747形保存車 | 国鉄バスカタログ

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先日公開させていただきました744形廃車体のお話。
現地取材の直後に、もう1両の7型を訪ねることにしました。
こちらは保存車として公開されている車なので人目に触れる存在で、
これまで多くの人が画像に収めている有名な車なのですが、
そういう物件ゆえに私はなかなか接することがないままだったのです。
今回7型絡みということで、まとめて記録しようという気持ちになりました。

 

大変有名な存在で、バス愛好者以外にも知られた車両です。
私が画像を公開するまでもないとは思うのですが、一応国鉄バス現役時代から
撮影記録をしてきた身ですから、ここは30年越しのまとめとしてやっておくか…
などという考えで公開しておこうと思います。

 

 

 

茨城県つくば市。中心街から少し外れたエリアに「さくら交通公園」があります。
市が管理する公園で、その名の通り交通に関しての展示・遊具が揃います。
それほど規模は大きくないので「博物館」並みの展示はないんですが、
その代わり無料開放されていて気軽に訪れることができます。
係員を配置して管理している施設で、夕方から翌朝までは閉園です。

 

 

 

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この交通公園の人気はゴーカートと自転車、安価な貸し出しをしていて
公園内を走ることができます。教習所のような園内コースがあって、
信号などを体験することで子供たちが交通ルールを学べる造りです。
そして数は少ないながらも乗り物の実物が展示されています。
保存車両の目玉と言えるのが蒸気機関車で、おなじみのD51。

 

 

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運転席にも自由に乗ることができます。さすがは交通公園。

 

 

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よく見かけるD51とはちょっと違った姿をしています。
戦前から戦時中まで1100両以上が作られたD51はいくつかの形態があって、
ここに展示されている70号機は初期型に属する1両。
煙突前の給水温め器がなく、ボイラー上のドームが一体化した
「なめくじ」などと呼ばれる流線型を持ち、独特のスタイルです。
屋根付きの環境で大切にされているため、状態は悪くありません。
現在JR東日本ではD51の498号機を動態保存機として本線運転していますが、
復元計画当初の調査において状態の良いD51としてもう1両候補に残っていたのが、
ここさくら交通公園に保存されている70号機だったと言われます。

 

 

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D51は正門入ってすぐ、公園の管理事務所に隣接する一等地に置かれています。
少し離れた場所、位置的にはやや格下かもしれませんが、もう一つ重要な展示車両が。
それが、今回取り上げる国鉄バス7型車。

 

 

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懐かしい国鉄バスカラー、そして国鉄ハイウェイバスらしいスマートなボディ。
30年ちょっと前まで東名高速でよく見かけたモノコックの7型そのものの雰囲気…
なのですが、なんとなく見慣れたあのスタイルとは微妙に違う気もします。

 

 

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国鉄バス末期にハイウェイバスを眺めた人には違和感を感じる、その理由。
この車は民営化直前にはすでに見ることの出来なかった車種です。
7型モノコック車が増備されていたのは1982年度までなのですが、
当初国内ディーゼル4社すべてが参加した7型車の生産も、最後に残ったのは
三菱(744形)と日産ディーゼル(748形)の2社のみとなっていました。
ここで保存されている7型は、日野製の747形。
シャーシ形式はRA900P。国鉄専用に開発された車で、他社には納入されていません。
1969年の東名高速線開業時から7型車の生産に加わっていた日野自動車ですが、
1975年度を最後に脱退しています。つまり6年間しか作られなかった少数派。
ほかに保存例はない貴重な車ですが、なぜか東名高速線とは無縁の茨城にある。
なんだか不思議な存在なのですが、今も大切にされているのはとてもありがたい。

 

 

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全長12mのロングボディーで、伸びやかなフォルムが特徴。
7型車は国鉄主導で仕様が決定され、要求に見合った車両をメーカーが開発…
という、日本国内のバスとしては特殊な経緯で誕生しました。
従って窓配置などは7型車共通の仕様に基づいて設計されているのですが、
三菱と日産ディーゼルは共に富士重の車体を架装して同一デザインなのに対し、
この車は足回りも車体も日野系列で開発されているのでやや違う味付けです。
厳密な寸法差は解りませんが、側窓の天地方向がやや大きく、屋根が薄く見えます。
そして前後の傾斜角が独特のもので、結果としてシルエットはかなり違って映ります。

 

 

