「手放す」や「手放し」は、

ここ数年つとに

耳にする機会が増えたよね。



断捨離という

物理的なものはもちろん、

心の整理的な面でも使われてる。







そんな背景があってか、

私にとってのそれは

自分で捨てるとか決めて

線引きをして、

意識から消していく

というイメージがあったんだよね。



例えば、

「執着を手放す」とか。

こんなふうに捉えていた。

⬇️

1. 執着している対象ではなく、

    望む方向に意識を向ける


2. その方向に集中しているうちに、

    執着していた対象から意識が離れていく







ちなみに

私はこのやり方が

イマイチFIT感がなくて、

手放したつもりが

捨てたものをまた拾ってくるにやり

みたいになったことも。

(それも全然アリw)








ところが

今回とても愛した対象から

距離を置くことに決めて、

見えてきた風景は

これまでの手放すとは

全然違っていた‼️



力技でも

思考の切替でもなく、

何の難しさすら感じなかった‼️



まさに

抵抗を手放す🕊

だった。









私がやったこと

⬇️

1. 自分が今 感じている感情

    洗いざらい自分に打ち明ける

    (親友に打ち明けるような自己対話。

     ひたすら全肯定で、

   「うん、そうだよね」と聞いてあげる。)


2. その対象に対する

    気持ちの居場所を与える

    (「そこにいてもいいよ」と認めてあげる。

     もともと大事にしていたもののはずだから)


3. 手放しを決めてからも、

   ちょいちょい脳裏に浮かんでは来る。

   そんな時は、

   「そっかー、分かる!」と

   ありのままを受け容れる


4. 3の繰り返しを淡々と、

   まるで海岸で打ち寄せる波を眺めるがごとく

   静観していると、

   だんだん何の変哲もない風景に変わっていく


5. ある瞬間に

    スッと抜ける感覚が訪れる。

    心穏やかな平和な感覚🍀





それは

吹いたシャボン玉が

飛んでいくのを見ているような…








砂を握りしめていた手を

ほんの少し緩めると、

自然に砂が落ちていくような…





そんな感覚にも似てる。







こうして書いてみると、

ここに辿り着くまで

いかに自分が力んでいたか、

なんとかしようと必死で

空回りしていたのかが分かった!!



自分が決めた型にはまらなくて、

ビシビシと鬼監督のように

「なんで出来ないんだ!?」

と自分に当たってたんだよねぇ…

そりゃ辛いに決まっとる笑い泣き






そして、

そのプロセスを丁寧に見てあげてなかった、

私にゴメンね…と。



まぁ、

それもココに辿り着くまでの

いい流れだったってことだよねキラキラ



ホントに、

人生にムダなことなんてないね音譜



ここまで頑張ってきた、

私にありがとう合格

そして、

これからもよろしくねラブラブ






この気づきが、

誰かのホッとする気持ちに

繋がったら嬉しい♥️