私とヨコハマ、第二の故郷、永遠なれ | C'est ma vie

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毎日平凡でいられることの、非凡さを求めています。

横浜に住んで、67年、小学校から高校まで横浜市立、

 

なぜか大学は埼玉県(!!)

 

横浜海岸通りに5年居住、山下公園、馬車道は我が庭(!!)、

 

取引銀行は、横浜銀行本店(現在有形文化財)、日債銀馬車道支店(当時は超モダンな造り)、

 

東横線桜木町駅前センタービル(当時)、駅売店は私個人御用達、

 

私の十八番は「横浜市歌」、因みに作詞は、森林太郎(文豪森鴎外)、

 

愛する横浜。

 

 

今回は、私が好きな、いかにも「横浜」を連想させる曲ベスト10をご紹介します。

 

尚、それぞれの曲に、私とのエピソードを語らせていただいております。

 

ハッキリ言って、大変ミーハーです。

 

予め、申し上げておきます。

 

 

また、順位はつけておりません。

 

 

 

◎『チャイナ・タウン』 矢沢永吉


◎『YOKOHAMA二十才まえ』 矢沢永吉

 

やはり、この2曲は外せません。

永ちゃんは、50年前まで私の現在と同じ町に住んでいました

永ちゃんのお姉さんのご自宅のすぐ傍でした。

この町で、当時、赤いスポーツカーでブリブリ言わせていました。

因みに、30年前、会社での私のニックネームは「永ちゃん」でした。

 

 

◎『海を見ていた午後』 荒井由実

 

何と言っても歌詞に出てくるカフェレストラン「ドルフィン」でしょう。

こちらのお店は根岸線「根岸」から徒歩で20分、

根岸森林公園に向かう坂道のほとんどてっぺんにあります。

確かにソーダ水から船は見えます。

ただ、景色は埋め立て工場地帯と海です。

ユーミンは1975年頃知りました。

私、当時横浜のK大学の生協でアルバイトをしていました。

担当部署はレコードと文房具売り場でした。

そこで、ユーミンのレコードと出会いました。

衝撃的でした。

因みに、その生協に現首相はK大学1年生で、おそらくご来店されていたと思います。

 

 

◎『恋人も濡れる街角』 中村雅俊

 

私的に横浜といえば、この曲です。

何と言っても、馬車道が出てきます。

我が家の庭(!?)でした。

詞の中に一部際どい箇所がありますが、やはり自他ともにスケベと認める、桑田さんの詞らしいです。

因みに、奥様の原さんも結構スケベということです(スイマセン!ウワサです!)。

原さんは、中高で私の姉の後輩になります。

また、原さんのお兄さんの経営する、関内の「天吉」からお仕事を頂いておりました。

そして、中村さんの奥様淳子さんは、私の大学の同級生の高校時代のガールフレンドでした。

 

 

◎『本牧ブルース』 ザ・ゴールデン・カップス

 

やはり、横浜といえば、本牧、といえば、ゴールデン・カップスでしょう。

とにかく、日本人にだせないサウンドでした。

唯いつ、対抗できたのは、ザ・スパイダーズでした。

メンバーの一人、エディ潘さんは、ご実家が中華街でも老舗の名店「鴻昌」でした。

私、1983年、私、妻、私の会社の同僚夫妻(奥さんは米国人、自称FBIスパイ)とお店にお伺いしました。

同僚夫婦は菜食主義者でした。いやな予感はありました。

お店の方にお願いして、極力肉を入れないように作っていただきました。

数品肉抜きでだして頂きました。

感謝しております。

そして、ついに爆弾が落とされました。

同僚が、「酢豚」を注文したのです!

私、その後起こること想像し、身構えていました。

ついに、起こりました!

お店の女性店員(おそらくエディさんのお母様だと思います)が、私たちに向かって突進してきました。

大声で、すぐに店から出て行くようにと、大変興奮されていました。

それはそうです。

「酢豚」から肉を取ると「酢」です!

