国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~

国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~

1980.3.26を記録上のスタートとして、1987.3.27までの約7年間における、国鉄全線踏破までの記録です。行程の他、当時の駅の写真等も載せて行きます。当時の写真をアルバムからはがしてスキャンしたため、傾き、退色、カビや汚れ、剥がし跡はご容赦下さい。

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 これで今回の行程はすべて終わり。あとは家に向かって一直線。自販機で札幌までの特急券を買い、レール&レンタカーの帰りの旭川→茅ヶ崎の切符と共にハサミを入れてもらって、ライラック26号に乗り込む。発車5分前だが、この時間の上りライラックは空いているということは、過去の経験より承知の上。案の定二人席独り占めのまま1時間半、札幌駅に到着。

 

 いつものように、旅の最後の夜は駅そばなどでなくリッチな食事にするべく、地下街を歩く。この地下街に入るといつもつい回転寿司に入ってしまうので、今日は違うものにしようと物色していると、ふと目に「五色重と生姜焼きセット」というのが止まった。丁度肉が食いたかったし、その上にイクラや卵等の五色重がついて、値段も900円と手頃なので、迷わず入る。店の名は「海鮮問屋しれとこ」。店内の雰囲気はどちらかというと居酒屋風だが、いわゆる「村さ来」とかのような下品なもんではない。運ばれてきたセットは、片方の重箱に、目にも鮮やかなイクラを中心とした丼、もう片方には煮物、キャベツの千切り、ポテトサラダ、そしてメインの肉など盛りだくさん。味の方も申し分なし。

 

 あとは23時30分のミッドナイトまで暇つぶし。街中をぶらつこうかと思ったが、もう帰らねばと思うとどっと身体中に疲労を感じてきたので、待合室で北大で買った専門書を読みつつ過ごす。


 

 いつの間にかkioskも閉まり、残っていた人も三々五々去っていき、だんだん寂しくなってきた。列車は指定席だけど、硬い椅子に座り疲れてきたので、少し早いがホームへ上がる。「おおぞら」が到着した後消灯された隣のホームとは対照的に、こちらのホームは華やかな出で立ちの地元の若者が多い。23時7分頃、2輌編成のディーゼルカーが入線してきた。自分の車両は女性席のある1号車。後ろ数列が皆女性というのもなかなか壮観である。

 

 9月下旬という閑散期の平日なのに指定席は満席。自分の隣にもじじいが座った。このじじい、なんか隣に座られると気になるってヤツ。幅の広いシートなのに、なぜかこっちまではみ出て座りやがる。せこいかもしれないけど、自分はクロスシートの通勤列車とかで、シート半分以上占領して座っているサラリーマンとかが大っきらいである。あと向いのシート近くまで膝を出して座っているヤツ。そいつの前に座っている人が、垂直座りで膝の裏をシートにピタとくっつけて狭苦しく座ってるのが分からんのか、と言いたい。こういう奴らをいつもドクダミ光線でにらみつけている私である。

 

 話を戻そう。そのじじい、本をおとなしく読んでるかと思えば何やらガタガタ座り直したり、やっと寝たかと思ったら、やおら靴下脱ぎだして汚ねえ足を組んでは組み替え、とにかく落ち着かない。最近の夜行列車の相席の中では、もっとも嫌なヤツの一人であった。

 

 それでも疲れてたのであろう。結構長く停車していた千歳を最後に駅に停まったのを憶えていないから、5時間くらい寝ていたのだろうか。目が覚めると列車は、朝日にきらめく大沼、小沼の中を快調に走っていた。乗客が慌しく降り支度を始めると、6時半定刻に函館に到着。相席には恵まれなかったが、300円だけでゆったりシートに180度近いリクライニング、これで快速とはもったいないくらいのこの列車、今後もごひいきにさせてもらおう。

 

 乗継は1時間後のはつかり10号。改札を出、わかめそばの朝食をとり、朝市をぐるっとひやかして時間を潰し、7時10分自由席に荷物を下ろす。始発駅だし、そんなに乗客もいないだろうと自由席にしたが、発車間際になっても一車両に10人もいるかどうか。はつかりの函館延長もあまり効果はないのか。これに乗れば14時半には東京に着けるのだが…。

 

 7時26分、滑るように列車はホームを離れた。2度目の津軽海峡線である。今度こそトンネルの入る瞬間出る瞬間を見ようと一生懸命目を見開いていたが、海側に席をとったのがいけなかった。陽光がポカポカとあたり、寝不足も手伝って、木古内あたりから寝てしまったようで、気づいたときにはトンネルの中。仕方ないから出口だけでも、と思ったが、トンネルの壁は見てるにはあまりにも単調すぎる。また寝てしまい、起きるとすでにもう内地であった。

 

