国鉄バスカタログ

国鉄バスカタログ

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先日公開させていただきました744形廃車体のお話。
現地取材の直後に、もう1両の7型を訪ねることにしました。
こちらは保存車として公開されている車なので人目に触れる存在で、
これまで多くの人が画像に収めている有名な車なのですが、
そういう物件ゆえに私はなかなか接することがないままだったのです。
今回7型絡みということで、まとめて記録しようという気持ちになりました。

 

大変有名な存在で、バス愛好者以外にも知られた車両です。
私が画像を公開するまでもないとは思うのですが、一応国鉄バス現役時代から
撮影記録をしてきた身ですから、ここは30年越しのまとめとしてやっておくか…
などという考えで公開しておこうと思います。

 

 

 

茨城県つくば市。中心街から少し外れたエリアに「さくら交通公園」があります。
市が管理する公園で、その名の通り交通に関しての展示・遊具が揃います。
それほど規模は大きくないので「博物館」並みの展示はないんですが、
その代わり無料開放されていて気軽に訪れることができます。
係員を配置して管理している施設で、夕方から翌朝までは閉園です。

 

 

 

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この交通公園の人気はゴーカートと自転車、安価な貸し出しをしていて
公園内を走ることができます。教習所のような園内コースがあって、
信号などを体験することで子供たちが交通ルールを学べる造りです。
そして数は少ないながらも乗り物の実物が展示されています。
保存車両の目玉と言えるのが蒸気機関車で、おなじみのD51。

 

 

イメージ 2

 

 

運転席にも自由に乗ることができます。さすがは交通公園。

 

 

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よく見かけるD51とはちょっと違った姿をしています。
戦前から戦時中まで1100両以上が作られたD51はいくつかの形態があって、
ここに展示されている70号機は初期型に属する1両。
煙突前の給水温め器がなく、ボイラー上のドームが一体化した
「なめくじ」などと呼ばれる流線型を持ち、独特のスタイルです。
屋根付きの環境で大切にされているため、状態は悪くありません。
現在JR東日本ではD51の498号機を動態保存機として本線運転していますが、
復元計画当初の調査において状態の良いD51としてもう1両候補に残っていたのが、
ここさくら交通公園に保存されている70号機だったと言われます。

 

 

イメージ 4

 

 

D51は正門入ってすぐ、公園の管理事務所に隣接する一等地に置かれています。
少し離れた場所、位置的にはやや格下かもしれませんが、もう一つ重要な展示車両が。
それが、今回取り上げる国鉄バス7型車。

 

 

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懐かしい国鉄バスカラー、そして国鉄ハイウェイバスらしいスマートなボディ。
30年ちょっと前まで東名高速でよく見かけたモノコックの7型そのものの雰囲気…
なのですが、なんとなく見慣れたあのスタイルとは微妙に違う気もします。

 

 

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国鉄バス末期にハイウェイバスを眺めた人には違和感を感じる、その理由。
この車は民営化直前にはすでに見ることの出来なかった車種です。
7型モノコック車が増備されていたのは1982年度までなのですが、
当初国内ディーゼル4社すべてが参加した7型車の生産も、最後に残ったのは
三菱(744形)と日産ディーゼル(748形)の2社のみとなっていました。
ここで保存されている7型は、日野製の747形。
シャーシ形式はRA900P。国鉄専用に開発された車で、他社には納入されていません。
1969年の東名高速線開業時から7型車の生産に加わっていた日野自動車ですが、
1975年度を最後に脱退しています。つまり6年間しか作られなかった少数派。
ほかに保存例はない貴重な車ですが、なぜか東名高速線とは無縁の茨城にある。
なんだか不思議な存在なのですが、今も大切にされているのはとてもありがたい。

 

 

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全長12mのロングボディーで、伸びやかなフォルムが特徴。
7型車は国鉄主導で仕様が決定され、要求に見合った車両をメーカーが開発…
という、日本国内のバスとしては特殊な経緯で誕生しました。
従って窓配置などは7型車共通の仕様に基づいて設計されているのですが、
三菱と日産ディーゼルは共に富士重の車体を架装して同一デザインなのに対し、
この車は足回りも車体も日野系列で開発されているのでやや違う味付けです。
厳密な寸法差は解りませんが、側窓の天地方向がやや大きく、屋根が薄く見えます。
そして前後の傾斜角が独特のもので、結果としてシルエットはかなり違って映ります。

 

 

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正面から見たところ。お馴染み高速専用744形・748形と類似してはいますが、
車体メーカーが違う上にメカニズムも異なるので、造りは結構差があります。
この車両は三菱車や日産ディーゼル車とは別の思想を多く含んでいます。
斬新なアイデアも多く盛り込んでいるんですが、残念ながらその画期的な発想も
現場では異端児的な扱いになったようで、結果淘汰を早めたことは否めません。
この車も新車投入の8年後には廃車されているそうです。

 

 

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富士重や三菱とは微妙に違う、ライト周りの形状。
国鉄では6型として日野のこのマスクの車を1980年代まで配備したのですが、
747形ではそれらとは異なる部分があって独特の雰囲気を感じます。

 

 

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特に違うのが前面に開口部があること。日野の観光タイプのボディの場合、
ライト周りは装飾的なマスクでレイアウトされることが多いのですが、
この形式では乗用車同様に「フロントグリル」となっているのが大きな特徴。
7型車のうち747形のみ、ラジエータが車体最前部にあるのです。

 

 

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高速路線専用車という性格上、前面に冷却系を置くレイアウトをしてやれば
もっとも効率よい機能を発揮するであろうことは容易に想像できるんですが、
バスは一般的にリアエンジンですから車体前部までの冷却配管が長大になり、
あまり現実的ではない手法です。それでも日野はその例外を選択しました。
これまた現場では好まれなかったのでしょう。他メーカーが保守的な設計に
徹していたのですから、特殊な造りの車両を敬遠するのも止む無いことです。
結果的に以降のリアエンジン型バスにはフロントラジエーターは見られません。
現代のバスは熱効率も冷却性能も向上し、そこまでせずとも安定運用できます。
まだ技術途上の時代、先進的なコンセプトのバスに情熱を注ぎこんだ、
当時の日野自動車開発陣の意欲を感じられる装備です。

 

 

