Thinking every day, every night -2ページ目

Thinking every day, every night

夢想家"上智まさはる"が人生のさまざまについてうわごとのように語る


「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第9弾!
当記事は、2012年09月15日(土)投稿の記事の再掲載です。


先日、ゲノムについて述べましたが、説明し忘れていたことがあるので、少し付け加えます。

遺伝情報の本体であるDNAは、ヒトのひとつの細胞の核内に60億個存在すると述べました。
そしてそれらを1本につなぎ合わせると、1.8mもの長さになると述べました。

さらにひとりの人間の持つ細胞の総数が10の13乗個(10兆個)ほどあるといいますから、単純計算して、ひとりの人間の中にあるDNAをすべてつなぎ合わせると、何と何と、200億kmにもなります。

地球と太陽の平均距離が約1億5000万kmといいますから、その距離のほぼ130倍という途方もない長さです。

もう一度言い直すと、ひとりの人間の中にあるDNAをつなぎ合わせると、地球と太陽の距離の130倍の長さになるというわけです。


次に「情報量」の観点から見てみましょう。

DNAは4つの塩基ですべての遺伝情報を表現しているので、言ってみれば4つのアルファベットですべての情報を表現しているとみなせます。(ここでは仮に「DNAアルファベット」と呼びましょう)

英語はアルファベット26文字にスペースを加えると27文字ですべての情報を表現しています。
英語1文字をDNAで表現するためには、DNAアルファベットを2文字使えば4×4=16通りの英語アルファベットを表現でき(足りない)、3文字使えば4×4×4=64通りの英語アルファベットを表現できます(十分)。

途中の計算は省きますが、DNAアルファベットで英語アルファベット1文字を表現するためには2.4文字必要になります。
つまり同じ文字数で表現できる情報量は、英語アルファベットの2.4分の1になります。

この仮定のうえで、1つの細胞内にDNAの塩基対が60億あることを踏まえると、60億÷2.4=25億の英語アルファベットを含んでいる計算になります。

書籍1ページあたり1000文字の英語が書かれているとすると、250万ページという、これまた途方も無いボリュームの書籍になります。

DNAのうち、実際にタンパク質合成の設計図が書かれている領域が1%だと(かなり割り引いて)考えても、ひとりの人間の中に、2万5千ページにも渡る設計書が収められていることになります。

まさに宇宙に匹敵するような「内なる世界」ですね!
「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第8弾!
当記事は、2012年09月09日(日)投稿の記事の再掲載です。


この(2012年) 9/5に、理化学研究所(理研)の参加する国際研究プロジェクト「ENCODE(エンコード計画)」が発表したところによると、ヒトゲノムの80%の部分が特定の生物的機能に関連していることを突き止めたとのこと。6日付のネイチャー誌などに計30本の論文が掲載される(された?)そうです。

あまり興味のない人から見ると「へぇ~そう。なんか、さもありなんって感じなんだけど」で終わりそうな報道です。が、この発表の持つ意義は大きいのです。

■ヒトゲノムの98%はゴミ?

ヒトゲノムの塩基配列の解読は1984年「ヒトゲノム計画」として始められ、2003年に解読終了宣言がなされ、2004年に推定2~3万個の遺伝子からなることが明らかになりました。

この解読の結果、ヒトゲノムのうち遺伝子として機能しているのはほんの2~3%の部分に過ぎず、残り98%の領域は「ジャンクDNA」とか「ゴミ領域」と呼ばれる「がらくた」の集まりであるとみなされました。

実際、私もそのように教わりましたし、複数の教養本も、ゲノムの大部分は何の機能も果たさない「がらくた」が占めていると公言していました。

しかし、こころある科学者は、この98%の領域を自分たちの力不足で残された「未解明の領域」と呼んで真摯に研究を続けましたし、単なる素人科学愛好家に過ぎない私の直感も、この領域が単なる「がらくた」ではなく、何らかの機能を果たしていることを強く訴えていました。

■名誉回復なった「ゴミ」と呼ばれた領域

そうして今回の発表になったわけです。
やはり「ゴミ領域」は単なる「がらくた」ではなく、何らかの役割を果たしていたのです。

しかも今回の研究成果により、この部分は、2%のタンパク質を作る設計図としての遺伝子とは異なり、それらの遺伝子を働かせるスイッチの役割を果たすことが特定されたもようです。

そして少なからずの疾病が、遺伝子そのものの変化ではなく、「いつ、どこで、どのように遺伝子上のスイッチがオン・オフになるか」に起因して発生することがわかったとのこと。

つまり、これまでは、ある疾患がDNA上のタンパク質合成設計図の異変により発生すると考えられていたものが、実はそれだけではなく、その設計図を発現させるスイッチを担うDNA部位の異変によっても発生することが突き止められたということです。

実際、これまで何の関係もないと思われていた、ぜんそくや全身性エリテマトーデス(紅斑性狼瘡)、多発性硬化症の間にも、免疫システムを調整するある特定の遺伝子調節タンパクを通じ、その関連性が明らかになったとしています。

今後、このスイッチに起きる異変を調べることにより、各種病気の成り立ちを明らかにし、治療や予防への道が開拓されていくことが期待されます。

■素朴なハテナを大切にしよう!

