JOA MUSIC HOUSE -4ページ目

KAI, EMIKO Project “Impression2”へのお誘い

暑い毎日が続いていますね。


今年は冷夏だという発表がありましたが、予想に反しての猛暑。
それに、年々暑さも酷くなっているような気がします。


爽やかな秋が恋しいです!


そんな秋の始まりに、芝公園の中にある、ザ・プリンスパークタワー東京1Fメロディラインで、KAI, EMIKO Project “Impression2”のジャズライブを企画しました。


スペシャルゲストには、素晴らしいヴォーカリストのラモーナを迎えています。


甲斐恵美子のオリジナルを中心に、ラモーナが歌詞をつけてくれた曲を交えながら、美しい初秋の情景を、音楽でお楽しみ頂きます。


皆さま、是ぜひいらして下さい!




日時:2015年9月10日(木曜日)
   開場 6:30pm Live Time 7:30pm~9:30pm 2回ステージ(入れ替えなし)


出演:compose,key&direct 甲斐恵美子
   Guitar 辻邦博
   Piano間宮文子
   Bess 河原秀夫
   スペシャルゲスト Vocalラモーナ
   サウンドエンジニア 柳島幸一


会場:ザ・プリンスパークタワー東京 1Fメロディーライン
http://www.princehotels.co.jp/parktower/melody/

料金:1名さま ¥4,500 ミュージックチャージ・フリードリンク付き(税別)


アクセスはこちら
http://www.princehotels.co.jp/parktower/access/#

お問い合わせ・ご予約は☎️03-5400-1153までどうぞ!

甲斐恵美子の独眼的大好きなミュージシャン vol. 3 ジャズボーカリスト ラモーナ

ある日のこと、「このレコード、ジャズなんだけれど聴いてみない?」と1枚のアイルバムを従兄弟が貸してくれた。今思えば、ジャズピアニストのビル・エバンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』だったと思う。
それは私が中学生の頃、初めてジャズと出会った時のこと。

両親がクラシックの音楽家であったこともあり、家にはいつも音楽が鳴っていたのだが、それまでジャズは聴いたことがなかったので、ただうるさい音楽としか思っていなかった。
ところが、レコードに針を落とした時、部屋いっぱいに広がる美しいピアノの音色に衝撃を受けて、「ジャズってこんなに素敵なんだ!」とすっかり虜になってしまった。

高校生になるころにはプロのジャズマンになりたくて、ピアノトリオを組んで日比谷のライブレストランに出演するようになった。
その時に出会ったのが我が師匠、ジャズボーカリストの大御所、マーサ三宅さんである。(マーサ三宅さんのことは、またの機会に書こうと思っている。)それが縁でラッキーなことに、多くのジャズヴォーカリスト達の伴奏をさせて頂く機会に恵まれた。
 そんな中、銀座のジャズクラブで出会ったのがラモーナだった。      
彼女はいつも「音楽が好きで好きでたまらない!」と言っていて、彼女が歌うと、たとえ英語が分からなくても胸がキュンさせられるほど、本当に素敵に歌ってくれるのだ。

ラモーナはアメリカ生まれで、サンフランシスコに14歳まで過ごしていたのち、父親の仕事の関係でフィリッピンのマニラに越し、そこで高校、大学へ進学。その頃に日本のレコード会社のオーディションに合格し日本に来日。然し親の反対にあい、2ヶ月でフィリッピンに戻ってしまう。
その後、フィリッピンの大学を卒業すると国際線のスチュワーデスになる。元来、音楽好きの彼女のこと、アルバイトとしてホテルでギターの弾き語りをしていたのだが、その圧倒的な歌のうまさが目に止まり、スカウトされてまたもや来日。今度は、日本で活躍することになった。
そしてすぐにホテルのラウンジやディナーショー、メジャーなジャズクラブ、ツアーなどでひっぱりだこになった。  

その頃、私は彼女に出会い、私がジャズハウスNARUでレギュラーになるまでは、細く長い付き合いだった。
その後、御茶の水NARUでハウスピアニストになってからは、ラモーナにはレギュラーヴォーカルとして、毎月出演してい頂いたことは私にとって金の思い出でもある。

天性の才能の持ち主のラモーナは、作詞作曲も手がけていて、全曲オリジナルのアルバムまで出している。
私の曲にも歌詞をつけてくれたことがあり、4月17日(金)にザ・プリンス・パークタワー東京のメロディーラインでのKAI, EMIKO Projetで発表したいと思う。
この日には、私のオリジナルを中心に歌ってくれるというこで、とてもとても楽しみにしている。

何年か前のこと、ある方がポケットマネーで小淵沢や軽井沢などの音楽ペンションで、個人的にライブを企画してくださり、ラモーナと一緒に音楽三昧の旅をしたことがある。
ある時、急にラモーナの具合が悪くなってしまい。ライブの時間に歌えなかったことがあった。
少し休んで元気になったラモーナはアフターアワーに、『お詫びに』と言ってそこにあったギターを手にすると、延々とギターの弾き語りで歌ってくれたのだ。