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開業早々この特殊な構造に起因するちょっとしたトラブルがあったのだとか。
前面に運行開始記念の横断幕状の装飾をして颯爽と東名に乗り出したら、
ラジエーター部への導風を塞いでしまったことでオーバーヒート寸前になった…
などというエピソードを耳にした覚えがあるんですが、本当なのでしょうか。

 

 

前面左右のフラッシャー(ウインカー)のレンズは、横向き五角形の矢印型。
当時の国鉄路線バスなどにも多用され、7型では1973年あたりまで使われました。
現在JR西日本バスが保管している744形も、この形状のレンズを持ちます。
そう、この車は東名ハイウェイバス創設当時の、貴重な歴史遺産なのです。

 

 

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1969年、国鉄東名高速線開業。それに向けてディーゼル4社が威信をかけて
開発にしのぎを削ったのが、国鉄バス専用形式の7型という車。
この車の称号は747-9901。ハイフン直後の数字は西暦の下1桁を示します。
748-9901なら当国鉄バスカタログにも掲載していますが、あれは1979年車。
この車は同じ9の数字でも開業当時の1969年度導入車、そのトップナンバーです。

 

 

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今も現役当時のまま残る「ドリーム号東京駅」の行先表示。
日野のエンジンは三菱や日産ディーゼルのV型エンジンよりコンパクトで、
車内有効面積が取れることから夜行便「ドリーム号」用として好まれたと聞きます。

 

 

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昔のままの「国鉄」ロゴと、ツバメマーク。
国鉄解体から30年以上を経て、今なお変わらぬ姿を留めています。

 

 

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今度は後側から眺めてみます。744形や748形は数多く見てきましたが、
それら富士重工製とは若干違う意匠によって作られています。
後部の独特な傾斜角などは明らかに異なるラインを感じます。
最後部の半透明の窓部分には、当時まだ珍しかったトイレが設置されています。

 

 

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後輪付近、ちょうどトイレ下あたりの形状。
丸いキャップ状のものが見えますが、汚水抜き取り配管に関連するものか。

 

 

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リアのエンジンルーム周辺。現代のバスにはもう見られない開口部、
いわゆる「エンジンルーバー」が大きく設けられているのが懐かしい。
この中に収まっているのは日野DS140型ディーゼルエンジン。
名神高速線開業時に国鉄向けとして開発されたDS120型(320ps)を拡大したもので、
水平対向12気筒17,449cc、出力350psを誇る。
当時の路線バス用エンジンの出力は160~170psが主流だったから、
比較すると倍以上のパワーを発揮する超高性能だったことがわかります。
水平対向の構造を生かした全高の低いエンジンは車内寸法に有利で、
この車の長所の一つ。その姿をじっくり観察してみたいもの。

 

 

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経年で退色が進んでいるが、今も残っている「TEIKOKU BODY」の銘板。
説明版には「車体装造会社 日野車体工業」と記されていますが、
日野系列のバスボディ製造が統合して日野車体となったのは1975年のことで、
この車が製造された1969年当時はまだこの名称の会社組織は発足していません。
当時は日野純正の車体製作会社として帝国自動車工業と金産自動車工業の2社が
存在しており、この車については帝国がボディ生産を受け持っていました。

 

 

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丸型3連のテールランプを左右に配置。これも国鉄ハイウェイバスの懐かしい面影。
1974年から導入された新形式、三菱MS504系の最初期導入分まで残っていたが、
その後角形3連の形状へと変わっていきました。
多数が導入された富士重製車体と比べると、やっぱり異質なデザイン。
国鉄のみに導入するために開発された専用形式で、生産数も少ない車です。
もうこのボディは世界でこれ1両しかないのだから、文化遺産としては
どんな高価なスーパーカーより価値があるのではないかと思います。

 

 

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外観の写真は過去の訪問者の方々が数多く記録し公開されています。
ここまでの画像は誰でも撮れるものばかり。せっかく取材に来たのだから、
できるだけ詳細を収めようと思いました。もっとも、できることは限られますが。
この車の設備を細かく撮影したかったのですが、残念ながら車内非公開。
公園管理担当の方曰く、一般向けに開放展示されたことは一度もないそうです。
言い換えれば、この車の車内については引退時そのまま守られているということ。
それはそれで実車保存としてとても大切な方法だとも思うわけです。
よって、せめて車外から現役当時の気配を拾ってみることとしました。

 

 

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まずは車体前部の乗降口から。ステップを上がると運転席、右を向くと客室内。
この辺りの構造は744形や748形もほぼ同様、従って国鉄時代のハイウェイバスで
私も何度となく目にしてきた風景で、どうしてもあの頃の様子が浮かんできます。
それにしても、内装や座席、そして料金箱や整理券発行機まで、当時のままです。
よくこれだけ完璧な状態で残してきましたね。

 

 

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前ドアそばに取り付けられているメーカープレート。
昔はネットも専門誌もなく、バスを記録して回る時には
実車のこのプレートが各車の形式を知るための貴重な資料だったのです。
今のバス趣味はネットでバス専門サイトの情報を見て暗記するだけ…
趣味は自分の力で切り開いていくものなんですよ。あの頃はその魅力がありました。
私が鉄道やバスに対する興味が失せたのは、努力や苦労の甲斐が失われたから。
自宅にいたまま誰でも得られる情報など、自分には価値がないものなのです。
昔は情報が少ないのにバスの形式やメーカーの組み合わせは多彩でした。
自分の足で出向けばそれに応じた収穫があって、充実感のある世界だったのです。
前述の通り、この車両は日野車体工業の前身の一つ「帝国自動車工業」が
車体製造を担当しています。もう40年以上前に消滅している社名です。

 

 

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日野の製造銘板。ここでは形式名にハイフンが入る記載になっていますが、
国鉄の資料ではハイフンなしのRA900Pの名前で示されるようです。
初年度の1969年度は30両が新製配置されたとのこと。
747-9901が導入第1号車ということなのですが、車台番号は40003とある。
数字から推測すれば、直前に2台の製造実績のあることが想像できます。
これは「プロトタイプ」が2両存在したことを示すもの。
国鉄専用形式についてはその開発を各メーカーが担い、それぞれの形式は
納入開始前に過酷な耐久試験を実施することが義務付けられていました。
ゆえに国鉄専用形式の新形式初回ロット車については、シリアルナンバーの
末尾の数字が「03」から始まる事例が多く見られます。
この形式も国鉄納入前に2両の先行量産車が作られて、
20万kmの走行試験を行ってその性能を実証する役割を負いました。