以前にも書きましたが、専門家の言うこと、学界の「常識」を鵜呑みにして、思考停止に陥らないことが大切です。

もちろんその道の研究というものは門外漢が想像している以上に精緻かつ奥深いものなので、素人が簡単にその議論に口を挟むことはできないものですが、逆に専門家は余りにも深いところに入り込んで微妙な議論に力を注いでいるために、そもそもの入り口の部分の議論はすべて終わったものとして、触れようとしないことが多いものです。

ちなみに、私が個人的に追いかけているのは、特殊相対性理論における「エーテル」(世界を満たす光波の媒質)の復活と、進化論における「獲得形質の遺伝」(個体が後天的に獲得した形質を何らかの遺伝的仕組みで次の世代に受け継ぐこと)の復活です。

まあ、これだけ言うと一笑に付されるだけでしょうが、本人はいたって真剣です。詳しいことはまた別の機会で話をしたいものです。

■用語解説

最後に、関連用語が分かりにくいので、整理しておきます。
分かりやすさを優先したため、正確な定義ではない点、悪しからず。

◎「DNA」
ひとつひとつの遺伝情報を構成する化学物質。デオキシリボ核酸。
デオキシリボース(五炭糖)とリン酸、塩基から構成される高分子化合物で、2本の鎖状のDNAが、塩基の部分で相互に水素結合により結びつき、いわゆる二重螺旋構造をなす。

4種類の塩基、アデニン、グアニン、シトシン、チミンの並び順が、タンパク質合成の設計図のコード化されたものと考えられる。

ひとつのDNAに塩基対(水素結合した塩基の組み)が5000万から2億程度含まれる。
ひとつの細胞の中のDNAをまっすぐ伸ばしてつなぎあわせると、1.8mもの長さになるといわれる。

◎「染色体」
非常に長い1本のDNAがタンパク質ヒストンなどに巻き付いて折り畳まれた構造体。

通常期には鎖状になっており、細胞の核の中に存在する。(狭義の染色体と区別して「クロマチン」と呼ばれることが多い)

細胞分裂期にはさらに凝縮されX字型の構造体になる。(これが狭義の染色体)

ひとつの細胞につき、ヒトの場合、23×2=46の染色体が含まれ、60億の塩基対が含まれる。(精子や卵子は減数分裂した状態なのでその半分)

◎「(細胞)核」
細胞の中にあって、染色体を包む組織。細胞分裂期には消失する。

◎「遺伝子」
その生命体の遺伝情報を担う主要因子のことで、現在では、DNAの塩基配列の特定部位がその正体であることが分かっている。

◎「ゲノム」
その生命体を構成するすべての遺伝情報の総称。
遺伝子として作用する部分と、いわゆる「ジャンクDNA」の部分を含む総称。

以上です。
「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第7弾!
当記事は、2013年02月19日(火)投稿の記事の再掲載です。


素朴な疑問なんですが、「体内」って一体どこからどこまでを指すんでしょうね?

きっと医学的な定義はきちんとなされているのだろうとは思いますが。
あるいは発生学的観点とか形態学的観点とかで、定義が変わってくるんでしょうか?

私はド素人なので、以下は話半分に聞いてくださいね。

専門的なことは全く分からないので、ここでは純粋にトポロジー的な視点から考えてみたいと思います。
ただしトポロジーに徹するといっても、複雑な動物の身体の構造の詳細まで考慮に入れていると収拾がつかなくなるので、常識的なところで手を打って話を簡単にしたいと思います。

トポロジー的な観点で見ると、人体の口から食道を通って、胃、小腸、大腸、直腸、肛門にいたる管(空間)は、ドーナツの真ん中の穴にあたると考えることができます。(厳密には各器官に入り口や出口の弁(蓋)があったりしますが、この際、無視します)

ドーナツの真ん中の穴(空間)はドーナツの内部か外部か?と問われれば、まあたいていの人は「外部」と答えるでしょう。
したがって、胃や腸の中は身体の外部と言えそうです。

この場合、胃や腸の内壁のひだが、身体の外部(胃の内部空間)と身体の内部とを繋ぐ境界になります。
ということは、つまり、ヒトが外部から内部に栄養を取り込むのは、口からではなく、胃の内壁のヒダからということになります。
口は単にそこまで食物を運んでくるための外部の通過点のひとつに過ぎないというわけです。

