私が楽しいときは、やはり人と関わって話をしているとき。

ありきたりな事なのに最近まで気づかなかったのです。

せめて大学時代にそのことに気づいていれば、研究の世界には進んでいなかったことでしょう(笑)

活字やPCとだけ向き合う日々は、私には辛過ぎます・・・。



成人して何年も経つのに、子どもの頃の転校経験を持ち出すなんて恥ずかしい話ですが。

思春期に体験した対人関係への不安は引きずる人も多いのではないでしょうか。

私の場合は、特別いじめられたとかいう事ではなく。

ただ人と関わることに対して“へそを曲げてしまった”というだけの経験ですが。

私の中でそのきっかけとなったのは“大人になればなんてことはない”

“転校”という経験でした。



周りの人が全員知り合い同士で自分だけが誰にも知られていないという状況。

なおかつ社会から隔絶された学校という場所の特殊性。

転校当時の、戸惑いや恐れの気持ちは今でも鮮明に思い出すことが出来ます。

私は自分から人の輪に溶け込もうとする気がまるでなかったために孤立していました。

心の中の葛藤は内側に向き、親に当たって。いつも寂しい気持ちでいました。

今も同じですが、大勢の人がいるコミュニティに積極的に関わる事はすごく苦手。

ごく親しい内輪の中に甘んじている方が私には楽だった。

クラスの中心にいるようなグループの子たちとは話も出来ず。

一人か二人仲良しがいればそれで良かった。

強引な教師には、仲良しコンビを「解散しろ」と言われたこともあります(笑)

特定の子といつもいることで、私が相手を都合よく利用しているように見えたのでしょう。

教師の考えそうなことではあるなあと(笑)バカらしいと思っていました。

大きなコミュニティに所属することで人とつながっていくこと。

私はそれをとても面倒なことだと思い続けてきました。



うちは両親共に上京した者同士の家族。

煩雑な親戚関係や地元というつながりを持ちません。

極端に小さな家族というコミュニティの中の一個人でしかない自分自身。

核家族においては、家庭と社会は過剰なまでに二項対立的な価値観で捉えられてしまうという、危険な側面を持っているのではないかと今は考えています。

多くの人は当たり前に気づいている、コミュニティ(地域など)に関わり、他者とつながるということの意味を最近ようやく理解できるようになりました。