その時の私は、モチロン、ワインを頂きながらの観客!至福の時を過ごすことができた。

ジャズを初めて聴いた時の感動、
素晴らしい人に出会った時の感動、
音楽や絵画、芸術に触れた時の感動、
美味しいものを食べたり、飲んだりした時の感動、
そして、ラモーナの歌に感動、
感動するということ、これは私一人では出来ない。
その陰には、たくさんの人の積み上げた、情熱、努力、愛情、思いやりあるいは励ましがあるから成り立つのだと思う。

                          
2015年4月17日(金曜日)
ザ・プリンスパークタワー東京『メロディライン』

KAI, EMIKO Project   “Impression"

compose,key&direct 甲斐恵美子
Guitar 辻邦博
Piano 蕪木光生
Bess 河原秀夫
スペシャルゲスト Vocalラモーナ

http://ameblo.jp/joamusichouse/entry-12000698388.html

ピーター

私が小学校に入る前のある日、同じ敷地にある祖母の家に何人もの人が出入りしていることがあった。

母からは、「もうおばあちゃんのところに行ってはダメ」と言われていたのだが、「何をやっているのだろう?」と思いながら、静かになった時を見計らって、大人たちには見つからないように探検しにいくことにした。

その家に行くのは、祖母が亡くなってから始めてのことだった。

周りの人たちが「おばあさんはフランスで交通事故にあって死んだらしい」と話していたのだが、『死』ということがどういうことなのか、その時には全く理解できなかった。

いつも「おばあちゃん!」と遊びにいくと祖母が出てきて、台所のまん中にある大きな調理台についている細長い引き出しをあけて、中に入っている竹の皮で包んであるお菓子をくれることになっていた。

ほのかに梅の味がして甘酸っぱく、薄いようかんのようなもので、竹の皮に一枚一枚丁寧に包まれているお菓子が、山形名物の『のし梅』というものだと知ったのは、音楽で仕事をするようになって、山形に演奏旅行に行った時だった。

祖母の家に入ると、そこはがらんとしていて何もない。誰もいないのは分かっていながらも、いつものように「おばあちゃん!」と呼び掛けてみた。

そこには、祖母の返事はなく、しーんとした静寂があるだけ。家の中には、食器棚もソファーもテレビもすべての物がなくなって、白い壁だけがやたらに目について、がらんとした部屋を強調しているようだった。

台所に行ってみると、部屋のまん中には大きな調理台がそのまま残っていた。

いつもは祖母が開けてくれるその引き出しを、私が手をかけて開けるのは、その時初めてだった。
何か悪いことをしているようで、ちょっとどきどきしながらも、取っ手をつかみ引いてみた。

そこにはいつものお菓子が入っているはずだった。思ったより簡単にするりと開いたその引き出しの中は、からっぽで、木の底がむきだしのまま見えるばかりだった。

その時に始めて、祖母の『不在』という意味が分かったような気がした。もう逢えないという意味を。それは突然のことで、どうしようもない胸の中の空白に呆然とするしかなかった。

数日後フランスからウサギのぬいぐるみが届いた。祖母が亡くなる前に日本に送ったお土産の中に入っていたそうだ。その頃の日本にはない西欧らしいぬいぐるみは青い目のとても可愛らしいもので、首に巻いたリボンにはピーターと書いてあった。
ウサギが大好きだった私は、それからは悲しいときや腹が立つときには泣きながらピーターに訴えたり、うれしいことがあればすぐに報告をしたりと、家にいるときはいつも一緒にいた。

やがて中学生になり高校生になる頃には、ピーターは机の上でただの飾りになっていた。
 
結婚した時には嫁ぎ先に連れて行ったのだが、いつの間にかぬいぐるみの嫌いな夫に捨てられてしまった。その時は祖母との細い糸も切れてしまったようで、何となく寂しさを感じた。

大人になるにつれ旅が好きな私は、よく一人旅をするようになった。

ある日ポルトガルの坂道を歩いていたら、ふっと誰かに呼ばれたような気がした。「ぼく、ここだよ」と。あたりを見回してみると、すぐそばにおもちゃやがあり、窓に置かれたウサギのぬいぐるみがあたかもこちらを見ているようであった。目の色こそ違うが、それはまさしく小さい頃に祖母から贈られたピーターと瓜二つだった。

日本に連れて帰ったピーターは、それからは私の部屋で静かに見守ってくれていて、現在の優しい夫は、そんなピーターと私との関係を快く思っているようだ。

一昨年末母が逝いた。
ゆっくりとフェイドアウトした母と祖母の『不在』という喪失感を少しずつ理解出来るようになった今でも、ピーターを見ると、生命のつながりの不思議さと共に、のし梅の甘酸っぱい味が蘇ってくる。