胃の中(の空間)は身体の外部ですが、そんな胃のイメージとしては、体表に仕切りを設けて、そこに胃酸という分泌液を貯めて、獲物が来るのを待っているって感じですね。
もちろん、獲物は勝手に来るというより、口から舌や食道の蠕動運動などで胃に送られてくるわけですが。

同じように考えると、肺の内部もちょうど身体の外部に面しているし、子宮も外部に面しているし、鼻の中の粘膜も外部との境界といえますね。

同じ内蔵でも、肝臓やすい臓などは体内と言っていいのではないでしょうか。

では腎臓や膀胱はどうでしょう?
腎臓は血液から不要なゴミをろ過して膀胱に送り出すわけですが、膀胱から排尿器官までの尿道の細さを考えると、厳密にトポロジー的には外部かもしれませんが、外部と称するには無理があるように感じます。

ここまで来るとなかなか微妙なところがありますが、胃や腸の中が身体の外部だという考えは結構インパクトがありますよね。

ちょうど、日本列島を大陸側から見たら、いつもと違った感覚が得られるのと同じような意外性が感じられます。
「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第6弾!
当記事は、2012年12月08日(土)投稿の記事の再掲載です。

日頃から物事をできるだけ客観的に見るよう心がけているつもりですが、それでも視野はどうしても狭くなりがちです。
立ち止まって一度他人の立場に立って見てみると、状況が全く別の様相を見せることがしばしばあります。

将棋で加藤一二三 九段 (当時)が対局相手の座っている背後に回って盤面を覗きこむことがあったと聞きますが、あの気持ちはよくわかります。
もちろん普通に対局しているときも手を読むときは相手の身になって次の一手を考えているわけですが、それでも実際に相手側から見てみるのとは随分感じが違うはず。

最近は韓国や中国と領土問題についていろいろ取り沙汰されていますし、そうこうするうちに今度は北朝鮮が「人工衛星」打ち上げで世間を騒がせています。

ということで、世界地図も、いつもの視点からちょっとひっくり返して、大陸側から見てみることにしましょう。

$Thinking every day, every night-大陸から見た日本列島

こうやって見ると、ロシアや北朝鮮、韓国、中国が、カムチャツカ半島ー千島列島ー日本列島ー南西諸島ー台湾…と続く「天然の防波堤」で太平洋の荒波から守られている入江のようになっていることが見て取れます。

日常的な感覚では、千島列島や南西諸島は島が点在しているだけのように思えますが、こうやって見るとずらっと連なった防波堤ですね。

逆にいうと、太平洋に出るためには、これら天然の防波堤のすき間をすり抜けて脱出する必要があるということになります。

その防波堤部分のなかでも、特にロシアから樺太(サハリン)ー日本列島ー朝鮮半島の部分はほとんど大陸と陸続きのように見えます。

日本海は海というより内海、もっといえば湖のようで、朝鮮半島東側一帯から満州、ロシア東岸にかけての地域はその湖のほとりといった感じでしょうか…

これでよくもまあ日本は大陸の諸外国に占領されなかったものだと感心しきり。

またこの地図を見ると、中国にとって、日本は、少なくとも地勢学的にはあくまで周辺辺境地の瑣末な島嶼に過ぎないことが分かります。

と同時に、外海に出ていくときにはどうしても南西諸島を通らなければならないので、その一帯が日本に所属する現状はとても邪魔なんだろうなと他人事ながら思います。

この地図を見るだけでもまだまだ示唆を受けることはありそうですが、今日はひとまずこんなところで。
「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第5弾!
当記事は、2011年11月09日(水)投稿の記事の再掲載です。一部、訂正と追記をしています。

光速より速いニュートリノの存在が実験により観測されたとの報道が全世界を駆け巡り話題になっています。
これは確かに非常に興味深い(予想外の)実験結果です。

しかし同時に、この実験結果の綿密な検証を実施する前に、曲解したり過大評価したりして世間を無用に扇動する行為は慎むべきでしょう。
案の定、このニュースが流れるや、「これでタイムマシン実現の可能性が俄然高まった」とか「相対性理論は根底から覆された」などの風説がまことしやかに新聞や雑誌の見出しを飾っていますね。

結論から先にいうと、この実験結果だけで特殊相対性理論が根底から覆るなどということはまず無いと思われます。もちろん再考のよい契機にはなるとは思います。

また、タイムマシンの話は、この実験結果が云々という前に、相対性理論を巡って当初から今日に至るまで諸説紛々であり、この実験結果によって話が急展開するような話ではないと思われます。