 

 

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747形の運転席。車外から窓ガラス越しの撮影なので、不鮮明ですがご容赦。
1969年製ということもあるが、それにしても不思議な造りに見えます。
メーターパネルの中心にあるべきメーター類、小さなものが下にいくつか並ぶだけ。
大部分は表示灯とスイッチが占めていて、当時のバスと比べても異質です。
7型車は運転席の構造も国鉄の要求により独特な仕様となっていて、
この辺りの配置もメーカーに関わらずほぼ統一されていたようです。
本来はメーターパネルの中央付近に置かれるスピードメーターは、
上部右側に外付けの形で設置されています。7型は高速路線専用車、
高速運転中は極力視線の移動が少ないほうが有利です。
前方を注視したまま、なるべく少ない視線移動で済むよう、
重要な速度計はこの位置にレイアウトされる決まりがありました。
メーターパネルの左隅に、白いプレート状のものが見えます。
これは国鉄バスの全車に取り付けられていた安全運転標語の表示。
「ハンドルで 逃げるなまず止れ 心のゆるみ あとの後悔先にたたず」
と記されていました。これまた国鉄当時を感じさせる懐かしい物証です。
料金箱は手動式。運賃や切符を投入後レバーを引くと金庫に落ちる仕組み。
電源不要の簡素なもので、この原始的な料金箱が民営化まで使われていました。
当然自動両替機能もなく、代わりに1000円分の小銭が入った「両替金袋」
が用意されていました。

 

 

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運転席右側のスイッチ類。ワイパーはスイッチと別に電源があったようです。
非常点滅灯というのはハザードのことでしょう。ここで操作したんですね。
今のような「ありがとうハザード」に使うのは難しそうです。

 

 

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余談ですが、今では全国的に通用している「ありがとうハザード」は、
昭和50年代に東名を走るトラックと国鉄バスが使い始めたもの。
もう35年以上前からハイウェイバスでは使われていた合図です。
ハザードのほか、前照灯を利用したコミュニケーションも使われています
(高性能なバスならではの、灯火合図を応用した「荒業」的走法も存在しました)。
後の744形・748形は、より使いやすい位置にハザードのスイッチがありました。

 

 

車体前部から車内後方を見たところです。いつも乗り込んだ直後に眺めた景色。
メーカー間の意匠の差はあるものの、基本的な仕様は共通化されていますから、
三菱製744形や日産ディーゼル製748形もほぼ同じ内装に揃えられていました。
シートのモケット、同じ柄が国鉄末期まで古い車に残っていましたね。
一部はハイデッカーの座席と同じ明るい暖色系のストライプに張り替えられましたが。

 

 

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最前列座席。左側が1A・1B、右側の運転席直後が1C・1D。
ハイデッカーが普及する前の時代の車には前輪直上に突出部があり、
床面が高くなっているために着座した際の居住性が犠牲になっています。
膝を抱えて座るのに近い姿勢となり、長時間乗車にはちょっときつかった。
私も昼行便ではここに決めて乗っていたから、なんとなく覚えがあります。

 

 

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こちらは3列目。足元には充分な空間が確保され、足のやり場には困らなそう。
特急列車並みのリクライニングシートで、当時のバスとしては上質なものだったはず。
肘掛辺りの仕上げは私の乗った744形・748形では見たことのないデザインで、
この部分については日野のセンスで作られたものなのかもしれません。
現代では見られない作りですが、1960年代の航空機の内装デザインなどの影響を
多分に受けているような印象も受けます。

 

 

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前面窓や乗降口ステップの上部辺り。
私の経験している1977年~1982年度車とほぼ同じだと思います。
時計にはJNRマーク入り。今なら高値が付きそう。
当時の登録番号は「足立2 い 30-97」でした。
今のナンバープレートの数字は「足立200」と3桁の表記になっています。
もう2桁の「足立22」時代ですら遥か昔に感じられるようになってしまいましたね。

 

 

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車体最後部から前方を眺めます。一番後ろの座席からの視線に近いです。
ドリーム号仕様車なので補助席なし、11列で定員42名(乗務員2名含む)。
左側の壁で区切られた部分はトイレです。

 

 

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国鉄ハイウェイバスから本格採用された、トイレ。
この部分の製造は車両トイレ専門の五光製作所が担当しており、
従って車両の製造メーカーに関わらず同様の作りだったと思います。
744型ハイデッカー車(三菱MS735S)までほぼ同じドアが備わっていました。
鉄道車両用と同様ユニット化された「循環式」処理装置を持つもので、
国鉄時代の列車トイレと同じように青い薬剤を加えた洗浄水が流れます。
和式ではなく、洋式を採用。安定した着座姿勢が必要だからでしょう。
個室内の装備は鉄道用とはやや異なり、なんだか落ち着かなかった記憶があります。
狭いドアに低い天井、お世辞にもゆったり過ごせる空間とは言えませんでしたが、
それでも長距離のバスにこの設備がある安心感はとても大きかったのですね。
中央高速バスに国鉄バスが参入申請を出した際、トイレ付き車両を準備しました。
定員を多く確保する都合、トイレなし車両を原則としていた中央高速バスでは
敬遠されていた車内設備だったのですが、これが利用者には大変好評で、
結果的にその後の他社も追従してトイレ付き車両へと変わっていきました。
今の高速バスでは欠かせなくなったトイレも、最初は国鉄から始まったものです。

 

 

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固定式の窓に補助席なしのゆったりした定員。「詰め込み」感の強い乗り物が
多数を占めた時代、このバスにはゆとりを持った設計が採用されました。
床下にはサブエンジン式の冷房装置や乗客の手荷物を収納するトランクも。
今の高速バス車両の設備はずっと洗練されていますが、すべての装備は
昭和40年代から本格的に始まった国鉄高速路線車両から発展したものです。
日野7型車は生産期間こそ短かったのですが、それでも国鉄専用形式の一員。
あらゆる箇所に今の高速バスの原点を見つけることができます。

 

 

