南ア・ヨハネスブルグから、一気に北上、ナイロビ経由でアテネに到着。

早速、サウジアラビアの大使館に行って入国ビザを申請した。営業日で5日は、かかると言われた。

当時、BeogradYugoslavia)に駐在していた我が兄(三番目の兄、)と連絡を取り合ったところ、たまたま、オーストリアのウィーンに出張する予定があることがわかり、サウジアラビア入国ビザの状況を見てから、後日ウィーンで落ち合うことにした。

ちなみに、兄は、私より、8歳上で、当時一流商社勤務で、都合17年間海外駐在で、私など足元にも及ばない経歴(下記)がある。 

*1962年~1965年 ナイジェリアのラゴス、ウガンダのカンパラに駐在。

*1966年~1967年 コロンビアのメデリン駐在。

*1972        オーストリアのウィーン駐在。

*1973年~1976年  ハンガリーのブダペスト駐在


*1980年~1983年 ユーゴスラビアのベオグラードに駐在。

*1984年~1989年 インドのカルカッタ駐在。


丁度、サウジアラビア入国ビザ取得まで日数が、かかるため、土、日を利用してウィーンに向かった。1981321日(土)に、空路で2時間ほどしてアテネからウィーンに到着した。兄がホテルまで迎えに来てくれた。投宿先は、Royal Hotel (Singerstrasse)で、聖シュテファン寺院(外観はゴシック様式 で、内部の祭壇はバロック様式 大聖堂 の隣にあり、ウィーンの宿泊地として立地は最高。


mrfiveのブログ-ウィーン・聖シュテファン寺院


mrfiveのブログ-グラーベン歩行者天国

(写真は、(上段)聖シュテファン寺院)。もう一つの写真(下段)は、グラーベンの歩行者天国

1. Fussgangerzone Graben: Fussgangerzone  とは、歩行者天国。又、Graben とは、’堀’ の事で、中世にはウィーンの中心街を取り巻いていた城壁を、100年?!程前に都市計画に基づいて取り壊し、その後が’堀’になり、更に道路にしたため、こんな名前が付いている。

2. mit Pestsaule und Fiaker :Pestsaule とは、ヨーロッパの都市には結構見受けられる、’ペスト終息記念塔’ の事。 又、Fiaker とは、この絵葉書にあるような馬車の事で、 高さ十メートルほどの彫刻のある’ペスト終息記念塔’は、グラーベン広場の真ん中にある。 ヨーロッパでは、5~6世紀から、15世紀頃まで、100~200年単位でペストが流行し、そのたびごとに人口が三分の一になったり、半分になったりしました。「シェークスピアの『ロミオ と ジュリエット』の中でもペストが起こり、そのために悲劇となったのですよ!」と兄が教えてくれた。(注: aの上には、ウムラウトが付きます。)

兄と二人で、グラーべン広場にあるカフェーでコーヒーを飲みながら、今回の出張での話と、兄のユーゴスラビア駐在でのエピソードを話し合った。

(続く)