■簡単に特殊相対性理論について

特殊相対性理論は「光速度不変の原理」と「相対性の原理」の2つの原理から出発します。

光速度不変の原理」はその名の通り、世界のどんな観測者から見ても光の速度は一定であることを要請しています。

たとえば、あなたが地球上に静止していて、目の前を光速に非常に近い速度(たとえば秒速27万km)の夢の超高速旅客機が飛んでいるとします。そしてその超高速旅客機の前面から進行方向に向けて光が発射されます。

このとき、超高速旅客機の中からこの光を見ると、「光速度不変の原理」により、秒速30万kmの猛スピードで旅客機から遠ざかっていくのが見えます。

一方、地上にいてそれを見ているあなたには、光はやはり秒速30万Kmで旅客機の前方に飛んでいくのが見えます。

しかし、旅客機自体が光速に近いスピードで走っていますから、光は旅客機から発射されたあと、少しずつ少しずつ旅客機から遠ざかっていくのが観測されるはずです。

つまり、機長から見ると、光は1秒後に旅客機から30万kmのかなたに離れていくように見える一方で、地上のあなたから見ると、光は1秒後に旅客機のせいぜい3万km程度だけ前に進んでいるように見えるのです。
これを言い換えると、あなたが1秒後に見ている状況は、機長からすると、1/10秒後の状況だということです。
つまり機長の時間の進みはあなたの時間の進みの1/10といえるわけです!
この特殊相対性理論のパラドキシカルな特徴は、多くの人々の興味を惹きつけます。

相対性の原理」は、ごく簡単にいうと、世界の任意の観測者の間で、どちらが静止していてどちらが動いているかを判断することはできない、あるのは互いに相対的な関係だけだという要請です。

言い換えれば、宇宙に絶対的な座標軸を設定することはできないということです。
もっと物理学的な表現を使えば、力学法則はどの慣性系においても等しく同じ形で適用されるということです。

逆にもう少し身近な表現を使えば、地球上から打ち上げられたロケットと地球の関係は、一般常識的にはあたかも基準が地球にあって、ロケットはそこから派生的に飛び出したかのように感じられますが、そうではなく、地球から見ればロケットは前方に時速n kmで遠ざかっており、ロケットから見れば地球が時速n kmで後退しているにすぎず、それらの間に何か優劣とか格差は存在しないという要請です。

↑上記定義の前半部分「世界の任意の観測者~宇宙に絶対的な座標軸を設定することはできない」という部分は世間一般に流布する定義ですが、実は私はこのような解釈(相対性の原理は「世界はXXXである」と世界の成り立ちについて語っているとする解釈)を言い過ぎだと考えています。詳しいことは別の機会に述べたいと思いますが、ここでは世間一般の定義を記しておくことにします(2012年12月9日追記)

この2つの原理は理論の大前提であり、特殊相対性理論の中で理由を説明することも証明することもできません。
逆にこれらの原理のいずれか一方でも正しくないことが実証されれば、特殊相対性理論は誤謬となり、修正もしくは破棄を余儀なくされます。

ちなみに2つの原理のうち「光速度不変の原理」は数多くの検証結果によりかなりの精度でその正しさが認められています。

「相対性の原理」のほうは、実証するというより、考え方の根本原理のような位置づけに近いと思われます。
↑この点について少し補足すると、「相対性の原理」はこの世界に絶対的座標といえるものは存在しないことを要請しているように見えますが、私論では、そうではなく、もしかしたら人類が宇宙全体をひとつの「全体」として把握できたあかつきには、その中に存在する「もの」はすべてその「宇宙全体」という絶対的座標の中に位置づけることができるかもしれないと考えます。
ただ、宇宙に存在する任意の「もの」について普遍的法則を定式化する目的から考えると、宇宙に存在する任意の「もの」同士の関係性は相対的であるという前提で法則を定式化するという要請と理解しています。(あくまで私論ですが)(2021年12月26日追記)


■今回の発見から言えること(言えないこと)

ここまでみてきた限り、「質量のあるすべての物体は光速度を超えられない」という法則はどこにも顔を出しません。

そして実際、特殊相対性理論自体は「質量のあるすべての物体は光速度を超えられない」とは一言も語っていないと私は考えます。

「私は考えます」と歯切れが悪いのは、確かにそのように言っている物理学者も少なくないので、譲歩したわけです(笑)
うん、Wikipediaにもそう書いてありますね(苦笑)

特殊相対性理論について、せいぜい言えるとすれば、以下のようなことになると考えます。
  • 光速度不変の原理と相対性の原理から出発して定式化される特殊相対性理論の数式によると、観測者からの相対速度が光速に近い物体を光速度に限りなく近づけていくと、質量ないしエネルギーは無限大に発散し、長さはゼロに限りなく近づき、その物体上での時間の進み方は限りなくゼロに近づく。