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東名や名神を疾走していた頃の姿を見ているような、変わらぬ姿。
1969年製だから今年で49年、退役は1977年ですから引退後41年です。
当時のバスは耐用年数約10年で、ほとんどはスクラップの運命でした。
この車はその4倍の時間をこの地でのんびりと過ごしていることになります。
世の中の多くの公園には保存車両(多くは鉄道車両)がありますが、
無人の環境で24時間立入可能なのでいたずらも多く、程度が悪くなることが多い。
このバスは幸いにして管理と監視の整った条件に置かれたこと、
そして屋根が設けられて保守も行き届いているために良好な保存状況にあります。
とても50年前に作られたバスのボディとは思えません。
多少なりとも風雨が当たる環境なので錆も出ているし、経年の傷みはあります。
しかし軽微な補修で新車同様に復活させられるほどの程度に保たれています。
前回記事にした千葉県船橋市の744形とは、正反対の余生に恵まれた車です。
どういう経緯で東名高速線の車両が茨城県つくばに来たのかは不明なのですが、
待遇としては最良の運命に巡り合えた7型と言えるでしょう。

 

 

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今や無数の夜行高速バスが行き交う東名高速ですが、
1969年の開通と同時に運行開始された国鉄東名高速ハイウェイバスが元祖。
その開業当時の製造第1号車が、この車。
49年前の東名を、既にこの車が時速100kmで疾走し、多くの乗客を運んでいました。
当時のデザインを持つ車体ながら、色褪せない精悍さも残しています。
あの頃とても格好良かった機能美は、今でも魅力的に映るものです。

 

 

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取材当日の午前は、不安定な天候で時々雨が落ちてくる状況でした。
目まぐるしく変わる空模様の中、一瞬の晴れ間が覗いたときの1枚。
穏やかな余生を過ごす49年前の国鉄専用形式を象徴するような、
優しい日差しに包まれた長閑な雰囲気を画像に収めることができました。
今後もこの車は大切にされ続けることでしょう。

 

 

イメージ 39

 

 

このバスが退役した頃、この辺りはまだ筑波山を望む田舎だったはずです。
そこに学園都市ができ、すぐ近くで科学万博が開催され、
桜村は合併してつくば市となり、次々と住宅や商業施設が作られ、
そして都心まで直結する高速鉄道路線も開業しました。近代的な都市に発展し、
今ではさくら交通公園の周囲にも大規模マンションが多く建っています。
つくばの街の成長の全てを、このバスは見続けてきたのでしょうか。
ずっと変わらないのは、常に子供たちに囲まれる環境であったこと。
今後もあらゆる時代の子供たちに見つめられながら残り続けるのだと思います。

 

 

イメージ 40

 

 

日本の高速バスを語るうえで欠かせない、東名ハイウェイバス開業当時の導入車両。
そしてかつて存在した国鉄という国営交通の、貴重な歴史遺産でもあります。
世界にたった1台しかない貴重な747形、一度ゆっくり向き合ってみるのも
よろしいのではないでしょうか。

 

 

 

車両以外の話題も書こうと思っていますから、まだ続きはあるのですが…
バス趣味から離れてしまっているものですから既に意欲のほうが薄れていまして、
さらに現在進行中の趣味のほうに専念しているもので余力もないのです。
次の更新は未定ですが、気が向いたとき時間ができた時に着手したいと思っています。
気長にお待ちいただけたら幸いです。1年くらいは空いてしまうかもしれませんが…。
 

 

 

久々の更新です。
ここまで過去ブログの記事を大幅修正・加筆して転載してきましたが、
この話題については新規に書かせていただくことにします。
バス趣味から離れて約30年、久々に取材を行っています。

 

国鉄バスが民営化されてからもう30年以上が経過しました。
国鉄専用形式の生産が終了してそれだけの時間が経過していますから、
当然ながら現役の車はなく、廃車されたものもほとんどが処分されています。
それでも今なお姿を留めているものがごく少数存在しています。
大阪・交通科学館に長期間展示され、現在は西日本JRバスが保管している
東名ハイウェイバス開業時の744形などがその代表です。
しかし、展示や保存の目的以外で人知れず形を残しているものもあります。

 

 

運用範囲が限定され引退後の中古流通もなかった7型にとって、廃車後の運命は
決して明るいものではありませんでしたが、今も解体されていないのは奇跡的。
もっともその待遇は幸せとは言えず、やや複雑な心境にはなるんですが…
ほかではもう見ることのできない744形の姿を拝めるのですから、
貴重であることには変わりないと思います。

 

 

残存しているのは三菱MS504R。一部では有名な車のようですから詳しい方なら
ご存知かと思います(バス趣味をやめた私が知っているほどですから)。
しかし一般公開されていない私有物件なので、当方で詳しい情報を明かすことは
避けることにいたします。お問い合わせいただいてもお答えは致しかねます。
ほかの方が詳しい場所を説明されているかもしれませんが、私有地内で
倉庫・事務所として使われているようですから、もし訪れる方がいらしたら
不法侵入などしないようくれぐれも節度を持って、眺めるだけに留めてください
(所有者の業者さんはあまりバス愛好者に対して良い印象をお持ちでないような
話も聞いた記憶がありますから、迷惑にならないようにお願いします)。

 

 

 

千葉県船橋市。市街地の外れ、起伏のある住宅地の一角に、
貴重な744形の亡骸が佇んでいます。

 

 

 

イメージ 1

 

 

自動車整備業者のようなのですが、なんとなく営業中という気配を感じません。
もしかしたら本来の事業所は別にあって、ここは不定期に開くのかもしれません。
744形はそんな場所で休憩室のような役割で使われているようです。
保存目的で譲渡されたものではなく、あくまでプレハブ小屋代わり。
だから外装が傷んでも再塗装や補修を施されることもなく、
雨曝しの車体はすっかり朽ち果てて見るも無残な状態です。
塗装も剥がれて外板は劣化しボロボロ。しかし意外なことに
一番ダメージを受けそうな屋根上だけは比較的綺麗。
ほかの部分と材質が違うのかもしれません。7型は軽量化のために
車体の構造に軽合金を多用していると聞きます。
現役で走っていた頃、営業所の方から「7型の屋上には磁石が付かない」
という話を聞いた気がするんですが、こういうことだったのか。

 

 

イメージ 2

 

 

裏手に回ると車体前部が眺められます。30年ぶりに見るアングルです。
当時すでに陳腐化した車でしたが、走れば超一流のスーパーバス。
乗り込む前は常にこのフォルムを目にするところから始まっていたわけで、
記憶に刻まれているのは当然なのかもしれません。

