⁡今日観た映画、

『パストライブス 再会』。

過去、現在を行き来しながら、

そして

その先の未来に余韻を残す物語だった。






この映画を観ながら、

私の脳内スクリーンでは

映画の場面にリンクする

自分の人生のシーンも垣間見ることに。



5つの国で

5つの言語で繰り広げられる

私の人生ストーリーも出てきたけれど、

やっぱり1番色濃く感じられたのは

アイカタとのここまでの道のり。

アイカタは22歳下の外国人。

出会ってから9年目。

国を隔てた、かなりな遠距離だ。

そして、

ドラマチックな(?)

紆余曲折&波乱万丈を経て、

めっちゃ濃い歴史を積み重ねてきた。


その中で

男と女であることはもちろん、

家族以上に家族であり、

時に父であり子どもであり

母であり娘でもあり、

男女を超えた人間同士として、

尊敬と尊重と信頼が深まってきた。



そういう意味では、

この映画で描かれている

3人の「関係」

も恋愛映画というカテゴリーながら

従来のその枠に留まらず、

最後には

より素の人間同士としての

繋がりにたどり着いている感が、

なんとなく私が感じている

パートナーシップに近い氣がした。




男と女だけの視点では、

見える世界は限られている。

その賞味期限を争う視点では、

深い愛は感じられない。。。

パートナーシップを通じて、

自分は何を見たいのか、

何を感じたいのか…

「自分はどう愛されたいのか」

は多くの人が観るところだし、

求めて止まないトコロでもある。

この映画でも、

主人公のやり取りで

それを双方に求める場面がある。

私自身のことで言えば、

パートナーシップの次元が変わったのは

自分はアイカタを

どう愛したいのか?

を問うて、決めた時点からだ。



とかく

パートナーシップにおいて女性は、

自分も含めて

自然に「受け身」になってしまう。

これまでの歴史のせいか、

無意識に

「選ばれる側」

だと思い込んでいることが多い。

それが反転して

「選ぶ側」に立つと、

傲慢になっていた自分もいた。

選ぶ側でも

選ばれる側でもなく、

それを超えた

愛し方を決める

と関係性は

また別の次元に移行していく。



この映画の登場人物も、

男と女という関係の始まりから

(プラトニックな在り方が高じて)

その先の

「人間同士」

としての尊重と繋がりを

最終的には選択したように見えた。

とは言え、

男女の間に漂う

ほのかな色気は、

タイムカプセルのように存在する。

まるで

古いアルバムに閉じ込められた、

甘やかな思い出のように。

時間

空間

国を超えて

存在し、

共有される感覚。

そして、関係性。

それは、

間違いなく

人生を豊かにしてくれる、

かけがえのない

魂の宝になっていくのだと感じる。