  • もしもその物体が光速度に達した場合、その物体の質量ないしエネルギーは不定(分母がゼロの割り算)になり、長さはゼロになり、時間は停止する。

  • もしもその物体が光速度より大きい場合は、質量ないしエネルギーは虚数(2乗するとマイナスになる数)となり、長さも虚数となり、時間の進みも虚数となる。

参考までに、特殊相対性理論において定式化された時間と速度、質量と速度の関係式を記載しておきます。





上式で、Δt は観測者の時間の進み。
Δt' は観測者に対して相対速度 v の物体の時間の進み。
m は観測者から見て静止している物体の質量。
m' は観測者に対して相対速度 v の物体の質量を意味します。


物足りませんか?

しかし、これ以上のことを言おうとすると、もはや純粋な物理学理論の数理・論理的議論に閉じた世界に収まらず、数式が現実世界のいかなる意味を表しているかという「解釈」の世界に踏み込むことになります。

もちろん、物理学が実用的であるためには数式を「解釈」して現実世界に結びつけることが不可欠なのですが、ここで言いたいのは、同じ数式に対して、矛盾が生じない限り、いろいろな「解釈」が可能だということです。

「速度と質量の関係式に物体の速度=c(光速度)を代入すると質量が不定(ゼロ割)になる」とか「速度と質量の関係式で物体の速度をcに限りなく近づけると質量の極限値が無限大になる」ということから「質量のある物質は光速度に達することができない」と「解釈」することもできますが、そうではない「解釈」もできます。

ただ、大方の科学者は前者が正しいと「解釈」しているというだけです。
(多くの科学者は上のような解釈の選択を自らが行なっていることを自覚しておらず、自分の「解釈」が唯一で必然の「真理」と信じているのかもしれませんが)

極端な話、たとえば「特殊相対性理論の数式は、物質が光速度より小さい速度の場合にだけ適用できる物理理論であり、光速度ないし光速度を超える場合には適用外(別の法則が適用される)」と考えることだって可能です。(そして実をいうと、私はこの可能性が結構高いのではないかとすら思っています)

ただし、この場合は、現在の特殊相対性理論の適用範囲を制限するという意味で、特殊相対性理論に少し修正を加える必要がありますし、適用範囲外の事象に適用しうる理論を別途構築する必要がありますが。

これ以上話を突き進めていくと、科学とは?数学とは?という科学哲学や数学基礎論の議論に入ってしまうので、ここまででやめておきます。

要するに、仮に超光速ニュートリノの存在が事実だとしても、光速度不変の原理と相対性の原理という、たった2つの原理からのみ出発する特殊相対性理論の根底を覆すことにはならないだろうということが言いたかったことです。

ちなみに、今回の超光速ニュートリノ発見を受けての新たな発想として、特殊相対性理論の原理のひとつを「光速度不変の原理」ではなく「ニュートリノ不変の原理」に置き換えられるのではないか?というアイデアも考えられます。

これにより、ニュートリノが光速を超えることが特殊相対性理論に抵触することがなくなります。
しかし個人的には(あくまで推測でしかありませんが)、質量がゼロという光子(フォトン)の性質はやはり宇宙の何らかの性質を背景にした特殊な性質であり、質量のあるニュートリノとは別格ではないかと思われます。
つまりニュートリノの速度をすべての観測者から不変な存在に祀り上げることには無理があるのではないかと思っています。

なお、超光速ニュートリノによるタイムマシンの話については、また別の機会に論じたいと思います。
というのも、世にあるタイムマシンの思考実験に本当に抜け穴・ほころびがないことに、私はいまひとつ確信が持てないうえに、仮にその思考実験に間違いがなかったとしても、「理論上できる」ということと、「現実の生身の人間や乗り物や通信手段で実現可能」ということの間にはあまりにも大きな隔たりがあると思うからです。

最後に、特殊相対性理論批判によく見られる誤解について触れておきたいと思います。

物体の長さが縮んだり、時間の進みが遅くなったりするのは、観測手段・時間測定手段に光という特殊な存在を使っているから、そのように見えるのだ、ということを主張する批判者がいます。

確かにアインシュタインは分かりやすい例として、光を観測手段・時間測定手段として思考実験を行ったため、このような誤解が招いたのだと思いますが、特殊相対性理論は観測手段に依存せず成立する理論です。

