「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第5弾!
当記事は、2011年11月09日(水)投稿の記事の再掲載です。一部、訂正と追記をしています。 光速より速いニュートリノの存在が実験により観測されたとの報道が全世界を駆け巡り話題になっています。
これは確かに非常に興味深い(予想外の)実験結果です。
しかし同時に、この実験結果の綿密な検証を実施する前に、曲解したり過大評価したりして世間を無用に扇動する行為は慎むべきでしょう。
案の定、このニュースが流れるや、「これでタイムマシン実現の可能性が俄然高まった」とか「相対性理論は根底から覆された」などの風説がまことしやかに新聞や雑誌の見出しを飾っていますね。
結論から先にいうと、この実験結果だけで特殊相対性理論が根底から覆るなどということはまず無いと思われます。もちろん再考のよい契機にはなるとは思います。
また、タイムマシンの話は、この実験結果が云々という前に、相対性理論を巡って当初から今日に至るまで諸説紛々であり、この実験結果によって話が急展開するような話ではないと思われます。
■簡単に特殊相対性理論について
特殊相対性理論は「光速度不変の原理」と「相対性の原理」の2つの原理から出発します。
「
光速度不変の原理 」はその名の通り、世界のどんな観測者から見ても光の速度は一定であることを要請しています。
たとえば、あなたが地球上に静止していて、目の前を光速に非常に近い速度(たとえば秒速27万km)の夢の超高速旅客機が飛んでいるとします。そしてその超高速旅客機の前面から進行方向に向けて光が発射されます。
このとき、超高速旅客機の中からこの光を見ると、「光速度不変の原理」により、秒速30万kmの猛スピードで旅客機から遠ざかっていくのが見えます。
一方、地上にいてそれを見ているあなたには、光はやはり秒速30万Kmで旅客機の前方に飛んでいくのが見えます。
しかし、旅客機自体が光速に近いスピードで走っていますから、光は旅客機から発射されたあと、少しずつ少しずつ旅客機から遠ざかっていくのが観測されるはずです。
つまり、機長から見ると、光は1秒後に旅客機から30万kmのかなたに離れていくように見える一方で、地上のあなたから見ると、光は1秒後に旅客機のせいぜい3万km程度だけ前に進んでいるように見えるのです。
これを言い換えると、あなたが1秒後に見ている状況は、機長からすると、1/10秒後の状況だということです。
つまり機長の時間の進みはあなたの時間の進みの1/10といえるわけです!
この特殊相対性理論のパラドキシカルな特徴は、多くの人々の興味を惹きつけます。
「
相対性の原理 」は、ごく簡単にいうと、世界の任意の観測者の間で、どちらが静止していてどちらが動いているかを判断することはできない、あるのは互いに相対的な関係だけだという要請です。
言い換えれば、宇宙に絶対的な座標軸を設定することはできないということです。
もっと物理学的な表現を使えば、力学法則はどの慣性系においても等しく同じ形で適用されるということです。
逆にもう少し身近な表現を使えば、地球上から打ち上げられたロケットと地球の関係は、一般常識的にはあたかも基準が地球にあって、ロケットはそこから派生的に飛び出したかのように感じられますが、そうではなく、地球から見ればロケットは前方に時速n kmで遠ざかっており、ロケットから見れば地球が時速n kmで後退しているにすぎず、それらの間に何か優劣とか格差は存在しないという要請です。
↑上記定義の前半部分「世界の任意の観測者~宇宙に絶対的な座標軸を設定することはできない」という部分は世間一般に流布する定義ですが、実は私はこのような解釈(相対性の原理は「世界はXXXである」と世界の成り立ちについて語っているとする解釈)を言い過ぎだと考えています。詳しいことは別の機会に述べたいと思いますが、ここでは世間一般の定義を記しておくことにします(2012年12月9日追記) この2つの原理は理論の大前提であり、特殊相対性理論の中で理由を説明することも証明することもできません。
逆にこれらの原理のいずれか一方でも正しくないことが実証されれば、特殊相対性理論は誤謬となり、修正もしくは破棄を余儀なくされます。
ちなみに2つの原理のうち「光速度不変の原理」は数多くの検証結果によりかなりの精度でその正しさが認められています。
「相対性の原理」のほうは、実証するというより、考え方の根本原理のような位置づけに近いと思われます。
↑この点について少し補足すると、「相対性の原理」はこの世界に絶対的座標といえるものは存在しないことを要請しているように見えますが、私論では、そうではなく、もしかしたら人類が宇宙全体をひとつの「全体」として把握できたあかつきには、その中に存在する「もの」はすべてその「宇宙全体」という絶対的座標の中に位置づけることができるかもしれないと考えます。 ただ、宇宙に存在する任意の「もの」について普遍的法則を定式化する目的から考えると、宇宙に存在する任意の「もの」同士の関係性は相対的であるという前提で法則を定式化するという要請と理解しています。(あくまで私論ですが)(2021年12月26日追記) ■今回の発見から言えること(言えないこと)
ここまでみてきた限り、「質量のあるすべての物体は光速度を超えられない」という法則はどこにも顔を出しません。
そして実際、特殊相対性理論自体は「質量のあるすべての物体は光速度を超えられない」とは一言も語っていないと私は考えます。
「私は考えます」と歯切れが悪いのは、確かにそのように言っている物理学者も少なくないので、譲歩したわけです(笑)
うん、Wikipediaにもそう書いてありますね(苦笑)
特殊相対性理論について、せいぜい言えるとすれば、以下のようなことになると考えます。
光速度不変の原理と相対性の原理から出発して定式化される特殊相対性理論の数式によると、観測者からの相対速度が光速に近い物体を光速度に限りなく近づけていくと、質量ないしエネルギーは無限大に発散し、長さはゼロに限りなく近づき、その物体上での時間の進み方は限りなくゼロに近づく。 もしもその物体が光速度に達した場合、その物体の質量ないしエネルギーは不定(分母がゼロの割り算)になり、長さはゼロになり、時間は停止する。 もしもその物体が光速度より大きい場合は、質量ないしエネルギーは虚数(2乗するとマイナスになる数)となり、長さも虚数となり、時間の進みも虚数となる。 参考までに、特殊相対性理論において定式化された時間と速度、質量と速度の関係式を記載しておきます。
上式で、Δt は観測者の時間の進み。
Δt' は観測者に対して相対速度 v の物体の時間の進み。
m は観測者から見て静止している物体の質量。
m' は観測者に対して相対速度 v の物体の質量を意味します。
物足りませんか?
