朴春琴と祖父 | 徐裕行のブログ

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無理にでも拉致問題の解決に結びつける
うまく、落とせない時もあるけどね。

以前、当ブログで朴春琴について書いた。
Webで画像検索すると、下の2点の画像が検索できる。
白黒の写真はWikipediaに掲載されているもの。次のセピア色のものは韓国で朴春琴として紹介されているものらしい。

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そして、この写真は我が家のアルバムの中に保存されていたもので、写真右上に達筆で朴春琴と書かれているのがわかる。

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朴春琴は1891年4月17日に韓国の慶尚南道で生を授かり1906年彼が16歳の時(この時はまだ日韓併合はなされていなかった)に日本に渡ってきたと言われてる。朴春琴は土木作業員から手配師となり、清水組、佐藤工業、飛島組、熊谷組などの仕事を請け負う傍ら1920年の朝鮮人労働者相互扶助団体・相救会を結成した。

日韓併合条約締結は1910年8月29日。
朴春琴が深川4区から衆議院選に立候補し初当選を果たすのは1932年朴春琴が41歳の頃。
2回目の当選が1937年。
創氏改名の創氏が行われたのは1940年2月11日。
したがって、朴春琴が衆議院議員として国会で活躍していたのは創氏が始まる以前のことだったのだ。
世に云われる(私もブログなどで紹介している)ように、本名で国会議員をしていた人物として朴春琴がいることを根拠に創氏の強制姓云々を語るのは正確ではなく、創氏が始まった時にはすでに朴春琴として衆議院議員として活躍していたというのが正しい。

朴春琴は創氏が始まった直後の2月15日に衆議院予算委員会で質問に立ち、暗に創氏反対を主張する古谷栄一という人物を指して「ある内地の馬鹿があって、朝鮮人が日本人になるというので、あんな民法令(実際は民事令)を改姓したのは間違っている。つまり大和民族というものは正しくて、朝鮮人のような悪い奴を日本人にすることは怪しからぬと言っている」と発言している。

古谷の主張は日本人の姓氏の9割方は皇胤神胤から派生したもので、これらの中心宗家である皇室を戴くのが日本の国体であるから朝鮮人にこれらの氏を名乗らせるのは姓氏を単なる符牒に貶め国体に深刻な損害を与えることになるというものであった。

朴春琴は創氏参政の立場から創氏に反対する古谷の考え方を批難したのである。

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さて、その話はともかく、上の写真は私の祖父母のものだ。
おそらく二人が日本に渡る前の頃のものだろう。二人ともまだ若々しく見える。写真の右上に marry と書かれているので結婚式の記念撮影かもしれない。

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祖父が渡日後、土木作業員を経てやはり土木関係の親方になって朴春琴と関わるようになり深川区議会議員を務めていたという話も以前に書いた。
これはその祖父の墓の写真である。
墓石には

東京市深川区会議員
達城徐公延炳之墓

とある。祖父が亡くなったのは創氏以前だったので徐延炳という名で区会議員をしていたことになる。
この墓の実物は見たことがないが、おそらく韓国にあるのだと思う。

さて、話はあちこち飛ぶが、我が家に朴春琴の写真が他にもないだろうかと古いアルバムを探していたところ、ひょっとしてこの人かもしれないと思うものがあった。それが次の3枚の写真だ。

古い写真を見ながらあまり素顔を知られていない人物を特定するのは非常に難しい。手掛かりとなるのはやはり特徴的な風貌や風体となる。

まず、最初の写真の中心にいる人物が疑わしい。
朴春琴の風貌風体の特徴は次のことがあげられると思う。
①禿げ頭であること
②丸顔であること
③髪の毛を七三のあたりで向かって右側から左に分けていること
④目が細い
⑤Wikipediaに掲載されている写真から、ひょっとすると左腕が悪いと思われること。
※Wikipediaの写真は恐らく参議院初当選の万歳写真ではないかと思われるが、何故か右腕一本だけで万歳をしている。

そのことから推測するに、この写真の人物は①②③④の条件は申し分なく該当しているし、写真を見るに左腕の肘が曲がっていて⑤も該当しているようにも見える。

因みに私の祖父は最後列左端のすぐ下の人。

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2枚目の写真は本当にそうなのか?と疑うところもある。
というのは、同一人物が映っている位置が問題なのである。
朴春琴と思われる人物はこの写真では前から2列目の右から4人目に写っている。
因みに私の祖父は前列の右から4人目。
朴春琴ほどの人物が何かの記念撮影で中心に居ないことなどあるだろうかとも思われる。

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そして3枚目の中心に居るのが同人物である。
前列に座っている右側の祖父を見てもわかるように前の2枚よりもかなり若いころのものだ。ゆえに朴春琴と思われる人物の髪も前の2枚よりは多いがおでこが上がってきているし、丸顔、目が細い、七三分け、左ひじも曲がっている?ように思える。

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果たしてどうだろうか?
当時を知る人はとうの昔に無く、手掛かりとなる父親も2月に他界してしまった。
写真を整理しながら昔日の在日社会を思う今日この頃。


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