【国鉄バスカタログ】527形・537形(その1) | 国鉄バスカタログ

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今日から5型日野車「527形」および「537形」に移ります。

 

国鉄バスにおいては、三菱車は関西以西限定配置とされ、
一方日野車は中部・北陸以東のみの配置と、はっきり棲み分けができていました。
東日本地区ではいすゞとともに日野車が多数使われていたということです。

 

 

東日本の都市部では前向き一人掛けシートの車が好まれたので、
西日本の三菱車に524形が極端に少なかったのと対照的に、
日野の527形はかなりの数が存在していました。

 

 

イメージ 1

 

 

今回は、まず1974年式(昭和49年式)~1977年式(昭和52年式)から取り上げます。

 

 

 

537-4030
私が記録している車で最も古いものが1974年式。
すでに廃車寸前であらゆる部品が外され、車庫の隅に追いやられていた。
車体全体の撮影は不可能、このような写真だが一応掲載しておく。
型式はRE100、車体は帝国。まだ日野車体が存在しない時代の製造である。
ワンマン車として新製された車のようだが、上部固定のバス窓や
リベット打ちまくりのボディ外板(同じモノコック車体でも後年の生産車は
製造技術の近代化でリベットが大幅に減っている)など、懐かしさいっぱい。

 

 

 

537-4030 日野RE100 (帝国) 水戸自動車営業所
イメージ 2

 

 

 

537-5405・5407
1975年式(昭和50年式)、RC320。板バネ車だが冷房装備・トップドアの貸切兼用車。
大変古い車で、すでに国鉄バスの耐用年数である10年を超えていたが、
関東自動車局管内にはこのグループの車が分散配置されて、観光車不足を
カバーするため老体に鞭打って活躍を続けていた。

 

 

 

棚倉自営に所属していた5405。
RC320はDK20(205ps)エンジン搭載、ホイールベース5.67mの長尺車。
車体長は11.2mに達し、堂々とした容姿を持つ車両である。
ワンマン車だが、末期はもっぱら貸切用として使用されていたようだ。
ボディメーカーは帝国自動車工業。日野車体発足前の製造車である。
直後、帝国自動車工業と金産自動車工業は合併、日野車体という新会社となった。
スタイルはすでに日野純正のものとなっており、その後製造された日野車体の車と
見分けはつかないが、今は見られない帝国ボディ架装車。貴重な存在であった。

 

 

537-5405 日野RC320 (帝国) 棚倉自動車営業所
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こちらは西那須野の5407。上記5405と同一時期に製造された車で、仕様も共通。
特筆すべきは、こちらは車体メーカーが日野車体工業製であること。
このグループが工場ライン上に乗っている間に合併が実施された模様で、
同一ロットでもメーカーが異なるという、珍しい状況になっている。
はたして5405が国鉄最後の帝国車体なのか、5407が国鉄初の日野車体なのか。
この車は国鉄バス末期の1986年頃まで生きながらえたようである。
同一グループの兄弟はほかの拠点にも存在し、中にはターボ車(RC320T)もあった。

 

 

537-5407 日野RC320 (日野) 西那須野自動車営業所
イメージ 4

 

 

 

537-6006・6015・6019・6020
1976年式(昭和51年式)、バス窓末期の導入車。
形式RE100。リーフサス、機関EB200(175ps)、軸距4.8mの短尺車。
取り回しのよさが評価されて、国鉄バスではそれなりの台数が導入されていた形式。
このロットは6001~6022の22両が導入され、東北地方自動車局管内に配置された。

 

 

 

まずは6006.どこの配置だったか記憶が曖昧だったのだが、
行先表示から調べてみると、どうやら久慈自営所属車のようである。

 

 

537-6006 日野RE100 (日野) 久慈自動車営業所
イメージ 5

 

 

こちらは北福岡自営の6015。同ロットなので仕様は同一。
東北本線北福岡駅は、現在二戸駅という駅名となっている。
新幹線が開通し、在来線は第三セクター化。駅も近代的な建築へと変わっている。
まだ北福岡と呼ばれ、駅前に国鉄バスが集っていた時代は記憶の彼方となった。

 

 

537-6015 日野RE100 (日野) 北福岡自動車営業所
イメージ 6

 