 青森での方向転換に備え、椅子を逆向きにする。青森でかなり席は埋まったが、それでもまだ半分程度。やっぱり青森くらいじゃ皆飛行機をつかっちゃうのかなぁ。東北本線の景色は単調なので、こここそ寝て過ごしたいのに、因果なもんで、こういう時に限って目は冴えてしまう。本州に入ってしまえば、もうあとはビジネス特急。周りもスーツ姿が多く、自分だけが浮いている。11時52分盛岡着。

 

 8分の乗継でスーパーやまびこへ。さすがスーパーで、指定席はほぼ満席。自分の席も2週間程前に確保したにもかかわらず通路側である。あと2時間半、このまま何もせず列車の揺れに身を任しているだけで東京に戻ってしまう、と考えるだけで、非日常の世界から現実に引き戻されてしまう。日常に戻ってしまう以上、もう何も感動することもないので、書くネタもない。ここらで筆を置くことにしよう。

(完)

 

【筆者紹介】
 196●年●月●曰生まれ。23才。C大に入学後即鉄研に籍を置く。旅行班所属。特に目立った活動はしてないが,他の85年会の仲間とともにあばれまくり、後にそれが記録された「邪ノート」なるものでその汚名を見ず知らずの後輩にまで知られることになる。
 一時、写真班に連れられ鉄チャンもしたが、主なジャンルは旅行。1980年3月26曰の120円旅行の時に乗りつぶしを始め,1987年3月27日、日光線は日光で全線を完乗。
 自分を除く一族郎党全てが北海道生まれの北海道育ちであることから、人一倍北海道に愛着をもち、北海道関係の著書も多い。現在、C大学工学部の大学院に在籍中。主な著書に、「毎日が旅行気分」「今春も行ったよ北海道旅行」「北海道乗りつぶしの旅」「1988年度卒業論文」などがある.


 

最後まで駄文にお付き合い下さいましてありがとうございました。

 5時20分起床。外はもう明るいが、窓に叩きつける無常の雨の音。昨日の天気予報が見事に当たった。どうせ今日は車で移動なので、雨にあたる心配はないが、想定してたポイントが、この天気では台無しである。ま、せっかく借りたものだから、使わな損だし、北海道の道路は走っているだけでも気持ちいいので、気を取り直して6時頃駐車場を出る。

 

 まずは、ざっと頭に描いてた予定通り、層雲峡を目指す。まだ行き交う車も少ない市街地を抜け、R39に入り、石北本線を超えると、しばらく快適な直線道。片道1車線とはいえ、駐車車両があっても余裕の広さ。60~70kmで快適に飛ばす。宗谷本線と別れ、石北本線に寄り添い、愛別町を過ぎると、いよいよ北海道らしい趣となる。一昨夜、寒さと格闘した上川を抜けると、徐々に登りにかかる。両脇の山も次第に迫ってきてしばらく行くと、いきなり建物が林立した層雲峡温泉街に出る。

 

 朝から温泉に魂売ってもしょうがないので、さらに車を進める。両方の山肌はすっかり切り立ち、奇岩が時折顔をのぞかせる。しかし、肝心の景色の良いところは、道路はトンネルでくぐり抜けてしまうらしく見られず、降りて歩かねばならなそう。2つのトンネルを抜け、その拠点となる大函の駐車場に止める。まだ7時過ぎ。当然他に車はない。外はまだ冷たい雨が降りしきっている。ちょっと遊歩道に入れば、おそらく目を見張る景観が現れるのだろうが、この天気では外に出て歩くのもままならない。結局10分程休憩しただけで層雲峡を後にした。

 

 順路に従い、R273との分岐点、ダム地点の交差点ををすいと流れるように右に入る。湖畔の駐車場で、昨日残ったカロリーメイトで腹ごしらえし、紅葉の三国峠へのワインディングロードをひた走る。途中、ひっつぶれた軽自動車を、2~3km間隔を置いて2台見っけたが、あれは何だったのだろう。どっちも走りながら見た限りでは、車内にも辺りにも運転手はいなかったのだが…。ほんまもんの事故でなかったことを祈る。

 

 三国峠越の道は、2年前の地図によると、2車線の砂利道が約30km、一部走りにくいところ有り、と書いてあったが、実際は、サミットのトンネルを抜けた後、確かに断続的に砂利道は現れたものの、道幅は2どころか3車線分くらい有り、砂利もきれいに敷き詰められているので、3~40kmを維持したまま走行できた。

 

