ピーター | JOA MUSIC HOUSE

ピーター

私が小学校に入る前のある日、同じ敷地にある祖母の家に何人もの人が出入りしていることがあった。

母からは、「もうおばあちゃんのところに行ってはダメ」と言われていたのだが、「何をやっているのだろう?」と思いながら、静かになった時を見計らって、大人たちには見つからないように探検しにいくことにした。

その家に行くのは、祖母が亡くなってから始めてのことだった。

周りの人たちが「おばあさんはフランスで交通事故にあって死んだらしい」と話していたのだが、『死』ということがどういうことなのか、その時には全く理解できなかった。

いつも「おばあちゃん!」と遊びにいくと祖母が出てきて、台所のまん中にある大きな調理台についている細長い引き出しをあけて、中に入っている竹の皮で包んであるお菓子をくれることになっていた。

ほのかに梅の味がして甘酸っぱく、薄いようかんのようなもので、竹の皮に一枚一枚丁寧に包まれているお菓子が、山形名物の『のし梅』というものだと知ったのは、音楽で仕事をするようになって、山形に演奏旅行に行った時だった。

祖母の家に入ると、そこはがらんとしていて何もない。誰もいないのは分かっていながらも、いつものように「おばあちゃん!」と呼び掛けてみた。

そこには、祖母の返事はなく、しーんとした静寂があるだけ。家の中には、食器棚もソファーもテレビもすべての物がなくなって、白い壁だけがやたらに目について、がらんとした部屋を強調しているようだった。

台所に行ってみると、部屋のまん中には大きな調理台がそのまま残っていた。

いつもは祖母が開けてくれるその引き出しを、私が手をかけて開けるのは、その時初めてだった。
何か悪いことをしているようで、ちょっとどきどきしながらも、取っ手をつかみ引いてみた。

そこにはいつものお菓子が入っているはずだった。思ったより簡単にするりと開いたその引き出しの中は、からっぽで、木の底がむきだしのまま見えるばかりだった。

その時に始めて、祖母の『不在』という意味が分かったような気がした。もう逢えないという意味を。それは突然のことで、どうしようもない胸の中の空白に呆然とするしかなかった。

数日後フランスからウサギのぬいぐるみが届いた。祖母が亡くなる前に日本に送ったお土産の中に入っていたそうだ。その頃の日本にはない西欧らしいぬいぐるみは青い目のとても可愛らしいもので、首に巻いたリボンにはピーターと書いてあった。
ウサギが大好きだった私は、それからは悲しいときや腹が立つときには泣きながらピーターに訴えたり、うれしいことがあればすぐに報告をしたりと、家にいるときはいつも一緒にいた。

やがて中学生になり高校生になる頃には、ピーターは机の上でただの飾りになっていた。
 
結婚した時には嫁ぎ先に連れて行ったのだが、いつの間にかぬいぐるみの嫌いな夫に捨てられてしまった。その時は祖母との細い糸も切れてしまったようで、何となく寂しさを感じた。

大人になるにつれ旅が好きな私は、よく一人旅をするようになった。

ある日ポルトガルの坂道を歩いていたら、ふっと誰かに呼ばれたような気がした。「ぼく、ここだよ」と。あたりを見回してみると、すぐそばにおもちゃやがあり、窓に置かれたウサギのぬいぐるみがあたかもこちらを見ているようであった。目の色こそ違うが、それはまさしく小さい頃に祖母から贈られたピーターと瓜二つだった。

日本に連れて帰ったピーターは、それからは私の部屋で静かに見守ってくれていて、現在の優しい夫は、そんなピーターと私との関係を快く思っているようだ。

一昨年末母が逝いた。
ゆっくりとフェイドアウトした母と祖母の『不在』という喪失感を少しずつ理解出来るようになった今でも、ピーターを見ると、生命のつながりの不思議さと共に、のし梅の甘酸っぱい味が蘇ってくる。