 

古川自営の6019。前面のプレートが「前乗り」である以外、外観はほかの車と同じ。

 

 

537-6019 日野RE100 (日野) 古川自動車営業所
イメージ 7

 

 

福島には6008と6020~6022の4両が集まっていた。まだまだ国鉄バスが
周辺各地を盛んに走っていた時代。バス窓のボディに国鉄カラーがよく似合う。
現在福島を拠点に走っているJRの路線バスは、わずか1路線になってしまったようだ。

 

 

537-6020 日野RE100 (日野) 福島自動車営業所
イメージ 8

 

 

 

537-6023・6029
上のグループの次ロットに当たる群で、6023~6025と6028・6029が該当。
間の6026・6027の2両については北海道に配置されたもので、これとは別グループ。
型式はRC300。搭載機関DK20(205ps)・軸距5.2m。RE100より長尺高出力である。
関東地区のうち宇都宮・烏山・土浦など、平野部の営業所に配置された。

 

 

 

宇都宮の6023。RE100より長いボディーなので、中扉後側の窓も1枚多い。
まだバスがスタイリッシュになる前の車両だが、これはこれで美しいと感じる。

 

 

537-6023 日野RC300 (日野) 宇都宮自動車営業所
イメージ 9

 

 

棚倉で撮影した6029。バス専用道経由の白棚線などの路線を控え、
長尺車の本領発揮の場だが、この自営にはもっと長い車両が揃っている。
今一つ目立たない存在にとどまっていたのがちょっと気の毒。
ただし527形の多い棚倉では少数派の537形であり、その点では異色だった。
この車は最初水戸に配置されたようなのだが、その後宇都宮に転出、
さらにここ棚倉へと移動を繰り返してきた経緯を持つ。

 

 

537-6029 日野RC300 (日野) 棚倉自動車営業所
イメージ 10

 

 

 

527-6003
上のグループと同じく、1976年式のRC300。ただしこれは527形に区分される。
前向き一人掛け座席中心の車内設備を持つが、それ以外はほぼ同等である。
521形・527形が大半を占める棚倉自営に配置されていた。

 

 

 

527-6003 日野RC300 (日野) 棚倉自動車営業所
イメージ 11

 

 

 

537-6501・6503
1976年、北海道に投入された車両群。型式RC320P。
軸距5.67mの長尺、北海道の都市路線に相応しい堂々としたスタイル。
エアサスを装備しているので形式末尾にPの符号が付く。道内の各自営には
5型のうち一部をエアサス車で配置するところが多く見られた。

 

 

 

※これら画像は民営化後の撮影

 

 

6501は厚別の配置。前面の行先表示窓の隣に系統表示窓を備えるのも、
北海道向け車両の特徴の一つ。

 

 

537-6501 日野RC320P (日野) 厚別自動車営業所
イメージ 12

 

 

6502・6503は札幌自営所属。6502が中央支所、6503は小樽支所に分散していたが、
国鉄末期に小樽に揃えられた。1976年型だが製造時期の関係で車体構造が改良され、
これまで日野車体の標準だったバス窓が廃止されてすっきりした外観に変わった。
中扉が引戸なのも北海道の車両らしい仕様といえる。

 

 

537-6503 日野RC320P (日野) 札幌自動車営業所小樽支所
イメージ 13

 

 

 

527-7005
1977年製のRC320。上の6501~6503の足回りをリーフサスとして、
座席を前向き一人掛け主体の配置に改めたタイプである。
この時代の札幌圏の路線車としてはもっともベーシックな車。

 

 

 

※この画像は民営化後の撮影

 

 

527-7005 日野RC320 (日野) 厚別自動車営業所
イメージ 14

 

 

 

537-7002
これも1977年式RC320だが、座席が前向き二人掛けとなり537形に区分される。
この頃の札幌地区では同一型式を527形と537形に振り分けて調達する傾向があった。

 

 

 

※この画像は民営化後の撮影

 

 

537-7002 日野RC320 (日野) 厚別自動車営業所
イメージ 15

 

 

 

