甲斐恵美子の独眼的好きなミュージシャン:vol1.山口真文 | JOA MUSIC HOUSE

甲斐恵美子の独眼的好きなミュージシャン:vol1.山口真文

甲斐恵美子の独眼的好きなミュージシャン:vol1.山口真文

テナーサックス、ソプラノサックス奏者の山口真文は、ずっとあこがれだった。

そのプレイは力強く、聴く者の心をとらえて離さない。
私は自分のバンド「Jazz Odyssey」のメンバーに参加してくれないかと密かに願っていた。
ある日、意を決して真文氏に電話をして、出演依頼を申し出てみた。
ところが案の定、「その日は仕事が入っています。」と。
また別の日に、別の仕事の出演依頼を申し出るのだが、なかなか首を立てに振ってくれない。
そのうちやっぱり駄目なのね、とあきらめていた。

その頃私は、Jazzクラブ老舗のNARU代々木店でハウスピアニストをまかされて毎日代々木で弾いてた。
NARUは代々木とお茶の水にあり、お茶の水はライブハウスとして、代々木はサロン的な雰囲気でピアノソロとヴォーカルとのデュオをやっていた。
真文氏は、創業当時からNARUとは深い縁があり、ずっと演奏を続けて来たその頃からNARUの重鎮だった。

私が真文氏を大尊敬し、学びたいとの意思を汲み取ったNARUの名物オーナである、亡き成田勝男氏の口利きで真文氏が楽器を持って遊びに来てくれるようになった。

とても驚いたことは、ライブををただ聴いていた時と、一緒に演奏した時と私の感じ方が違うということだ。
そのサックスの音はあくまでも透明で、宇宙にこだまするかのように魂に語りかけてくるのだ。
ああ、これが本当の音楽なのだと。
真文氏の音楽に対する愛情と情熱、確かなピッチとテクニック。
特に私のオリジナルを吹いてくれる時はソプラノサックスが多い。とくに真文氏の出す音色は、ピアノの弦に共鳴して、それだけでさながらオーケストラの響きに変わるのだった。

山口真文は、1969年のNARUで活動を開始し、その後ジョージ大塚クインテットを経て自己のグループを結成。1981年には、ニューヨークで、pケニー・カークランド、bミロスラフ・ヴィトウス、dsトニー・ウィリアムスをメンバーに「MABUMI」を録音。
日本人としてトニー・ウィリアムスとレコーディングをしたとあって、とも話題になったアルバムだ。
現在もジャズの名盤とされている。
後輩のミュージシャンの育成も続けていて、昨年秋には新譜「Evening」を若手ミュージシャンを起用し発表もしている。

とにかくライブは楽しい。
良く知られているスタンダード曲をその日によって、アレンジを変えてあっと驚く曲に仕上げてしまったりする。
まさに、ライブの醍醐味だ。

一つ暴露!

まだ先代のナルのオーナー(私たちはナルさんと呼んでいた)がいるとき、私が草月会館でコンサートをやったときのこと。
時間を間違えたのか、リハーサルに遅れて来た事があった。
ミュージシャンが全員揃わないと舞台の演出や音響の関係でリハーサルが始められない。
そんな状況をみて、きっとナルさんは私のいないところで、真文さんに意見を言ったのだろう。

その次の年に、ル・テアトル(セゾン劇場)でのコンサートをやった時には、もうナルさんはこの世のひとではなくなっていた。

コンサートが無事に終わり、打ち上げ会場でので出来事。
真文氏が「ねえ、ねえ」と手招きする。
何かと思ったら、「今日ナルさんから前にもらった時計をしようと思ってはめて来たんだ。そしたら、ほら!」と時計を見せてくれた。
その時計は、ぴったり今日のリハーサルの時間を指しているのだ。
「ねえ、不思議でしょう。今朝からこの時間で止まったままなんだ」

きっと心配性のナルさんのこと、「今日は絶対に遅刻しないで、コンサート宜しく頼む」と言いに来たのかも。

私と真文氏の橋渡しをしてくれた成田勝男氏に、感謝感謝、合掌。