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正面から見たところ。お馴染み高速専用744形・748形と類似してはいますが、
車体メーカーが違う上にメカニズムも異なるので、造りは結構差があります。
この車両は三菱車や日産ディーゼル車とは別の思想を多く含んでいます。
斬新なアイデアも多く盛り込んでいるんですが、残念ながらその画期的な発想も
現場では異端児的な扱いになったようで、結果淘汰を早めたことは否めません。
この車も新車投入の8年後には廃車されているそうです。

 

 

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富士重や三菱とは微妙に違う、ライト周りの形状。
国鉄では6型として日野のこのマスクの車を1980年代まで配備したのですが、
747形ではそれらとは異なる部分があって独特の雰囲気を感じます。

 

 

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特に違うのが前面に開口部があること。日野の観光タイプのボディの場合、
ライト周りは装飾的なマスクでレイアウトされることが多いのですが、
この形式では乗用車同様に「フロントグリル」となっているのが大きな特徴。
7型車のうち747形のみ、ラジエータが車体最前部にあるのです。

 

 

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高速路線専用車という性格上、前面に冷却系を置くレイアウトをしてやれば
もっとも効率よい機能を発揮するであろうことは容易に想像できるんですが、
バスは一般的にリアエンジンですから車体前部までの冷却配管が長大になり、
あまり現実的ではない手法です。それでも日野はその例外を選択しました。
これまた現場では好まれなかったのでしょう。他メーカーが保守的な設計に
徹していたのですから、特殊な造りの車両を敬遠するのも止む無いことです。
結果的に以降のリアエンジン型バスにはフロントラジエーターは見られません。
現代のバスは熱効率も冷却性能も向上し、そこまでせずとも安定運用できます。
まだ技術途上の時代、先進的なコンセプトのバスに情熱を注ぎこんだ、
当時の日野自動車開発陣の意欲を感じられる装備です。

 

 

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開業早々この特殊な構造に起因するちょっとしたトラブルがあったのだとか。
前面に運行開始記念の横断幕状の装飾をして颯爽と東名に乗り出したら、
ラジエーター部への導風を塞いでしまったことでオーバーヒート寸前になった…
などというエピソードを耳にした覚えがあるんですが、本当なのでしょうか。

 

 

前面左右のフラッシャー(ウインカー)のレンズは、横向き五角形の矢印型。
当時の国鉄路線バスなどにも多用され、7型では1973年あたりまで使われました。
現在JR西日本バスが保管している744形も、この形状のレンズを持ちます。
そう、この車は東名ハイウェイバス創設当時の、貴重な歴史遺産なのです。

 

 

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1969年、国鉄東名高速線開業。それに向けてディーゼル4社が威信をかけて
開発にしのぎを削ったのが、国鉄バス専用形式の7型という車。
この車の称号は747-9901。ハイフン直後の数字は西暦の下1桁を示します。
748-9901なら当国鉄バスカタログにも掲載していますが、あれは1979年車。
この車は同じ9の数字でも開業当時の1969年度導入車、そのトップナンバーです。

 

 

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今も現役当時のまま残る「ドリーム号東京駅」の行先表示。
日野のエンジンは三菱や日産ディーゼルのV型エンジンよりコンパクトで、
車内有効面積が取れることから夜行便「ドリーム号」用として好まれたと聞きます。

 

 

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昔のままの「国鉄」ロゴと、ツバメマーク。
国鉄解体から30年以上を経て、今なお変わらぬ姿を留めています。

 

 

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今度は後側から眺めてみます。744形や748形は数多く見てきましたが、
それら富士重工製とは若干違う意匠によって作られています。
後部の独特な傾斜角などは明らかに異なるラインを感じます。
最後部の半透明の窓部分には、当時まだ珍しかったトイレが設置されています。

 

 

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後輪付近、ちょうどトイレ下あたりの形状。
丸いキャップ状のものが見えますが、汚水抜き取り配管に関連するものか。

 

 

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リアのエンジンルーム周辺。現代のバスにはもう見られない開口部、
いわゆる「エンジンルーバー」が大きく設けられているのが懐かしい。
この中に収まっているのは日野DS140型ディーゼルエンジン。
名神高速線開業時に国鉄向けとして開発されたDS120型(320ps)を拡大したもので、
水平対向12気筒17,449cc、出力350psを誇る。
当時の路線バス用エンジンの出力は160~170psが主流だったから、
比較すると倍以上のパワーを発揮する超高性能だったことがわかります。
水平対向の構造を生かした全高の低いエンジンは車内寸法に有利で、
この車の長所の一つ。その姿をじっくり観察してみたいもの。