 峠を超えしばらく走ると、数年前訪れた三股の町並みが現れる。前来たときはどの家も人気がなくゴーストタウンのようだったが、今日はログハウスの大きな喫茶店も営業しており、少し活気を感じさせる。当時代行バスで通った道を、今回は自分の運転で通る。やがて目の前に霧煙る糠平湖が広がってくる。もう使われることのないであろう橋梁が恨めしそうに雨に打たれている。湖に沿い徐々に下って行くと、糠平湖の温泉街。久しぶりに町らしい町である。天候不順のため予定が大幅に早いので、ちょっとその後の糠平駅でも見てこうかと思い、覚えのある道を左に入るが、それらしき建物が見つからない。枝道もうろついてみたが、結局駅どころかレール跡さえ見つけられなかった。諦めて、今度は道道726号に入り、然別湖に向かう。結構な峠道で、国道と違い道幅も狭い。道端に名所の案内板が立っているが、見通しはすこぶる悪く、ただ車を転がすしかない。しかし、西の空が朝方よりは明るくなってきたので、午後に期待しよう。

 

 道幅がさらに狭くなり、ついに1車線分になってしまうと然別湖。糠平湖同様霧の中だが、こちらは糠平より標高が高いのか、湖畔の木々が紅葉しておりいい雰囲気である。俗化したホテル街を抜け、最後の峠を超えると、十勝平野が雲の下にうっすらと広がっているのがかすかに見える。おそらく雲がなければ雄大な眺望であろう。緩やかに山を下り、やがて道は直線になり、広い畑の中にもポツポツと人家が見られるようになってくると、久しぶりに下界に戻ってきたという気分。結局午前のメインであった大雪山麓縦断は、あいにくの天気でほとんど景色が見れなかったが、やはり北海道のワインディングロードを入ってきたというだけで、十分な満足感が得られる。

 

 平坦な道をしばらく行くと、ふと右に周囲の雰囲気に似つかわしい新しいログハウスがあり、喫茶「大草原の小さな家」という看板が出ていた。一度は通り過ごしたが、その名前に惹かれUターンして立ち寄る。10時過ぎではあるが、腹も減ったのでブランチといこう。中に入ると、外観に見劣りせず、全て木の造りでそれなりの雰囲気がある。メニューを見ると、どうやらここは牧場を経営しているらしく、とりたてのミルクをどうぞ、と書いてある。モーニングセットも、飲み物はミルクかコーヒーを選ぶようになっており、もちろん迷わずミルクで頼む。セットメニューとしては特に変わったものはないが、ポテトサラダのポテトがとても美味しかった。この頃学食のポテトサラダばかり食っていたせいもあるが、やはり本場で食べるジャガイモはうまい。

 

 次は日勝峠…と行きたかったが、雨はやんだものの、西の山はまだ厚い雲に覆われている。道道から十勝清水に抜け、少しR38号を走った後、いよいよ峠越国道R274に入る。意外とR38を真っ直ぐ帯広方面に行く車より、こちらに来る車の方が多い。道はすぐ上り坂となる。直線距離で10km程度しか離れていない峠までに1000mくらい標高を稼がねばならないからであろう。しかし、晴れていりゃ目の前にこれから登る山がでんと立ちはだかっているのだろうが、すでに今走っているとこでさえモヤの中。案内表示も「日勝峠付近濃霧 走行注意」と点滅している。20kmも霧の中を走るのは疲れるし、何より雲の中峠に行っても何も見えないので断念。遠回りだが冒険を兼ねて適当な道を左に入る。道内は、結構小さな道までよく整備されているが、ふと入ったこの道も快適な舗装道。しかし、R38に戻りたいのになかなかそちらの方に向かう道が現れない。数キロ走ってやっと「←国道」という標識が現れたので、そちらに向かい踏切を超えると、何とそこはあの知る人ぞ知る「羽帯」駅であった(*)。

 

 線路を越せばすぐ国道。今度はこのままひたすら道なりに国道を行き、狩勝峠、富良野といったポイントを廻り、旭川に戻るつもり。広々とした2車線の道路を悠々と走っているうちに、連夜の寝不足がたったのかたちまち睡魔に襲われた。幸いこの国道は1~2kmおきに一時駐車エリアが設けられているので、車を止めシートを倒して目をつぶる。

(*)友人Fが、3年前の鉄研のゲームで伝説の5時間待ちを強いられた駅

 

 どのくらい眠ったか、爽やかに目が覚めたらまだ時計は15分しか回ってない。しかしかなり眠気は解消した。あとは缶コーヒーでも飲めば完璧だ、と車を転がしていると「←新得駅」の標識が目に入り、悲しき鉄チャンの習性、ついトラップされる。

 

 駅は都会と違って、これじゃ悪用する人がいるんじゃないかと心配するほど十分な一般車用駐車スペースがあり大助かり。駅舎も3年前の鉄研のゲームで降りた時とはうって変わり、新しく建てなおされている上に、列車案内も電光掲示になっていたのはビックリ。kioskで缶コーヒーと道新、パン2個を買って車に戻る。

 