しかし、これ以上のことを言おうとすると、もはや純粋な物理学理論の数理・論理的議論に閉じた世界に収まらず、数式が現実世界のいかなる意味を表しているかという「解釈」の世界に踏み込むことになります。
もちろん、物理学が実用的であるためには数式を「解釈」して現実世界に結びつけることが不可欠なのですが、ここで言いたいのは、同じ数式に対して、矛盾が生じない限り、いろいろな「解釈」が可能だということです。
「速度と質量の関係式に物体の速度=c(光速度)を代入すると質量が不定(ゼロ割)になる」とか「速度と質量の関係式で物体の速度をcに限りなく近づけると質量の極限値が無限大になる」ということから「質量のある物質は光速度に達することができない」と「解釈」することもできますが、そうではない「解釈」もできます。
ただ、大方の科学者は前者が正しいと「解釈」しているというだけです。
(多くの科学者は上のような解釈の選択を自らが行なっていることを自覚しておらず、自分の「解釈」が唯一で必然の「真理」と信じているのかもしれませんが)
極端な話、たとえば「特殊相対性理論の数式は、物質が光速度より小さい速度の場合にだけ適用できる物理理論であり、光速度ないし光速度を超える場合には適用外(別の法則が適用される)」と考えることだって可能です。(そして実をいうと、私はこの可能性が結構高いのではないかとすら思っています)
ただし、この場合は、現在の特殊相対性理論の適用範囲を制限するという意味で、特殊相対性理論に少し修正を加える必要がありますし、適用範囲外の事象に適用しうる理論を別途構築する必要がありますが。
これ以上話を突き進めていくと、科学とは?数学とは?という科学哲学や数学基礎論の議論に入ってしまうので、ここまででやめておきます。
要するに、仮に超光速ニュートリノの存在が事実だとしても、光速度不変の原理と相対性の原理という、たった2つの原理からのみ出発する特殊相対性理論の根底を覆すことにはならないだろうということが言いたかったことです。
ちなみに、今回の超光速ニュートリノ発見を受けての新たな発想として、特殊相対性理論の原理のひとつを「光速度不変の原理」ではなく「ニュートリノ不変の原理」に置き換えられるのではないか?というアイデアも考えられます。
これにより、ニュートリノが光速を超えることが特殊相対性理論に抵触することがなくなります。
しかし個人的には(あくまで推測でしかありませんが)、質量がゼロという光子(フォトン)の性質はやはり宇宙の何らかの性質を背景にした特殊な性質であり、質量のあるニュートリノとは別格ではないかと思われます。
つまりニュートリノの速度をすべての観測者から不変な存在に祀り上げることには無理があるのではないかと思っています。
なお、超光速ニュートリノによるタイムマシンの話については、また別の機会に論じたいと思います。
というのも、世にあるタイムマシンの思考実験に本当に抜け穴・ほころびがないことに、私はいまひとつ確信が持てないうえに、仮にその思考実験に間違いがなかったとしても、「理論上できる」ということと、「現実の生身の人間や乗り物や通信手段で実現可能」ということの間にはあまりにも大きな隔たりがあると思うからです。
最後に、特殊相対性理論批判によく見られる誤解について触れておきたいと思います。
物体の長さが縮んだり、時間の進みが遅くなったりするのは、観測手段・時間測定手段に光という特殊な存在を使っているから、そのように見えるのだ、ということを主張する批判者がいます。
確かにアインシュタインは分かりやすい例として、光を観測手段・時間測定手段として思考実験を行ったため、このような誤解が招いたのだと思いますが、特殊相対性理論は観測手段に依存せず成立する理論です。
最初に説明した通り、すべては「光速度不変の原理」と「相対性の原理」だけから出発します。
↑この「特殊相対性理論は観測手段に依存せず成立する理論」という点に関しても、実は自明ではないかもしれないと個人的には思っています。いや、もっと正確に言うと、物理学としての理論(数学的な定式化)としては観測手段に依存しない理論だが、実はその言わんとするところは認識論的な命題なのではないかという推測です。う〜ん、簡単な言葉でうまく表現できませんが。(これもどこかで詳細を考察して論じたいと思っています)(2021年12月26日追記)