 

 

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経年で退色が進んでいるが、今も残っている「TEIKOKU BODY」の銘板。
説明版には「車体装造会社 日野車体工業」と記されていますが、
日野系列のバスボディ製造が統合して日野車体となったのは1975年のことで、
この車が製造された1969年当時はまだこの名称の会社組織は発足していません。
当時は日野純正の車体製作会社として帝国自動車工業と金産自動車工業の2社が
存在しており、この車については帝国がボディ生産を受け持っていました。

 

 

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丸型3連のテールランプを左右に配置。これも国鉄ハイウェイバスの懐かしい面影。
1974年から導入された新形式、三菱MS504系の最初期導入分まで残っていたが、
その後角形3連の形状へと変わっていきました。
多数が導入された富士重製車体と比べると、やっぱり異質なデザイン。
国鉄のみに導入するために開発された専用形式で、生産数も少ない車です。
もうこのボディは世界でこれ1両しかないのだから、文化遺産としては
どんな高価なスーパーカーより価値があるのではないかと思います。

 

 

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外観の写真は過去の訪問者の方々が数多く記録し公開されています。
ここまでの画像は誰でも撮れるものばかり。せっかく取材に来たのだから、
できるだけ詳細を収めようと思いました。もっとも、できることは限られますが。
この車の設備を細かく撮影したかったのですが、残念ながら車内非公開。
公園管理担当の方曰く、一般向けに開放展示されたことは一度もないそうです。
言い換えれば、この車の車内については引退時そのまま守られているということ。
それはそれで実車保存としてとても大切な方法だとも思うわけです。
よって、せめて車外から現役当時の気配を拾ってみることとしました。

 

 

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まずは車体前部の乗降口から。ステップを上がると運転席、右を向くと客室内。
この辺りの構造は744形や748形もほぼ同様、従って国鉄時代のハイウェイバスで
私も何度となく目にしてきた風景で、どうしてもあの頃の様子が浮かんできます。
それにしても、内装や座席、そして料金箱や整理券発行機まで、当時のままです。
よくこれだけ完璧な状態で残してきましたね。

 

 

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前ドアそばに取り付けられているメーカープレート。
昔はネットも専門誌もなく、バスを記録して回る時には
実車のこのプレートが各車の形式を知るための貴重な資料だったのです。
今のバス趣味はネットでバス専門サイトの情報を見て暗記するだけ…
趣味は自分の力で切り開いていくものなんですよ。あの頃はその魅力がありました。
私が鉄道やバスに対する興味が失せたのは、努力や苦労の甲斐が失われたから。
自宅にいたまま誰でも得られる情報など、自分には価値がないものなのです。
昔は情報が少ないのにバスの形式やメーカーの組み合わせは多彩でした。
自分の足で出向けばそれに応じた収穫があって、充実感のある世界だったのです。
前述の通り、この車両は日野車体工業の前身の一つ「帝国自動車工業」が
車体製造を担当しています。もう40年以上前に消滅している社名です。

 

 

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日野の製造銘板。ここでは形式名にハイフンが入る記載になっていますが、
国鉄の資料ではハイフンなしのRA900Pの名前で示されるようです。
初年度の1969年度は30両が新製配置されたとのこと。
747-9901が導入第1号車ということなのですが、車台番号は40003とある。
数字から推測すれば、直前に2台の製造実績のあることが想像できます。
これは「プロトタイプ」が2両存在したことを示すもの。
国鉄専用形式についてはその開発を各メーカーが担い、それぞれの形式は
納入開始前に過酷な耐久試験を実施することが義務付けられていました。
ゆえに国鉄専用形式の新形式初回ロット車については、シリアルナンバーの
末尾の数字が「03」から始まる事例が多く見られます。
この形式も国鉄納入前に2両の先行量産車が作られて、
20万kmの走行試験を行ってその性能を実証する役割を負いました。

 

 