 

 

イメージ 3

 

 

称号は744-0903。当「国鉄バスカタログ」では未掲載ですが、
東京自営に配置され東名高速線昼行便で走り続けた車です。
乗降口横の方向幕はなぜか「超特急京都駅」になっていますが、
ドリーム仕様ではないこの車は通常東名高速線限定運用だったはずで、
現役時代にこの表示を使ったことがあるのかどうかは謎です。
タイヤは付いていますが、もう移動することのない用途なので
脚が追加されて地面に固定されているようです。
照明やポストも取付。かつてのスーパーバスは、もう車ではないんですね。
30年前のあの頃の颯爽と走る姿が記憶の中に鮮やかに残りすぎていて、
今のこの姿を見るとなんだか悲しくなってしまいます。

 

 

イメージ 4

 

 

車体後部も見ることができます。ちょうどトイレがあった部分。
今の内装はどうなのでしょう。大事にされていないことは間違いありません。
「JR東日本」の表示が残ります。国鉄民営化後1年間だけ存在した社名ですが、
この車の廃車時期は把握していません。まもなくバス趣味をやめてしまったので…。
何にせよMS504系の多くは民営化後比較的早い時期に淘汰されたようですから、
この車両もここに置かれて30年近くは経過しているはずです。
保存車なら何度か補修されているべきところですが、ここでは使い捨ての小屋。
朽ちて使えなくなったら捨てるだけ、そういう見込みで廃車を買ってきたものです。
だからここに移設されてから一度も修繕塗装はされていないものと思われます。
雨に打たれ日光に曝され、何十回もの暑い夏と寒い冬に痛めつけられてきました。
もう、今から手を施しても、元の姿に戻すことは困難でしょう。

 

 

イメージ 5

 

 

平成に入ってバス趣味が広まり始めた頃、それまで注目されなかったバスも
保存や復元の気運が高くなり、744形の貴重な生き残りだったこの車についても
注目され、買い取って保存したいという人がいたようなのです。
しかしこの所有者はその申し出を断ったらしい気配なのですね。
噂で聞いただけですから信憑性はありませんが…でもこの状態ですから、
バスを文化遺産として重視するような思想とは違うのかもしれません。
それはそうですよね。プレハブ小屋の代わりに手っ取り早い廃車を
買っただけですから。これは保存車ではないのです。
ここに来たのはこの車にとって幸せな運命だったのか、そうでなかったのか。
考えれば言いたいこともあるんですが、でもここに置かれることがなかったら、
2018年の現代でこの形式を眺められなかったであろうことも事実。

 

 

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MS504系については愛知県豊田市の旧足助町辺りにも
1974年式MS504Qの最初期導入車の廃車体が残っていたそうなのですが、
早い時期に撤去されてしまい、もう見ることはできません。
これが本当にMS504系最後の1両でしょう。

 

 

貴重な車であることなど近隣の誰に気づかれることもなく、
おそらくは所有者の思い入れも希薄で、荒れ果てた状態で残り続けています。
はたしていつまで残るのか。最後はあっけなくなくなってしまう気がします。
この貴重なバスの最後は、そんな終わり方が相応しいのかもしれません。
国鉄バスの最高峰として活躍した現役時代、そしてプレハブ代用で使われた余生。
その二つ目の役割が終わるのは、それほど遠い日ではないような気もします。

 

 

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この744形廃車体を取材した当日、もう1両の7型車を記録しています。
いろんな意味で対照的なもう1台の7型現存車、
次の機会にご紹介してみようと思います。
 

 

 

国鉄自動車といえば欠かせない形式がまだ残っていました。
せっかくなのでこの機会に紹介させていただきます。

 

 

国鉄バスには大きさや用途によって1型から7型までの区分がある
…というのは、すでに解説してきたとおり。
ただし、自動車局の決まり上は、8と9も存在する。
これらはあまり知られていないし、画像の記録としてもほとんど残って
いないのではないかと思う。7型までの各車よりはるかに人目に触れる
機会が少なく、また趣味対象になりにくかったのである。
比較的早期に姿を消したことも、知名度の低い理由と思われる。

 

 

 

幸運にも、たった1枚だが貴重な9型の画像を記録していた。
今回はそれをご覧いただこうと思う。

 

 

 

921-7015
1977年度導入車。
型式はいすゞSBR372。わかりやすい呼び名で言うと「いすゞフォワード」。
モデルチェンジを繰り返し今なお販売されている、中型トラックのベストセラー。
これは国鉄貨物自動車(いわゆる「国鉄トラック」)の1車両である。
機関は6BB1(145PS)。1型の項で紹介した131形DBR370と同じエンジンである。
開発当時は世界最小の直噴式ディーゼルエンジンと言われた。
国鉄バスとは無縁な外観と思いきや、動輪マークもJNRマークもついている。
ただしおなじみツバメマークはない。ツバメは旅客輸送の象徴だったのだろう。

 

 

 

国鉄自動車の使命は、国有鉄道ネットワークの補完、あるいは鉄道が届かない
その先の部分への連絡輸送など、常に鉄道を支える意味合いで営業を続けてきた。
旅客ばかりに目が行くが、これは貨物も同様である。国鉄の自動車局では
バスによる旅客営業だけでなく、トラックによる貨物輸送も行われていた。
ただし、その後国鉄自動車の貨物輸送は急速に衰退した。
流通が民間長距離トラック中心の形態に変わり貨物列車が消えていったが、
国鉄トラックはそれより早い時期から縮小され、あっという間に消滅したようだ。

 

 

この車は昭和60年頃まで生き残っていた貴重な車であるが、よく見れば白ナンバー。
すでに貨物営業の任務を解かれ、事業用に転用され余生を送っていたのである。
事業用にこれほど大きなトラックは必要なく、小型トラックやバンなどで事足りる。
耐用年数を満了した段階で、ひっそりと消えて行ったのだろう。

 

 

国鉄トラックについては記録を残した人はごく稀なようで、
ネットで検索をかけてもほとんど画像がヒットしない。
カラー写真や晩年の画像は全くと言っていいほど見つからないので、
事業用車転用後とはいえ、もしかするととても貴重な写真なのかもしれない。
青緑色が国鉄トラックのシンボルカラー。常磐線の電車ともどこか違う、
微妙な色合いが印象的である。