最初に説明した通り、すべては「光速度不変の原理」と「相対性の原理」だけから出発します。
↑この「特殊相対性理論は観測手段に依存せず成立する理論」という点に関しても、実は自明ではないかもしれないと個人的には思っています。いや、もっと正確に言うと、物理学としての理論(数学的な定式化)としては観測手段に依存しない理論だが、実はその言わんとするところは認識論的な命題なのではないかという推測です。う〜ん、簡単な言葉でうまく表現できませんが。(これもどこかで詳細を考察して論じたいと思っています)(2021年12月26日追記)
「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第4弾!
以下の記事は、2011年09月06日(火)投稿の記事の再掲載です。


常識がいかに脆いものであるかを示す古典的な問題をひとつ紹介します。

■問題
長い紐(ひも)を用意し、地球の周りをぴったり囲んだとします。
そしてこの紐の長さを1mだけ長くします。
すると、紐が長くなった分だけ、紐と地球の間に隙間ができるはずです。
どのくらいの長さの隙間ができるでしょう?

$Thinking every day, every night-地球を囲む紐


非常に長い紐をたかだた1m長くしたくらいでは、隙間などほとんどできるはずがないというのが常識的な直感だと思いますが、いかがでしょう。

では実際に計算してみましょう。

地球は立体ですが、この問題に関する限り、地球の断面、すなわち円とその円周の問題として考えれば十分です。

まず円の公式を確認しておきましょう。
【公式】 円周 = π * 直径

ここで、地球の半径をrとすると、
 地球の円周 = 2πr …(a)

次に、1m長くした紐で作る円を考えてみます。
その半径をRとすると、
 1m長くした紐で作った円周 = 2πR …(b)

(a)は元々の紐の長さそのもの、
(b)は1m長くした紐の長さそのものですから、
 (b) = (a) + 1

したがって、
 2πR = 2π r+ 1

これを変形して
 2πR - 2πr = 1
 2π(R-r) = 1
 R-r = 1/(2π)

π≒3.14...なので、
 R-r ≒ 0.16 …(c)

すなわち、紐をたった1m長くしただけで、隙間が地球の周りに16cmもできてしまう計算になります!
意外ではありますが間違いありません。これが真実です。

さて、(c)式が暗に物語っている事実があります。
それは何でしょう?

それは、地球の半径rがどんな値であれ、この問題の答えは一律16cmだという事実です。
言い換えると、周囲が10cmのボールをぴったり囲む紐を1m長くしても、それによってできる隙間はやはり地球の時と同じく16cmだということです!

もちろん、太陽の周りを囲っても結果は同じ16cmです。実際には紐が焼き切れてしまいますが(笑)
「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第3弾!
当記事は、2011年09月14日(水)投稿の記事の再掲載です。


私のライフワークの一つは「無限論」なわけですが、このブログではなかなか取り上げることができていません。
専門分野になると逆に、「あれも書かないと誤解される」、「こんな表現では誤解される」などと気になり始めて、踏ん切りが付かなくなってしまいます。

実を言うと、これまでにも下書きレベルでそこそこの量の「無限」に関する記事を書いているのですが、そんなわけでなかなか日の目をみることができません。

そこで、簡単なところから入ってみることにしました。
まず、私がどんな経緯で「無限」について深く関わり始めたかを紹介したいと思います。

私と「無限」との出会いは以下の2つのパズル?(数学的な問題)に始まります。

【問題1】

0.9999..... = 1 か?

以下に証明を示します。これが正しいか正しくないかはここでは言及しません。

x = 1 とすると、
x/3 = 1/3
  = 0.3333...   …①
①の両辺に3をかけると
x/3 * 3 = 0.3333... * 3 = 0.9999... 
よって
x = 0.9999...
∴ 1 = 0.9999...

しかし、一方で、直感は、0.9999.... と9がどこまで続いても、決して1には繰り上がることがないことを強く主張します。

上の証明が正しく、直感が間違っているのでしょうか?
それとも上の証明にはどこかに破綻があり、直感が正しいのでしょうか?
それともどちらも誤りで、第3の解があるのでしょうか?


【問題2】

1辺が1cmの正三角形があります。
頂点を A, B, C とし、
A から B を通って C に行くとします。
すると、全体の走行距離は線分 AB + 線分 BC = 2cm になります。
Thinking every day, every night-三角形無限長

さて、次に経路を変えます。
AB の中点と BC の中点と AC の中点を B1, B2, A1とし、それら中点で綴れ織りになる経路を通ることにします。すなわち、A→B1→A1→B2→C という経路です。
この経路の長さは何cmでしょう?

図を見ればわかるように、B1→A1 の長さ = B1→B の長さです。
同じく、A1→B2 の長さ = B→B2 です。
なので、経路の長さは結局、先程と同じ2cmになります。

次に、A と B1 の中点を B3、B1 と A1 の中点を B4、A1 と B2 の中点を B5、B2 と C の中点をB6、A と A1 の中点を A2、A1 と C の中点 A3として、それら中点で綴れ織りになる経路を通ることにします。すなわち、A → B3 → A2 → B4 → A1 → B5 → A3 → B6 → C という経路です。
この経路の長さは何cmでしょう?

