C'est ma vie -10ページ目

C'est ma vie

毎日平凡でいられることの、非凡さを求めています。

今日は、早朝から外は嵐です。

 

強風が、窓ガラスを叩いて、少し異様な雰囲気です。

 

雨はそれほど強くはありません。

 

 

世間様は、大型連休の真っただ中です。

 

観光地に行かれる方は、気の毒です。

 

 

私も、今から30年位前に、ゴールデンウイークに、家族三人で三陸地方へ行きました。

 

出発予定日の早朝、ほとんど深夜に自宅を出ました。

 

大正解でした。

 

東北道は朝から大渋滞で、ほとんど動かなかったのです。

 

 

私の感が当たったのです。

 

 

そして、三陸海岸沿いに2泊3日しました。

 

車の運転は、私一人、当時はカーナビありませんでした。

 

逆に、アナログの良き時代でした。

 

 

私どもが訪れた三陸地方は、2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けました。

 

 

今は、貧困自適、晴室雨室の生活を送り、ゴールデンウイークとは無縁の世界にいます。

 

 

これも、人生ということです。

 

 

基本的に、正解の人生は人それぞれです。

 

 

それぞれの価値観で生きることです。

 

 

それには、やはり哲学することです。

 

 

確固たる信念、価値観は、その人自身の投影となります。

 

 

何か、急に話の方向性が変わってしまいました。

 

 

 

そして、今日の本題になります。

 

 

女優の、五十嵐淳子さんが、4月28日に亡くなられました。

 

享年73歳でした。

 

 

本当に驚きました。

 

病気療養ということでもなかったのです。

 

 

切なさと、悲しさで心がいっぱいです。

 

 

実は、淳子さんは、私の大学の同級生Tの元恋人でした。

 

 

学内で、ある日、Tが、かなり興奮し、落ち込んでいました。

 

彼は、語り始めました。

 

 

淳子さんと別れたということでした。

 

 

その大きな理由は、淳子さんが、芸能界での恩人俳優Uと親密な中になったということでした。

 

 

Uは、淳子さんにとって、ある意味芸能界での恩人でした。

 

 

自然の流れでもあったのでしょう。

 

 

淳子さんは、その事実を、同級生Tに告げたのでしょう。

 

Tは、かなり興奮し、結局別れ話へと発展したそうです。

 

 

Tと淳子さんは、同じ目白の学校に通っていました。

 

Tは男子校で、淳子さんは女子校でした。

 

 

同学年でした。

 

文化祭で知り合ったのでしょう。

 

 

淳子さんは、すでに少しずつモデルの仕事など、芸能界へと足を踏み入れていたのです。

 

 

Tにとって、淳子さんは、次第に別の世界へと入っていったのです。

 

 

私は、しばらく(いや、最近まで)、淳子さんには、特別な思いがありました。

 

私は、やはり、Tの味方でしたからです。

 

 

しかし、淳子さんが逝去され、考え方が変わりました。

 

 

淳子さんは、地味で、素朴で、イケメンで、高学歴の、

 

中村雅俊さんとご結婚されました。

 

 

雅俊さんは、大変優しい方のようです。

 

 

子供さんも4人恵まれました。

 

 

しばらく前に、ご長男の方が、不祥事を起こされました。

 

その時の、淳子さん、雅俊さんのご心痛は、計り知れなかったでしょう。

 

 

淳子さんは、しかし、母親、主婦という大役をこなされてきました。

 

 

淳子さんにはハードルの高い面もあったかもしれません。

 

 

しかし、4人の子供さんを育てあげ、雅俊さんの良き妻をされていたのです。

 

 

心から、賛辞を贈りたいと思っています。

 

 

淳子さんの人生は、素晴らしい、人生でした。

 

 

私は、今、心から、本当に心から、淳子さんにお疲れ様でしたと、

 

感謝の言葉を贈ります。

 

 

おそらく、淳子さんは、雅俊さんにご自身の寿命の残りを捧げてくれたのだと思います。

 

 

淳子さん、静かに遠い空でお眠りください。