 

 

921-7015 いすゞSBR372 土浦自動車営業所(事業用車)
イメージ 1

 

 

称号規定によると、9型は最大積載量4トン以上の貨物車を指すことになっている。
4トン未満については8型として登録される決まりだ。画像をよく見ると、7015の奥に
青いいすゞエルフが見える。どうやら、これが8型トラックだったようだ。
当時はバスを目的として調べまわっていたので、トラックに目が行くはずもなく、
8型の記録など考えてもいなかった。今考えれば惜しいことをした。

 

 

イメージ 2

 

 

 

●車両画像の掲載は今回で終わりましたので、3日毎更新は終了します。
 今後は不定期で車両以外の国鉄バス関係資料等を掲載していく予定です。

 

 

 

 

 

国鉄バス専用形式7型のうち、日産ディーゼル製748形を公開します。
これまで国鉄バスの画像をブログの場でご覧いただいてきましたが、
当方の手元にある記録は今回の分で全てです。

 

7型で圧倒的な勢力を持っていた三菱車に対し日産ディーゼル車は少数派、
配置も名古屋自営のみ、運行路線も原則として東名高速線に限定されるなど、
あまり目立たない存在だったように思います。導入年度も限られ、記録も
さほど多くはないのですが、年式順に並べてみます。

 

 

 

748-9901・9909
1979年度導入車。この年は9901~9910の10両を新製し、全車名古屋に配置した。
日産ディーゼル製の7型は一時期導入されていたのだが、生産が休止となり
しばらくの間納車も中断していた。この年度から久しぶりに調達再開となる。
形式はRA60S。機関はV型10気筒のRD10で、高出力350psを発揮する。
従来導入されていたV8RA120は2サイクルのV8エンジンで、掃気のため
スーパーチャージャーを装備した異色のの7型だった(国鉄専用形式7型については
過給機の付加は認められていなかったが、エンジン構造上必要な装置なので
日産ディーゼル車のみは許容されていた)。2サイクルエンジン製造終了により
しばらく導入をやめていたが、V10の4サイクルエンジンで復帰したものである。
三菱車と同じ富士重車体を架装しており外観もほぼ統一されているが、シャーシや
機関の構造が異なるためエンジンルーバーの形状などに違いがみられる。
出力は三菱MS504系と同性能に揃えられているが、最高速度は135km/hとやや低い。
乗務員からは「排気ブレーキの利きがよい」点は好まれたが、横風などの際の
操舵性にはやや劣る部分もあり、全体的には三菱車と比べ低評価だったようだ。

 

 

 

・748-9901
久々に調達が再開された748形。新形式RA60Sのトップナンバーである。
ご覧の通り三菱車とほぼ同じボディを架装するが、この面から見て
エンジン部に開口部が存在するのが大きな相違点である。
エンジンルームの形状や容積など床構造に違いがあることから、座席配置も
三菱車と若干寸法差があり、厳密には窓の配置も微妙に相違しているのだが、
肉眼で見るだけでは区別できない程度である。
この車のシリアルはRA60S-00003。以降の車は00004から順に数字が振られる。
番号が2つほど抜けている計算になるが、新形式ということでプロトタイプ2両が
生産されたようで、国鉄納入前のテスト用に使われたものと思われる。

 

 

748-9901 日産ディーゼルRA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 1

 

 

・748-9909
同一ロットなので仕様も同じ、9901と共通の外観である。

 

 

748-9909 日産ディーゼルRA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 2

 

 

9909の民営化後の記録。JR東海が継承した7型は早い時期に塗装変更が進んだ。
国鉄末期に中国高速線用車両に施されたものと類似するが、屋根上の塗り分けなど
若干の違いはあり、印象も多少異なる。

 

 

イメージ 3

 

 

 

748-0901・0902・0905・0907
1980年度の増備車だが、生産2年目で早くも小変更を迎える。
新排ガス規制対応となり、正式形式名がK-RA60Sとされた。
構造や仕様は前年車と大差ないが、保安基準改正の絡みで
この年度から車体側面のフラッシャーが追加されている。
0901~0909までの9両が増備された。

 

 

 

・748-0901・0902
全車名古屋に配置されていたが、0901と0902については
民営化直前に名古屋所属のまま本拠地を静岡へと移しており、
民営化後は新たに開設された静岡支店へと継承されたようだ。
排ガス規制対策車のK-RA60Sと改められた関係で、シリアルナンバーについては
新規にRA60S-00101からの番号が割り振られている。
 
748-0901 日産ディーゼルRA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 4

 

 

748-0902 日産ディーゼルRA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 5

 

 

JR東海に継承後の0902。新塗装に改められたが、引き続き静岡をベースに活躍。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

イメージ 6

 

 

・748-0905
民営化後数年で引退が始まった。名古屋営業所の片隅で静かに廃車の時を待つ0905。
左に写っているのは0903。高速専用車という特殊な構造を持つ車であること、
そしてすでに貸切車としては陳腐化した車両。転用の道は断たれ、
第二の活躍の場を与えられることなく退役していった。これも7型の宿命。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

748-0905 日産ディーゼルRA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 7

 

 

・748-0907
撮影場所は八重洲北口。現在は立派なバスターミナルになっているが、
当時はここに国鉄ハイウェイバスの待機所があり、主に名古屋の車が待機していた。

 

 

748-0907 日産ディーゼルRA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 8

 

 

 

748-1902・1903・1908
1981年度は1901~1908の8両を調達。形式は引き続きRA60S。
三菱車と同様に、1982年度までこのスタイルで増備が続いたが、
日産ディーゼル車についてはモデルチェンジを受けることなく生産を終えている。
国鉄専用形式の開発継続は、負担が大きい割に売上のメリットが小さい。
日産ディーゼルは後継車の開発に参加しない選択をしたのである。
結局748形の調達は1982年度が最終となる。RA60Sは31両の納入にとどまった
(国鉄納入分と別にプロトタイプ2両があるので、総生産数は33両となる)。
今見ると、改めてハイウェイバス専用車は優美なスタイルだったと思わされる。
シンプルながら優雅なシルエットも、今や記憶の奥底に残るだけとなった。

 

 

 

748-1902 日産ディーゼル RA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 9

 

 

748-1903 日産ディーゼル RA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 10

 

 