527-7008・7009
同じく長尺のRC320だが、こちらは本州向け。よって前面の表示窓は一つ、
中扉が折戸になるなどの装備違いがある。
7008~7012の5両を調達、全車棚倉自営に配置され。バス専用道のある
白棚線などで運用した。本州以南の路線車には比較的少ないロングボディ車。

 

 

 

527-7008 日野RC320 (日野) 棚倉自動車営業所
イメージ 16

 

 

 

527-7009 日野RC320 (日野) 棚倉自動車営業所
イメージ 17

 

 

 

 

527-7016・7018
1977年式のRE100。RC320より出力が小さく、ホイールベースも4m代の短尺車。
当時北海道では殆ど見られなかったRE系だが、本州では相当数が調達された。
一人掛けシートの車内設備を持つので、527形として登録となっている。
7013~7020の8両が関東地方向けとして導入され、各自営に配置された。

 

 

 

527-7016 日野RE100 (日野) 宇都宮自動車営業所
イメージ 18

 

 

527-7018 日野RE100 (日野) 棚倉自動車営業所
イメージ 19

 

 

 

527-7021・7027・7030
上のグループの直後に納入された群で、7020~7023及び7026~7030の9両が該当。
元々は中部地方自動車局向けに発注されたもので、中扉も引戸となっている。
形式はRC300、搭載機関はDK20(205ps)、ホイールベース5.2m。
のちに一部が東北地方に転出しており、また民営化以降新会社内で配置転換が
行われた関係で、かつては日野車の配置範囲外だった関西に移った車もあった模様。

 

 

 

7021は東北異動組のうちの1両で、北福岡自動車営業所に配置されていた車である。
時期については不明だが、どうやら1982年頃に移ったものと推測される。
東北本線には北福岡という名の駅があり、北福岡自営はこれに隣接していたのだが、
1987年2月、駅名改称により現在の二戸となった。バスの車庫はこれよりやや遅れて、
4月の民営化と同時に二戸自営に改称。その後二戸営業所となり、現在に至る。
行先表示に北福岡の名が見える。国鉄時代を物語る懐かしいカット。

 

 

527-7021 日野RC300 (日野) 北福岡自動車営業所
イメージ 20

 

 

7027も東北への転入車。こちらは古川自営に配置。

 

 

527-7027 日野RC300 (日野) 古川自動車営業所
イメージ 21

 

 

こちらは移動を免れ、生まれながらの北陸地方で活躍し続けた車両。
金沢自営の7030。中扉引戸の都市型仕様は、この地で活用されるべきもの。
最後まで金沢を離れることなく本来の使命を全うした車。
前面窓ガラスが79年以降の車と同じような左右2枚のものに交換されており、
いくらかすっきりとした印象を受ける。

 

 

527-7030 日野RC300 (日野) 金沢自動車営業所
イメージ 22

 

 

 

537-7018・7019
これもRC300。ただし二人掛け座席装備なので、537形となっている。
7018~7020の3両が福島営業所に配置された。中扉は標準仕様の折戸。

 

 

 

537-7018 日野RC300 (日野) 福島自動車営業所
イメージ 23

 

 

537-7019 日野RC300 (日野) 福島自動車営業所
イメージ 24

 

 

 

537-7402・7403
1977年式(昭和52年式)の最後はこの車。館山自動車営業所に配置されていたRC300。
まだまだ非冷房車が多かった一般路線仕様車の中で、貴重な冷房車。
温暖な房総半島で活躍する車、観光路線も多く控えていることから、
当時としては豪華なサービス装備を奢られていたようだ。

 

 

 

537-7402 日野RC300 (日野) 館山自動車営業所
イメージ 25

 

 

537-7403 日野RC300 (日野) 館山自動車営業所
イメージ 26

 

 

 

537-7502
北海道向けエアサス車、RC320P。前述の537-6501~6503の増備分、ほぼ同一仕様。
1977年度導入車までは上部マーカーランプは取り付けられていないはずなのだが、
この車には付いている。どうやらのちに追加されたもののようだ。78年度車以降の
純正マーカーランプと比べると、取り付け位置が微妙にずれているのがわかる。

 

 

 

537-7502 日野RC320P (日野) 札幌自動車営業所
イメージ 27

 

 

 

5型日野車は次回以降に続きます。