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747形の運転席。車外から窓ガラス越しの撮影なので、不鮮明ですがご容赦。
1969年製ということもあるが、それにしても不思議な造りに見えます。
メーターパネルの中心にあるべきメーター類、小さなものが下にいくつか並ぶだけ。
大部分は表示灯とスイッチが占めていて、当時のバスと比べても異質です。
7型車は運転席の構造も国鉄の要求により独特な仕様となっていて、
この辺りの配置もメーカーに関わらずほぼ統一されていたようです。
本来はメーターパネルの中央付近に置かれるスピードメーターは、
上部右側に外付けの形で設置されています。7型は高速路線専用車、
高速運転中は極力視線の移動が少ないほうが有利です。
前方を注視したまま、なるべく少ない視線移動で済むよう、
重要な速度計はこの位置にレイアウトされる決まりがありました。
メーターパネルの左隅に、白いプレート状のものが見えます。
これは国鉄バスの全車に取り付けられていた安全運転標語の表示。
「ハンドルで 逃げるなまず止れ 心のゆるみ あとの後悔先にたたず」
と記されていました。これまた国鉄当時を感じさせる懐かしい物証です。
料金箱は手動式。運賃や切符を投入後レバーを引くと金庫に落ちる仕組み。
電源不要の簡素なもので、この原始的な料金箱が民営化まで使われていました。
当然自動両替機能もなく、代わりに1000円分の小銭が入った「両替金袋」
が用意されていました。

 

 

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運転席右側のスイッチ類。ワイパーはスイッチと別に電源があったようです。
非常点滅灯というのはハザードのことでしょう。ここで操作したんですね。
今のような「ありがとうハザード」に使うのは難しそうです。

 

 

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余談ですが、今では全国的に通用している「ありがとうハザード」は、
昭和50年代に東名を走るトラックと国鉄バスが使い始めたもの。
もう35年以上前からハイウェイバスでは使われていた合図です。
ハザードのほか、前照灯を利用したコミュニケーションも使われています
(高性能なバスならではの、灯火合図を応用した「荒業」的走法も存在しました)。
後の744形・748形は、より使いやすい位置にハザードのスイッチがありました。

 

 

車体前部から車内後方を見たところです。いつも乗り込んだ直後に眺めた景色。
メーカー間の意匠の差はあるものの、基本的な仕様は共通化されていますから、
三菱製744形や日産ディーゼル製748形もほぼ同じ内装に揃えられていました。
シートのモケット、同じ柄が国鉄末期まで古い車に残っていましたね。
一部はハイデッカーの座席と同じ明るい暖色系のストライプに張り替えられましたが。

 

 

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最前列座席。左側が1A・1B、右側の運転席直後が1C・1D。
ハイデッカーが普及する前の時代の車には前輪直上に突出部があり、
床面が高くなっているために着座した際の居住性が犠牲になっています。
膝を抱えて座るのに近い姿勢となり、長時間乗車にはちょっときつかった。
私も昼行便ではここに決めて乗っていたから、なんとなく覚えがあります。

 

 

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こちらは3列目。足元には充分な空間が確保され、足のやり場には困らなそう。
特急列車並みのリクライニングシートで、当時のバスとしては上質なものだったはず。
肘掛辺りの仕上げは私の乗った744形・748形では見たことのないデザインで、
この部分については日野のセンスで作られたものなのかもしれません。
現代では見られない作りですが、1960年代の航空機の内装デザインなどの影響を
多分に受けているような印象も受けます。

 

 

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前面窓や乗降口ステップの上部辺り。
私の経験している1977年~1982年度車とほぼ同じだと思います。
時計にはJNRマーク入り。今なら高値が付きそう。
当時の登録番号は「足立2 い 30-97」でした。
今のナンバープレートの数字は「足立200」と3桁の表記になっています。
もう2桁の「足立22」時代ですら遥か昔に感じられるようになってしまいましたね。

 

 

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車体最後部から前方を眺めます。一番後ろの座席からの視線に近いです。
ドリーム号仕様車なので補助席なし、11列で定員42名(乗務員2名含む)。
左側の壁で区切られた部分はトイレです。

 

 

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国鉄ハイウェイバスから本格採用された、トイレ。
この部分の製造は車両トイレ専門の五光製作所が担当しており、
従って車両の製造メーカーに関わらず同様の作りだったと思います。
744型ハイデッカー車(三菱MS735S)までほぼ同じドアが備わっていました。
鉄道車両用と同様ユニット化された「循環式」処理装置を持つもので、
国鉄時代の列車トイレと同じように青い薬剤を加えた洗浄水が流れます。
和式ではなく、洋式を採用。安定した着座姿勢が必要だからでしょう。
個室内の装備は鉄道用とはやや異なり、なんだか落ち着かなかった記憶があります。
狭いドアに低い天井、お世辞にもゆったり過ごせる空間とは言えませんでしたが、
それでも長距離のバスにこの設備がある安心感はとても大きかったのですね。
中央高速バスに国鉄バスが参入申請を出した際、トイレ付き車両を準備しました。
定員を多く確保する都合、トイレなし車両を原則としていた中央高速バスでは
敬遠されていた車内設備だったのですが、これが利用者には大変好評で、
結果的にその後の他社も追従してトイレ付き車両へと変わっていきました。
今の高速バスでは欠かせなくなったトイレも、最初は国鉄から始まったものです。