748-1908 日産ディーゼル RA60S (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 11

 

 

 

余談だが、国鉄ハイウェイバスの車両には、2系統のホーンが装備されていた。
一つは「通常」用で、一般の路線バスや観光バスに装備されているタイプ。
もう一つが独特の「追越」用で、こちらはBOSCH社製の鋭い音を発するもの。
MS504・RA60Sの前面ナンバープレートすぐ上に二つ付いているのが追越用ホーン。
商品名「スーパーホーンクラシック」と呼ばれるものとほぼ同等のようである。
一般道走行含め追越用が常用されていたので、国鉄ハイウェイバスの音として
なじみが深い。

 

 

 

 →BOSCH「スーパーホーンクラシック」 試聴
 
多客期の休日、続行便を従えて運行中の静岡行(車両は744形)。
東名高速開通と同時にデビューした国鉄ハイウェイバスは、
7型という類い稀な高性能バスとともに、歴史を歩んできた。
そして7型の実績は、以降の高速バス車両に貴重なデータを残した。
現代の高速バスの繁栄も、7型の貢献が大きく関与していることに間違いはない。
バスの歴史においても、国鉄専用型式と言う車両は大変重要な存在なのである。

 

 

イメージ 12

 

 

 

これまでお読みいただき、ありがとうございました。
1型から始まった国鉄バスカタログ、7型の公開完了を持ってまずは目的達成です。
これまで未公開で保管していたデータですが、お楽しみいただけましたら幸いです。

 

 

 

ただし、このブログについてはもうしばらく転載を続けます。
物品やグッズ・資料等についてもお目にかけたいと考えているのです。
車両紹介という目的からは逸れますが、少しずつ国鉄バスの記録を載せていきます。

 

 

 

なお、あと1回だけ国鉄自動車の車両について取り上げる予定です。
次回、僅か1両のみですがご覧いただこうと考えています。
 

 

 

三菱製高速専用車「744形」の続きです。
1981年度以降の導入分をまとめます。

 

 

744-1904
1981年度は1901~1912を新製、東京・名古屋・京都に分散配置している。
形式は前年度と同じMS504Rだが、この年以降の東名・名神高速線向け車両は
全てドリーム号仕様車での調達となった。このグループも補助席なし・固定窓である。
ドリーム仕様は1974年度以来久々の増備だが、7年前の仕様とほぼ同等ながら
各部を現行仕様にリファイン、開閉式だった最前部の側面窓も固定化されている。
画像は民営化後、JR東海に継承されたあとの様子。自動車電話設置により
従来の無線は不要となったため、屋上のアンテナは撤去済みである。

 

 

 

※この画像は民営化後の撮影

 

 

744-1904 三菱MS504R (富士重) 名古屋自動車営業所
イメージ 1

 

 

 

744-2902・2905・2906・2907・2908
1982年度(昭和57年度)導入車。形式はMS504R、仕様・外観は前年度分とほぼ同一。
ただしトイレ部分の窓については曇りガラス状の半透明から白の不透明となった。
東名・名神用はドリーム号仕様車のみで2901~2908の8両を増備。
ほかに中国道用が2両(2909・2910)配置されている。
東名高速線用に国鉄専用型式が誕生してから13年、ずっと続いてきた
このスタイルだが、既に時代の流れには適わず、このロットで生産終了となった。

 

 

 

・744-2905
日中の東京自営で記録した2905。左側コーナー部分の略号(7型特有の表記で
メーカーと年式・固有番号の4つの数字で示す)のフォントが大きかったのが特徴。

 

 

744-2905 三菱MS504R (富士重) 東京自動車営業所
イメージ 2

 

 

ドリーム号名古屋行として運行中、足柄SAで休息中の同車。

 

 

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こちらは三ケ日での途中休憩中。
ドリーム号については三ケ日ICで一度高速を降り、現地のドライブイン
(みかちゃんセンター)で休憩時間を取っていた。現在のドリーム号は三ケ日で
乗務員交代を行っているが、当時乗務員交代については静岡で行われており、
三ケ日には純粋に乗客の休憩の目的で立ち寄っていたのである。
真夜中にもかかわらずドリーム号のためにうどんなどの軽食コーナーが営業され、
続々とやってくるハイウェイバスの乗客たちで毎晩賑わっていた。

 

 

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・744-2906
固定窓が独特なドリーム号仕様。補助席なしで定員も42名(乗務員含む)
と少ないが、座席自体も昼行便仕様と異なり茶色系の落ち着いたモケット、
座り心地もふんわりと沈み込むような感触の豪華なものだった。

 

 

744-2906 三菱MS504R (富士重) 京都自動車営業所大阪支所
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・744-2907
952の運行番号があるので、名古屋発ドリーム号で帰庫した後だろうか。

 

 

744-2907 三菱MS504R (富士重) 東京自動車営業所
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・744-2908
こちらは326の番号を表示。静岡発東京行きの昼行便なので、
撮影日は運行がなくお休みだったようだ。
当時は通常の路線バスのような運行形態で多数の便が走っていた東名高速線、
現代は予約指定制の都市間輸送型に変化してしまい、大きく性格が変わっている。
学生や主婦が日常の足として利用していた時代が懐かしい。
由比も駒門も、今では忘れられたバスストップ名となった。

 

 

744-2908 三菱MS504R (富士重) 東京自動車営業所
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2908は民営化直前に京都へ転属となり、西日本JRバスに継承されている。
民営化1~2年後の撮影だが、塗装はそのままながら国鉄のマークはすべて消え、
窓を支持するHゴムが黒に交換されるなど、イメージが変化している。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

イメージ 8

 

 

・744-2902
7型については中国高速専用車両を除き国鉄時代の塗装変更はされていなかったが、
民営化後は継承した各社の方針でリニューアルが実施されることとなった。
これはJRバス関東が継承した車両の例。東京自営の2902である。
国鉄新塗装のデザインをそのまま流用する手法はどの会社にも見られたが、
この車は窓周りを黒塗装するなどかなり手が込んでいて、印象が大きく変化。
もっともこのボディには新塗装が似合っているとは言えず、やや暗く
重苦しいイメージになってしまった気もする。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

744-2902 三菱MS504R (富士重) 東京自動車営業所
イメージ 9

 

 

 

