【取材レポ004】五百旗頭義高さん | Job Pedia

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平凡な女子大生3人お届けする、社会人への突撃取材ブログ☆
「自分らしく、楽しく、イキイキと働く」ためのヒントを、
実際に働いている大人の方々から聞いてきました!



今回は、日本航空(JAL)で働く五百旗頭さんへインタビューを行いました!



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それでは取材レポ、どうぞお楽しみくださいっ!!



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―本日はよろしくお願いします。(ライター一同)
まず自己紹介をお願いします(*^_^*)


(五百旗頭さん)

よろしくお願いします。

1985年に入社して羽田空港にて2年間勤務した後、大阪の予約センターに2年いました。そこで現場を知ることができ、そのあとは、短期派遣員でニューヨークで営業をしていました。

航空会社に営業のイメージってないですよね?

旅行には個人旅行と団体旅行の二種類があります。私たちは企業の周長のパッケージうぃ請け負う場合があり、日本国内、そして、世界各国に活躍の場を広げる企業、ビジネスパーソンにとってJALは必要不可欠な存在となります。そして、私たちはそのような企業とお取引をさせて頂いており、商談や提案をさせて頂いています。その商談を営業部が請け負います。

営業当時、私は日系企業の担当になりました。だから英語を話すときもあったが、ほとんどは日本語で大丈夫でした。1日に『Hello』と『Good bye』の二言しか英語を話さなかった日もありました(笑)

仕事も私生活も充実していました。予約センターと空港、そして営業という現場を知ることができました。そのあとは日本に戻って、本社の営業本部の企画部門に所属していました。

そこでは『マイレージカード』の企画を立ち上げました。その仕事を終え、次はロンドンです。今オリンピックが開催されて盛り上がってますけど、とっても良いところでした!そこでは5年間勤務して、帰国しました。
帰国後は、販売部門に7年在籍しました。そして現在は、マイレージ部で責任者を務めています。


――海外でバリバリ働いていていたんですね!あれ、ところでマイレージカードって、、、(ライター)



みなさんマイレージのカードって持ってます?

(JALマイレージバンクとは、搭乗や宿泊、ショッピングなどで貯めたマイルを航空券や電子マネーなど豊富な特典と交換することができるJALのマイレージプログラムになります!)

日本でマイレージがない頃に私は、アメリカでマイレージ制度を見て感銘を受けました。
そこで是非日本にも導入したい!とずっと思っていました。そこで私は担当者として企画をたちあげたのです。

その時はもう、、人生の中でいちばん働きました。(笑)
まず終電を逃す。会社で寝る。朝はやくから会社で働く。もう毎日の睡眠時間が3、4時間でした!!!

―えええ!!!(ライター騒然)
どうしてそんなにも忙しかったのですか?

まず、初めての企画だから、色んな部署と調整が必要になります。やっぱり商売だから収支計算をして、どうすれば会社に利益が出るのかを考えながら企画書を書きました。そして最も大事ことはお客さまにどのようにアピールするか。デザイン、名称、そしてプログラムの中身をどのように魅力的にするか。企画と宣伝とシステムを一手に請け負ったような仕事でした。

社内でも初めてのことなので何度も話し合いを重ね、できあがりました。

大変な企画だったけど、多くの方にとって魅力的なものだと思っていたし、自分もアメリカでマイレージを見てきて是非日本のお客さまに使ってほしいという強い想いがありました。だからこそ、終電を逃しても、睡眠時間を削ってもなんとしてもやり遂げようと思いました(^u^)


―今やみんなが知っているマイレージですが、それだけ大きな企画だっただけに負担も大きかったのでは・・・?諦めたくならなかったのですか?

プロジェクトが成功できるっていう自信はあったし、それは会社人生をかけてでもやろうって思ってました。それが世の中にどう受け入れられるかは不安でしたけど。

何でもはじめてのことは、みんな慎重になるものです。色んな人が心配していたし期待もしていたと思います。その何百人もの人のベクトルを一つの方向に持っていくことはとても大変だったけれど、それができたときには嬉しかったです。

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―自分たちが苦労して完成させたものを、多くの人が利用しているってとても喜ばしいことですよね(*^。^*)このお仕事を長年されている五百旗頭さんは、色んな困難を越えてきたと思いますが、一番嬉しかったことって何ですか?

会社の再建が順調に進んでいることです。

入社したとき、綺麗な人がいっぱいいるし、なんだか華やかだし、良いところに入ったなあって思っていました(笑)
しかし、入社した年の8月、御巣鷹山で飛行機の事故があって、520人もの方が亡くなりました。新入社員の僕には、まったく状況がわからなかった。飛行機がレーダーから消えたってどういうこと? 520人の命の重さを慮り、途方に暮れました。

そして、事故から1カ月、現地に行ってお手伝いをしました。そこで私たちは大変なことをしてしまった、人の命が奪われるというのはこういうことだと実感しました。それは忘れられない記憶で、私が入った会社は決して華やかではない、とんでもない責任を負っている会社だと気付きました。