その後、十数年してお店は閉じられました。

本当に、申し訳なく、今でも反省しております。

因みに、私は大の肉党です。

また、因みにその同僚は、アメリカの工場に栄転(工場長)し、あまりにも働かないので首になりました。

ルイズ・ルイス加部さんは一度東横線の車内でお見掛けしました。

当時、私が務めていた渋谷から自宅のある終点桜木町まででした。

加部さんは、シルバーシートに、可愛い女性と並んで座っていました。

加部さんは、とてもイケメンでした。

カップスのメンバーはほとんどが他界されました。

ただし、エディさんは、現在でもバンドを組んで、ご活躍中です。

御年79歳です!

 

 

◎『よこはま・たそがれ』 五木ひろし

 

やはり、このナンバーは素晴らしいです。

歌詞がいいです。

作詞家は横浜を理解されています。

詞の中にでてくるホテルは「バンドホテル」です。

1999年に閉館しました。

ここの「チーズフォンデュ」は日本一でした。

また、本館最上階にナイトクラブ「シェルルーム」がありました。

ここの支配人は、カントリーのウイリー・沖山さんでした。

ご自分も、舞台で歌われていました。

尚、このクラブのパンフは長年、私が写植していました。

 

 

◎『サヨナラ横浜』 石原裕次郎

 

私の好きな、なかにし礼さんの作詞です。

とにかく、詞が横浜という切ない街を想起させてくれます。

男女二人が、別れの夜を二人で過ごします。

その中に「他人同士になる前に」という詞が出てきます。

私、この二人は恋人同士ではなく、夫婦ではないかと思うのです。

一層、深みが出てきます。

 

 

◎『悲しき口笛』 美空ひばり

 

やはり、ひばりさんは天才です。

この映画(唄)撮影時、ひばりさんは9歳です。

舞台は桜木町が中心です。

昔、通勤で、たまに(二日酔い等)、中目黒から、会社のあった目黒の青葉台まで歩きました。

目黒川の下から坂道を通ります。

その坂の途中にひばりさんのご自宅があります。

とにかく、当時では珍しい監視カメラがありました。

ひばりさんのお墓は、私の自宅から20分くらいの墓地にあります。

ひばりさんの石碑は、妻の故郷の塩屋崎にあります。

私、以前勤務していた会社の女性社員は、小学校時代ひばりさんのお姉さんと同級生でした。

1989年、横浜博覧会会場で、突然スピーカーが流れました。

ひばりさんが亡くなられたという知らせでした。

その数か月後、長男は誕生しました。
 

 

 

◎『伊勢佐木町ブルース』 青江三奈

 

実は「ブルーライトヨコハマ」とベスト10入りを争いました。

私個人的に、こちらの方がヨコハマチックと思っているのです。

いしだあゆみさんは大好きです。

途中、ため息の歌詞があります。

かなり、微妙ではあります。

成人男性の中では、黄金町、福富町、野毛町では、圧倒的な人気でした。

飲み助には、古き良き酒の味を思い出させてくれるのです。

 

 

◎『別れのブルース』 淡谷のりこ

 

最後に以外な曲のご紹介です。

古き、切なく、ロマンティックな横浜を思い浮かべます。

元は「本牧ブルース」でした。

ホテルの窓から眺めるメリケン波止場の光景が目に浮かびます。

尚、このホテルもバンドホテルです。

 

 

その他にも横浜を舞台とした作品は多数あります。

 

尚、10作品は、あくまで私個人の選定です。

 

私個人的には、現在のみなとみらい地区が出来る前の横浜が好きです。

 

最後に一つだけ述べさせて頂きます。

 

横浜をテーマにした曲で、横浜市民から一番愛されたのは、

 

 

いしだあゆみさんの

 

「ブルーライトヨコハマ」です。

 

どうか、安らかにお眠りください。