 

 

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固定式の窓に補助席なしのゆったりした定員。「詰め込み」感の強い乗り物が
多数を占めた時代、このバスにはゆとりを持った設計が採用されました。
床下にはサブエンジン式の冷房装置や乗客の手荷物を収納するトランクも。
今の高速バス車両の設備はずっと洗練されていますが、すべての装備は
昭和40年代から本格的に始まった国鉄高速路線車両から発展したものです。
日野7型車は生産期間こそ短かったのですが、それでも国鉄専用形式の一員。
あらゆる箇所に今の高速バスの原点を見つけることができます。

 

 

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東名や名神を疾走していた頃の姿を見ているような、変わらぬ姿。
1969年製だから今年で49年、退役は1977年ですから引退後41年です。
当時のバスは耐用年数約10年で、ほとんどはスクラップの運命でした。
この車はその4倍の時間をこの地でのんびりと過ごしていることになります。
世の中の多くの公園には保存車両(多くは鉄道車両)がありますが、
無人の環境で24時間立入可能なのでいたずらも多く、程度が悪くなることが多い。
このバスは幸いにして管理と監視の整った条件に置かれたこと、
そして屋根が設けられて保守も行き届いているために良好な保存状況にあります。
とても50年前に作られたバスのボディとは思えません。
多少なりとも風雨が当たる環境なので錆も出ているし、経年の傷みはあります。
しかし軽微な補修で新車同様に復活させられるほどの程度に保たれています。
前回記事にした千葉県船橋市の744形とは、正反対の余生に恵まれた車です。
どういう経緯で東名高速線の車両が茨城県つくばに来たのかは不明なのですが、
待遇としては最良の運命に巡り合えた7型と言えるでしょう。

 

 

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今や無数の夜行高速バスが行き交う東名高速ですが、
1969年の開通と同時に運行開始された国鉄東名高速ハイウェイバスが元祖。
その開業当時の製造第1号車が、この車。
49年前の東名を、既にこの車が時速100kmで疾走し、多くの乗客を運んでいました。
当時のデザインを持つ車体ながら、色褪せない精悍さも残しています。
あの頃とても格好良かった機能美は、今でも魅力的に映るものです。

 

 

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取材当日の午前は、不安定な天候で時々雨が落ちてくる状況でした。
目まぐるしく変わる空模様の中、一瞬の晴れ間が覗いたときの1枚。
穏やかな余生を過ごす49年前の国鉄専用形式を象徴するような、
優しい日差しに包まれた長閑な雰囲気を画像に収めることができました。
今後もこの車は大切にされ続けることでしょう。

 

 

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このバスが退役した頃、この辺りはまだ筑波山を望む田舎だったはずです。
そこに学園都市ができ、すぐ近くで科学万博が開催され、
桜村は合併してつくば市となり、次々と住宅や商業施設が作られ、
そして都心まで直結する高速鉄道路線も開業しました。近代的な都市に発展し、
今ではさくら交通公園の周囲にも大規模マンションが多く建っています。
つくばの街の成長の全てを、このバスは見続けてきたのでしょうか。
ずっと変わらないのは、常に子供たちに囲まれる環境であったこと。
今後もあらゆる時代の子供たちに見つめられながら残り続けるのだと思います。

 

 

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日本の高速バスを語るうえで欠かせない、東名ハイウェイバス開業当時の導入車両。
そしてかつて存在した国鉄という国営交通の、貴重な歴史遺産でもあります。
世界にたった1台しかない貴重な747形、一度ゆっくり向き合ってみるのも
よろしいのではないでしょうか。

 

 

 

車両以外の話題も書こうと思っていますから、まだ続きはあるのですが…
バス趣味から離れてしまっているものですから既に意欲のほうが薄れていまして、
さらに現在進行中の趣味のほうに専念しているもので余力もないのです。
次の更新は未定ですが、気が向いたとき時間ができた時に着手したいと思っています。
気長にお待ちいただけたら幸いです。1年くらいは空いてしまうかもしれませんが…。