先程と同じ論理で、結局、2cmのままです。
ここまで、良いでしょうか?

このようにして通る三角形の山を半分、半分と小さくしていくと、いくらでも三角形の高さをゼロに近づけることができて、しかも常に経路の長さが 2cm になることがわかります。

さて、ではこうやって限りなく経路の三角形の高さを半分にしていったら、最後に経路の距離は何cmになるでしょう?

いくら続けても 2cm のまま?
しかし、三角形の山を小さくしていくと、限りなく直線 AC に近づいて行きます。直線 AC の長さは 1cm です。


【問題1】と【問題2】は同じような論点を数字と図形とで表現しています。
そしてそれは、有名な「ゼノンのパラドックス」の第1のパラドックス、「アキレスは亀に追いつけない」という問題にもつながります。

これらの問題はしばしば、単に数学への不理解として片付けられます。
私も当初はそう考え、問題は数学をちゃんと理解すれば解決済みとして思考停止していました。

しかし今の私は必ずしもそうは思いません。
これらの問題は、考える価値のある問題、数学という学問そのものの成り立ちを問いかける問題として、重要な意味を持つ問題と考えています。

以上が、私が「無限論」をライフワークにしたきっかけです。
今後、このブログでも少しずつ、この話題について語ってきたいと考えています。
皆さんも上の2つの問題について、少し頭を悩ませてみてはいかがでしょうか?

「過去記事を甦らせよ!」シリーズ第2弾!
当記事は、2011年08月30日(火)投稿の記事の再掲載です。


今日は久しぶりに私の専門領域の一部である数学の話を。
「ビュフォンの針」という問題をご存知ですか?
一般化すると難しくなるので、簡単な数値で問題を記述すると以下のような問題になります。

問題:「床に2cm間隔で平行線が無数に引かれているとする。いま、1cmの長さの針をその上にほうり投げたとき、針が線と交わる確率を求めよ

この問題は積分と幾何学を使って解くことができますが、結構難しい証明になるのでここでは取り上げません。興味を持った人は、ネットで検索して確認してみてください。ここでは解答だけ示します。

答えは、です。(πはいわゆる「円周率」ですね)

直線の問題と思っていたら唐突にπ(円周率)が出てきて驚きの解答でしょうか?
それとも何となく納得できるような、できないような感じでしょうか?
エレガントな解答にドキッとしましたか? えっ、全然エレガントとも思えない?

この解により、実際に床に線を引いて針を投げてみることで、πの近似値を求めることができます。
ただ実際には相当回数投げないとちゃんとした精度の円周率は得られないので、この方法で円周率を求めようなどとはくれぐれも思わないように!(って、そんな暇人はどこにもいないか)

ちなみに平行線の間隔を、針の長さをとした一般解は

のとき

のとき
※数式の最後の部分「%2B1」と表示されている場合は本当は「+1」と表示するつもりです。何故か私の環境では変換されないまま表示されてしまっています。原因不明。

ここまで来ると明らかにエレガントさに欠けますね。

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ただでさえ滞りがちな当サイトの投稿ですが、最近さらに身辺が忙しくなったため、なかなか更新できない状況に追い込まれています。

そこで、年末でもありますし、過去の記事から選りすぐりも記事をピックアップして再掲載(日付をアップデート)しようと思います。

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当記事は、2011年02月05日投稿の再掲載です。


大学では哲学を専攻しましたが、実は高校時代はバリバリの理系でした。
というか、一番の得意科目が数学で、数学教師に向かって「空間の無限分割可能性が数学の無矛盾性を破綻させているのではないか」みたいな議論を吹っかけては困らせるような可愛くない生徒だったので、教師も私が将来は数学の教師になるものと期待していたようです。
そんなわけで大学の哲学科でもカントやヘーゲルではなく、もっぱら科学哲学や数学基礎論、相対性理論の哲学的な意味などを好んで研究しました。

そんな私ですから、世の数学好きの例にもれず、数学に格別の「美」を感じたりしています。

なので小川洋子さんの小説『博士の愛した数式』が出版され、また映画化されたときはとても嬉しく思いました。

私が最も美しいと思う数式はこの作品のなかでも触れられて有名になった次の数式です。

  

この等式は一般に「オイラーの等式」と呼ばれています。
は自然対数の底として知られるいわゆるネイピア数、 2.71828・・・と無限に続く無理数であり、はご存知のとおり円周率でこれも無理数、そしては2乗して-1になるいわゆる虚数単位です。

これら互いに全く関係の無さそうな、しかもそれぞれが数学の世界で重要な基本要素と考えられる、そして1、0がひとつの数式で見事に関係し合い、釣り合いをとっている。

19世紀の数学者にしてハーバード大学教授ベンジャミン・パースの次の言葉がまさにこの数式の本質を物語っています。
「これはまったく逆説的だ。我々はそれを理解できないし、それがどんな意義を持っているかも知らない。しかし我々はそれを証明したし、ゆえにそれが真実に違いないと知っている」(It is absolutely paradoxical; we cannot understand it, and we don't know what it means, but we have proved it, and therefore we know it must be the truth.)