そこから始まり、みなさんもご存じのとおり2010年1月にJALは破綻しました。正直、ここ10数年、テロ、疫病、燃油の高騰といろいろなことがあり、航空業界も大変でしたが、それでも破綻はしないと思っていました。公共の乗り物は必要とされるものだし、心のどこかでなんとかなる、きっとどこかが助けてくれるだろうと、どこかで慢心があったのです。

私は、恥ずかしながら新聞を見て破綻を知りました。でも、破綻し飛行機が止ると、日本国民に更なる多大な影響を及ぼすと当時の政府は判断し、国や国民の皆さまのご支援により
なんとか飛行機は飛ばせて頂ける状況になりました。

だけど、政府の支援があったとしても、クリアしなくてはいけない様々な障壁がありすぎて二次破綻するとまで言われていました。社員にも衝撃が走ったし、僕も不安でいっぱいだっでした。正直どん底でした。

2年間不安を抱えて、グループ社員は約5万人から約3万2000人になりました。会社を去らなくていけなくなった方もいます。今でも非常に辛い思い出です。でも、残った人間は、鶴丸のこの会社が好きだから、また、再生への最後のチャンスを頂いたのだから、それに応えなくてはいけないと各々奮起し、そこで社員の心がひとつになったと思います。



―そこからどのように現在のJALに変貌したのですか?

そこで京セラ・第二電電の創業者である稲盛和夫さんがいらっしゃいました。

稲盛さんは、社員一人ひとりが採算性を意識して仕事をすることや、人としていかに正しく生きるための理念を持つことが大事だと唱えてらっしゃいました。

私は、社員一人ひとりの生き方がこの結果を招いたと言われて、自分の生き方を考え直すようになりました。このような意識改革を経て、この会社を絶対良くしてやろうと思いましたし、
今いる3万2000人の社員も同じ気持ちになりました。

再建半ばですが、二次破たんを懸念されていた会社がここまで立ち直りつつあります。破綻以前に比べ、現在はまるで別会社にいるように、雰囲気が良くなったと思います。そのことがとてもうれしいです。会社に入って30年、今が一番苦しいけどやりがいを感じています。


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―雰囲気の良さは、JAL本社に入ったときから感じていました!破綻を乗り越えて、失ったものも多いけれど、きっと得たものも多いのではないかなという印象を受けます!!!自分の会社をそこまで愛することができる五百旗頭さんがJALに入ろうと思ったきっかけって・・・?

銀行かJALのどちらかがいいなと漠然に思っていました。空を見ながらどうしようかなと考え、なんとなく直感で決めました。(笑)

あとは、JALの先輩にお話しを聞いたことが大きかったと思います。企業選びってどうしてもイメージでしかないから、その雰囲気を知るためにも、行きたい企業の先輩に会うってとても大きいことだと思います。私は生まれ変わってもこの会社で働きたいと思います!!

―私たちも生まれ変わってもこの仕事がしたい!と仕事を楽しめる社会人になりたいです。五百旗頭さんのように『はたらく』を楽しめる人に共通していることってあるんですかね!?


逆説になりますが、稲盛さんに自分の仕事を好きになりなさいと言われました。社会で生きていく以上、辛い仕事がほとんど。本当に好きなことだけを仕事にできる人は少数で、大多数の人は辛い中でも、頑張らねばならない。人生の中で仕事に費やす時間は多いわけだから、仕事を好きにならなければもったいないです。

頑張ろう!好きになろうと思っているとなんとなく良い循環ができると思う。嫌な仕事が来たとしても、よし!やろう!と真剣に取り組むことで仕事がだんだん好きになると思います。

だから働くって楽しいって思っている人はきっと仕事が好きだし、楽しく働きたい人はまずその仕事を好きになるべきだと思います!!!


―ずばり!五百旗頭さんにとって働くとは!?

人間性を磨くこと。

正直、仕事は辛いことが多いです。辛いことをのりこえていくことが人生の分岐点になると思います。私は破綻を直面して、色んなことを根本的に見直すようになりました。マイナスをプラスに考えられるようになったし、人を巻き込む力を少しだけついてきたかと思っています。


私は『失意泰然得意淡然』という言葉をモットーにしています。
失意のときは落ち込んでもしょうがないからシャキッと構えましょう。得意なときは調子に乗らず、淡々としましょう、とういう意味です。

こうやって辛いことや楽しいことを仕事で乗り越えて人間性が磨かれていくと思います。

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―ありがとうございます!

旅行が大好きな私にとって航空会社で働くことはとてもキラキラして華やかで羨ましい、その印象がありました。

しかし今回お話を聞いて命を預かる、ということへの責任の重大さを改めて感じました。

そして再建後、五百旗頭さんは『同じ会社と思えないくらい社内の雰囲気が良くなった』とおっしゃられていましたが、本当に皆さん笑顔で働いていらっしゃいました。

その姿はとてもキラキラしていて、JALの社員の方たちはきっと五百旗頭さんのように『生まれ変わってもこの会社で働きたい』と答えるだろうな、と考えました♫

五百旗頭さん、貴重なお話をありがとうございました!



それでは次回の取材レポートをお楽しみにヾ(@⌒ー⌒@)ノ