行錯誤的なことしないといけないと思うんです。



なんてことを、先日O氏と話したときに感じました。
はたして、本当にそれが社会的に求められる人間像にマッチするのかはわかりませんが、自分はこういう人に憧れます。




こうやって思った事をつらつら文章にしていくと、きりがないけれど、自分がこういうこと考えてたってのが再確認できていいですね。
書いてて、おかしいかも、って思うとこも多々ありますが(・_・;)