う~ん、何度見ても美しい数式です!

このように、数学に美を感じるとき、私たちは見た目の形式美だけでなく、その数学的な意味も含めて「美」をとらえているといえるでしょう。

美を感じる数式として他にもたくさんありますが、たとえば次の数式はどうでしょう。
先ほど出てきたネイピア数に関する数式です。

  

ここで 3! とは3の階乗で、3x2x1のことです。
これもなかなか素敵ですね。


ではこれは?

  

これも右辺はすばらしいですが左辺の2乗と6で割っているところがいまいちですね。


ではこれは?

  

う~ん、これももう一息かな。


ではしつこく、これは?

  

おお! これはいい線行ってますよね!

今回は無限級数ばかりを取り上げましたが、数学の世界にはこの他にも美を感じる数式がたくさん転がっています。

もし上のような数式に美を感じ、もっともっと触れてみたいという方がおられれば、次の書籍があります。中身はひたすら無限級数のオンパレードです(笑)

『πとeの話―数の不思議』(Y.E.O.エイドリアン著)


数式といえば、相対整理論で出てくる有名な数式。

  

「物質の質量mに光の速度c(約30万Km/秒)の2乗をかけたものが物質のエネルギーeと等しい」という意味で、ここになぜか「光速度」の2乗が出てくる「唐突感」が何とも言えずシビレますね。

と、話は尽きませんが、今日はこのくらいにしておきましょう。

※なお、今回、数式はGoogle Chart ToolsのAPIを使って描画しています。TeXでの記述になるのでちょっと面倒ですが、特別なツールが必要ないのがいいですね。Googleさまさまですね。

よく「昭和・平成の名曲ベスト100」みたいなテレビ番組がありますよね。そういう番組をよく見ると、歌い出しにタイトルと一緒に作詞・作曲・編曲者が表示されます。

 

そして「この曲はやっぱりセンスあるなあ〜」と改めて感動するような過去の作品が、実は自分が日頃から贔屓にしているアーティストによる楽曲提供作だったことが分かって「なるほど、そういうことか」と合点がいくことがしばしばあります。

 

楽曲提供するアーティストはたくさんいるので、それをすべて挙げていてはきりがありませんが、ここでは私の独断で4名のアーティストを取り上げてみました。

全然目新しい情報ではありませんが、意外に忘れてたりします。

 

取り上げた4名のアーティスト。

・財津和夫

・松任谷由実

・大滝詠一

・井上陽水

 

 

■財津和夫


松田聖子

『チェリーブラッサム』 作曲

『野ばらのエチュード』 作曲

『白いパラソル』 作曲

『夏の扉』 作曲

 

沢田知可子

『会いたい』 作曲

 

 

■松任谷由実

 

アン・ルイス

『甘い予感』 作詞作曲

 

小林麻美

『雨音はショパンの調べ』 日本語詞

 

■松任谷由実<呉田軽穂 名義>

 

松田聖子

『赤いスイートピー』 作曲

『渚のバルコニー』 作曲

『小麦色のマーメイド』 作曲

『秘密の花園』 作曲

『瞳はダイアモンド』 作曲

『Rock'n Rouge』 作曲
 

■松任谷由実<荒井由実 名義>


バンバン

『いちご白書』をもう一度』 作詞作曲

 

三木聖子、石川ひとみ、他

『まちぶせ』 作詞作曲

 

アグネス・チャン

『白いくつ下は似合わない』 作詞作曲

 

 

■大滝詠一

 

松田聖子

『風立ちぬ』 作曲・編曲(編曲は多羅尾伴内名義)

 

森進一

『冬のリヴィエラ』 作曲

 

吉田美奈子、シリア・ポール、他

『夢で逢えたら』 作詞・作曲・編曲とも

 

太田裕美

『さらばシベリア鉄道』 作曲

 


■井上陽水


中森明菜

『飾りじゃないのよ涙は』 作詞作曲

 

PUFFY

『アジアの純真』 作詞

『渚にまつわるエトセトラ』 作詞

 

安全地帯

『ワインレッドの心』 作詞

『恋の予感』 作詞


以上です。