2022年10月12日雑記 | C'est ma vie

C'est ma vie

毎日平凡でいられることの、非凡さを求めています。

寒暖差が激しく、老齢の身には多少こたえます。

 

しかし、今さながら思うのですが、自分自身が歳を取っていることの実感です。

 

つい最近までは、まだ20歳代、たびたびレストランの若い女子大生の何人かアルバイトを引き連れて、地元で飲み会、

 

いや、私、決してモテテいたのではありません、人畜無害だったからです!

 

未だに、其のころの感覚なのです。

 

当時(20代後半)は、独身で、一人住まいでした。

 

場所は、今のみなとみらいの入り口である、海岸通りでした。

 

左の団地です。撮影は2012年ですが、現在は近代的なビルに建て替えられています。

 

生糸検査場です、現在もあります。我が団地の隣組でした。

 

 

大桟橋の入り口にある、ラーメン屋さんです。

実は、私のブログで使わさせて頂いております。

本当に、このセンスが私のお気に入りなのです。

感謝しております。

 

とにかく、当時(昭和53年~60年)と現在では周りの景色が全く違うのです。

 

当時は、もちろん みなとみらい は出来ていませんでした。

 

我が団地の入り口にあった万国橋は、一般は立ち入り禁止でした。

 

赤レンガ倉庫も入れません。(基本、整備されていませんでした)

 

桜木町には三菱ドックがあり、船を建造、修理していました。

 

しかし、山下公園、元町、中華街、山手、野毛等は今とそう変わっていないような気がします。

 

山下公園、大桟橋等は我が家から徒歩10分位でした。

 

それでも、頻繁に訪れることはなかったです。

 

理由の一つに、観光客が多くいたからです。

 

大変、おこがましいのですが、我が家の庭に立ち入ったという感覚でした。

 

本当に、地元の人の多くは、私と似たような気持ちだったのです。

 

しかし、馬車道、伊勢佐木町には頻繁に行きました。

 

この頃から、馬車道は、私にとって横浜そのものでした。

 

今でも当時の面影がかなり(ほとんど)残っており、ホットする場所です。

 

団地の部屋は狭く、あまりきれいとはいえませんでしたが、この海岸通りに住んでいた、8年余りが私の人生一番の思い出です。

 

 

これからは私の好きな晩秋になります。

 

好きなお酒(少しになりました)、音楽鑑賞(特にジャズ)、いつまでも初心者のギター、キーボード演奏、私蔵映画の鑑賞、疲れない程度の読書、瞑想(!?)
 

私の人生も晩秋に近くなりました。

 

もちろん、気持ちは20代後半ですよ!