744-4952・4954・4955・5955・6901・6902・6903・6904
MS504Rの生産終了後、1年の空白を挟んで、1984年(昭和59年)から車両増備再開。
伝統のデザインに別れを告げ、ニューモデルにて導入されることとなった。
陳腐化していた車体も真新しいハイデッカーに生まれ変わり、イメージは一新。
型式はMS735S(P-MS735SA)。市販モデルをベースに改良を加えているレベルで
一から開発された車とは異なるが、民間には存在しない国鉄専用型式である。
エンジンは8DC9T。同時期に生産された市販モデルと同じタイプだが、
ターボを付加して従来同等の350PSの出力を維持している
(ただし81・82年度のMS504Rと比較して0.5tほど重く、重量当たり出力は低下)。
軸距6.5m・全長11.98mはMS504系とほぼ同寸だが、背丈があるので短く見える。
7型開発当初は過給器は不可と言う条件だったが、すでに技術的な難点を
克服しており実用上問題ないこと、また開発コストの兼ね合いから
国鉄もターボチャージャーの採用を容認したものである。
年度別に細かい差異はあるが、基本仕様や構造は同一なのでまとめて並べておく。

 

 

 

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・744-4955
ご覧の通り、従来の国鉄ハイウェイバスとは明らかに異なるコンセプトである。
大きな側面窓は車体上部まで回りこむ曲面ガラスで、眺望や採光は良好。
ハイデッカーでアイポイントも高く、内装も豪華ではないが明るいものに変化した。
塗装は東京湾岸線(ディズニーランド行)で成功した新デザインをそのまま採用。
これは30年以上を経過した今でもJR高速バスでおなじみとなっているもので、
結果的には大変優秀な塗装案だったと言えるのではないだろうか。

 

 

744-4955 三菱MS735S (富士重) 東京自動車営業所
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日中の東京自営で点検中の4955。ローラー式の速度測定装置など
ほかの営業所では見られないような計測機器もあり、高速路線車ならではの
高度な点検整備が行われていて、眺めていても飽きることがなかった。

 

 

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・744-4952
同じく1984年度導入分。この年度は4951~4956の6両を購入して
全車を東京自営に配置している。試作車は作られていないので、
初年度はシリアルの末尾が1から始まる(MS735S-70001~70006)。

 

 

744-4952 三菱MS735S (富士重) 東京自動車営業所
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同車の民営化後(JRバス関東に分社化後)。社名ロゴ以外大きな変化はない。

 

 

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・744-4954
4953と4954は民営化後JR東海が継承。名古屋に配置されて
引き続き東名・名神高速線で活躍していた。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

744-4954 三菱MS735S (富士重)
イメージ 14

 

 

・744-5955
1985年度(昭和60年度)増備分。外観上は初年度生産分とほぼ同じである。
ドリーム号用として作られた車両だが、間合い運用で昼行便にも使われていた。
大きな窓からの優れた眺望は、もっぱら昼行便で大きな効果を感じられたはず。
なお、称号下2桁の「固有番号」が50代の数字になっているのは、この時点で
1974年式・1975年式が健在であり(先に紹介した「744-4906」のMS504Qと
「744-5904」のB907N)、これらの称号との重複を避ける意味合いのものである。

 

 

744-5955 三菱MS735S (富士重) 東京自動車営業所
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この車は民営化後JR西日本が引き継いでいる。分社化後西日本JRバス所属となり、
外観が大きく変化した5955の姿。

 

 

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・744-6901
国鉄バスの新製車両配置最終年度となった1986年(昭和61年)に投入されたグループ。
84・85年式と同型だが、前面行先表示機の位置が変更されてよりスマートになった。
称号下二桁については、1976年式の7型は存在しないことから重複の問題は生じず、
86年度調達車については通常通り01からの番号が振られている。
特殊な要求を満たすように開発されてきた国鉄専用型式にとっても、
1986年が最後の生産分である。民営化以降は市販型式の導入にとどまり、
JRバスからは専用型式による新造車両は消えた。
国鉄バスの歴史を飾る、最後の専用設計・特別発注車である。
6901は新製当初は東京所属だったが、スーパーハイデッカー車導入の頃
京都自営大阪支所に移動している。余生は金沢で過ごしたようだ。

 

 

744-6901 三菱MS735S (富士重) 京都自動車営業所大阪支所
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・744-6902
ドリーム号として早朝の東京駅八重洲南口に到着したところ。
新製配置は京都、その後は民営化直前まで東京自営で活躍した。
民営化後はJR東海バスが継承している。

 

 

744-6902 三菱MS735S (富士重) 東京自動車営業所
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・744-6903
ドリーム号の途中休憩中。周囲はモノコック車ばかり、名古屋行きだろうか。
この車も新製配置は京都、その後民営化直前まで東京に所属していた。

 

 

744-6903 三菱MS735S (富士重) 東京自動車営業所
イメージ 19

 

 

6903もJR東海が引き継いでいる。民営化後に開設された
静岡支店で登録されたようで、静岡ナンバーが付いている。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

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・744-6904
新製配置は京都、その後東京に移り民営化を迎える。このロットで唯一
東京自営に残存した車。民営化後もしばらくは東名高速線で活躍を続けた。
最後は水戸の所属となり、常磐高速線の予備車などに使われたようである。
観光バスとしても充分通用するグレードだったが、貸切に転用されることはなく、
廃車まで高速路線専用車として生涯を全うした。
これは高速路線専用として開発された、7型特有の性格によるものである。
7型は高速での加速と巡航を重視しており、ミッションも変速操作が少ない5速仕様。
一般の観光バスの2速に相当するギア比を1速にあてているため、
山岳路の急勾配などで停車すると再発進ができないのである。現代の高速バス
車両とは異なる、特異なバスだったことを改めて知るエピソードである。

 

 

※民営化後の撮影

 

 

744-6904 三菱MS735S (富士重) 東京自動車営業所

 

 

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東名高速を疾走する、国鉄専用形式744形。
7型開発当時は国産乗用車の性能も発展途上にあり、高速道路上では大衆乗用車より
7型高速車のほうがずっと俊足で、楽々追い越せるほどだったと言われる。
東名・名神高速線専用車は、とても速かった。追い越し車線を走る姿がよく似合う。

 

 

 

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次回は7型のうち日産ディーゼル製の車両「748形」です。
国鉄の旅客用自動車について公開してきましたが、次回分で最後になります。