甲斐恵美子の独眼的好きなミュージシャンvol.2:中牟礼貞則 | JOA MUSIC HOUSE

甲斐恵美子の独眼的好きなミュージシャンvol.2:中牟礼貞則

甲斐恵美子の独眼的好きなミュージシャンvol.2:中牟礼貞則

「ムレさん」の愛称で皆から愛されている、ギターリスト中牟礼貞則さん。
その演奏歴は、青山学院在学中(我が母校!)より始まり、渡辺貞夫、前田憲男など多くのミュージシャンと活動し、伝説の『銀巴里セッション』にも参加、また、ボサノバを日本で普及させたジャズギターリストの巨匠だ。

中牟礼さんとの出会いは、有楽町の銀座インズにある銀座のスイングであった。

創業37年になる老舗のライブハウスだが、私のファーストアルバムの「エミリー」をリリースしたばかりで、当時オープンして何年かしか経っていなかったはずなので、今思えば気が遠くなるほど昔のことだ。

最初に会って、「宜しく!」などと挨拶をしたものの、特にリハーサルをやるわけでもなく、ライブの前は雑談をしているだけだ。
私もその頃はつっぱっていたので、こちらから「どの曲をどのようにやりますか?」などと聞けない。

だいたいにおいて、ジャズの場合は、今と違ってリハーサルなどやらないし、譜面など用意してくれるミュージシャンは少ない。
曲名も言わずに弾き出したら、たとえ知らない曲であっても、耳をたよりについていかなければならない。

私の場合、ジャズの世界に入った時から、自己のトリオを組んで毎日のようにライブをやっていたので、他の人がよくやるスタンダードの曲は、以外と知らないもののほうが多いのだ。

この日も、内心困ったなぁ~と思っていた。
ましてギターとのカルテットの演奏は、学生バンドではやっていたものの、プロとなった以上よほど注意してやらなければならない。
どうしてかというと、ギターとピアノはトランペットやサックスのような単音の楽器ではなく、お互いのハーモニーが合わないと音がぶつかってしまうからだ。
こうなると、音楽を心地よいものから騒音に変えてしまう。

さて、時間になり、ライブが始まった。
何を演奏するかと思ったら、私のアルバムに収録されている曲ばかりを選んで演奏してくれる。

私は何も中牟礼さんに対しては、知識もなく、どんな曲を得意としてどんなスタイルの演奏家か、という勉強を何もして来なかった事を恥じた。

ライブが始まる前には、冗談を言い合ったりしてリラックスさせてくれているのだが、その前にちゃあんと私が困らないように、研究してくれていたのだ。
大先輩が後輩である、始めたばかりのピアニストへの優しさと音楽への情熱を知り、頭が下がる思いでいっぱいだった。

中牟礼さんのギタープレイは、他のギタープレイヤーと違って、時にホーン(管楽器)や人の声(歌であったり)を思わせるようなフレーズ作りをする。
スタジオミュージシャンとしても活躍していて、様々なアーティストのサポートにも定評があり、ポップスやクラシックまで幅広く活動をしていたが、ジャズに関しては、特別の思いでプレイしていたように思える。
普通ギターリストは、速弾きを得意としたりするものだが、中牟礼さんは違った。
ひとつひとつの音に意味を込め、心を込めて弾くのだ。

そんな中牟礼さんには、いつも音楽のことばかり考えているので、とてもおちゃめな面もある。
いってきまーす!と車で仕事に出かけるのだが、道を走っていて、「さて、今日はどこの仕事だっけ?」ということになり、家に電話をかけて奥様にその日の演奏場所を聞いたり。

私のバンドのメンバーとして参加して頂いていた事がある。
私のバンドでは、オリジナル曲が多いので、前もってリハーサルをやる。
中牟礼さんにはあらかじめ、FAXで譜面を送っておいた。
リハーサル当日になって
中牟礼氏「あの曲の譜面、見せて!」と。
私「あのー、先日FAX差し上げた曲ですよね。」
中牟礼氏「実は、譜面にシワがよっていたので、アイロンをかけようとして譜面にアイロンが触れた瞬間に、真っ黒になっちゃったんだよ。もう、びっくりしたよ!」
その頃のFAX用紙は感熱紙なので、アイロンをかけようものなら、熱に反応して黒くなってしまうのだ。

ジャズが大好きで、ギターを愛してやまない中牟礼さんの活動歴60周年を記念して、村上“ポンタ”秀一さんがアルバムを作ろうと呼びかけ、中牟礼の愛弟子でもある渡辺香津美の他、総勢9名の豪華ゲストが参加したアルバム「 We Love Mure San 」がリリースされた。
このアルバムを聞くと、音楽と人間を愛し続けて、今なお現役の中牟礼さんの、音楽への喜びが伝わってくるようだ。

しばらく中牟礼さんとデュオをやっていたことがある。
いつも変わらず明るく、そして音楽に真摯な姿で、後輩の私を導いてくれた。
ある時演奏が終わると、「ねえねえ、見て見て。ほらこんなに音符が!」と、空を指している。

『幸せだから笑うのではない。笑っているから幸せなのだ。(アラン幸福論)』