驚きました。
今日の読売新聞の夕刊に、日本が誇るジャズピアニスト、秋吉敏子さんが掲載されていました。
9月9日の東京・第一生命ホールで、夫のルー・タバキンさん他3人の共演者と公演をされたということでした。
敏子さんは、今年御年95歳です!
今でも、自宅で数時間のピアノに向かうそうです。
そして、曲を弾く前に1時間、スケールや運指の練習をされるとのこと。
正にプロの鏡です。
私のような名誉初心者にとっては、大変刺激になり、参考になります。
秋吉さんといえば、以前私の拙ブログでもご紹介した、天才ピアニスト守安祥太郎さんが思い浮かびます。
守安さんは、日本でもいち早くビ・バップジャズを演奏に取り入れた人です。
幻の「モカンボ・セッション」は伝説となっています。
それは、1954年、横浜伊勢佐木町にあったクラブ「モカンボ」でのジャズセッションです。
日本の一流ジャズプレイヤー達が、ここに集合し、3日間ジャズセッションを繰り広げたのです。
その世話役をしていたのが、元クレイジー・キャッツのハナ肇さんと、植木等さんでした。
お二人とも、ジャズプレイヤーでした。
その「モカンボ」に守安さんも、秋吉さんも出演されていました。
秋吉さんは、守安さんより6歳くらい若かったのです。
何しろ、当時の守安さんの実力は天才的だったのです。
秋吉さんは、その後、オスカー・ピーターソンさんのご尽力もあり、米国のバーククリー音楽学院に留学されました。
そこを卒業し、何年かして、夫のルー・タバキンさんとビッグバンドを結成されました。
そして、米国のジャズの殿堂入りを果たします。
まさしく、日本が世界に誇るジャズミュージシャンなのです。
一方、守安さんは、モカンボセッションの翌年、1955年鉄道自殺されました。
享年31歳の若さでした。
守安さんも米国で本場のジャズを学ぶこともできたでしょう。
しかし、それは叶いませんでした。
秋吉さんと決定的に違うのは、秋吉さんは社交的で、外人にも好かれやすい性格をしていたのです。
守安さんは、その部分で、やや見劣りしたのかもしれません。
晩年の守安さんは、一人で日本にビ・バップ演奏を広めるべく、孤軍奮闘されました。
しかし、彼とコンピングできるプレイヤーは日本にはいませんでした。
彼は、多少精神的に不安定になり、ピアノをたたいたり、意味不明な言葉を演奏中につぶやいたりしました。
彼が死を選んだのは、いろいろな憶測が飛んでいました。
恋愛、家庭、そして、音楽の行きつまり・・・
私的には、音楽の行きつまりだと思っています。
彼は、日本では、一人浮いた存在になっていたのです。
それでは、本場アメリカに渡っていたらどうだったのでしょうか。
私は、同じように、大勢のプレイヤーと一緒に、ビ・パップを離れたと思っています。
結局、チャーリー・パーカーとデッジー・ガレスビーしか残らなかったのです。
秋吉さんも、守安さんと日本時代は親交があったと思います。
しかし、守安さんの死から数十年が過ぎ、その時の守安さんへの心境を聞かれても、ほとんどノーコメントだったそうです。
いろいろな思いが、秋吉さんの中にもあると思います。
それは、私も理解できます。
それにしても、日本に帰国され、コンサートをされている秋吉さんが歩んだ道のりは意義深いものです。
秋吉さんには、ぜひ100歳コンサートを、横浜で開いて頂きたいです。
私も、その日には、駆け付けるつもりです。