 12時17分、駅を出発。いよいよ狩勝峠越えである。山はまだ雲の中だが、今度はメインルートなのでこのまま進むしかない。根室本線旧線に沿って真っ直ぐ行き、やがて線路と別れると登り勾配となる。間もなく雲の中に突っ込み、視界は全く利かない。こんな濃霧の中を運転するのは免許取って初めてである。周囲は真っ白、晴れてたら十勝平野が一望できるだろうに残念である。何も分からないまま、いつの間にかサミットを通過したようで、道が下りになった。霧も徐々に晴れていき、トタン屋根の工場、民家などが現れ始め、再び根室本線と並走し始めると落合。不思議なもので、こちらはもう雲の切れ間から青空も少しのぞき、天気は回復しつつある。改めて峠と天気の関係に驚かされる。このままR38を真っ直ぐ行くのも単調なので、幾寅から金山湖畔を経由するコースをとった。その頃にはもう青空も広がり始め、今日4つ目の湖にしてやっと満足いく景観を拝むことが出来た。占冠からのR237を上り再びR38に合流するとすぐ富良野市。

 

 まずはやっぱり麓郷。あれだけのところだから標識があるかと思っていたら全くなく、いつのまにか市街に入ってしまった。おかしいなと思い地図を見たら、何のことはない、富良野市に入ってすぐの布部から入ればよかったのであった。ちょっと遠回りになったが、細い道を右に左に案内のまま小さな集落をいくつか抜け20分、写真で見慣れた起伏のある畑が現れて、麓郷の集落に。

 

 めざす黒板五郎の家への標識はよく整備されてて、その通り進むと、木立に囲まれた中に、「麓郷の森」と銘打って、バンガローなどとともにいろんな建物が保存されていた。一通り中を歩き、しばし「北の国から」の世界に思いをはせる。商魂に乗せられているな、と思いつつ、記念にラベンダーの花の入った香りの瓶と、某写真家の富良野の絵葉書を買って車に戻る。

 

 もうあとは旭川に戻るだけである。まだ2時間近くはかかると思うので、気付けしておこうと、富良野市街に戻り、スキー場の方にちょっと入ったところにある、ドラマにも登場する喫茶「北時計」に立ち寄る。店内はその名のとおり沢山の時計が飾ってある。机自身も大きな柱時計の形をしており、振り子の部分に座ってコーヒーを飲む。

 

 店を出ると16時前。車は19時返しだからちょうどいい。意外にもまだ途中下車したことのなかった富良野駅で入場券を買い、意味もなくラベンダーファームの方を遠回りしてR237号に出る。小高い丘をひたすら北に向かって走る。まだ9月だが、北海道の日の入りは早く、すでに空は暮れなずんできた。富良野を出て1時間余り、丘を下り、旭川平野に降りると、すでにもう郊外の様相。車も増え、信号も頻繁に現れはじめる。ある交差点で信号に引っかかったところ、ふと標識を見ると「見本林←0.2km」とある。そういえばここ旭川は「氷点」の舞台であったことに今更ながら気づいた。まだギリギリあたりは見える明るさなのでちょっと寄ってみる。話の通り、昼なお暗き林の中を抜け土手を登ると、川沿いの小径に突き当たる。「ルリ子」が殺された河原というのもこの辺なのだろうか。本で読んだシーンが次々と思い浮かぶ。

 

 すっかり日の落ちた街中に入り給油。26Lで434kmゆえ燃費は16.6km。山道ばかり走ってもこれだから、やはり信号のない道というのは良いものである。18時、駅レンに横付け。24時間の制限キロは220kmゆえ、214kmのオーバー。x20の4280円+税を追加払い。

(つづく)

 0時40分に入線してきた大雪はこれまたガラガラ。指定席車両と間違えて乗ったかな?と確かめるほどであった。せっかく深夜営業している弁当売りも手持ち無沙汰。発車は1時15分だが、そんなのはかまっちゃられない。こっちは2時15分着の上川で降りねばならないので、早々とデイパックを枕に寝る。

 

 丁度ノンレム睡眠に入った頃上川駅に着き、眠い目をこすりこすり改札を出る。数人の下車客は皆足早に去っていったが、自分は7時発の層雲峡行バスに乗るので、ベンチで横になる。駅員も特に何も言ってこないので、今でもここは終夜開放なのであろう。上川駅での駅ネはこれで2度目である。前回はぐっすり眠れたから今日も大丈夫だろう、と思って目を閉じたが、しかし考えは甘かった・・・さむい!!・・・。そうなのだ。もう北海度はすっかり秋、しかも今日は寒気がやってきているらしい。そういえば昨日の夕刊でも、旭川の最低気温はすでに一桁だった…。あわててトレーナとヤッケを取り出して着込んだ。しかし、この格好なら、普段は0度前後まで十分耐えうるはずなのが、横になると寒さを感じやすいのか、震えが止まらない。ひたすら我慢するもなかなか眠れず。こうなったら動いて体を温めようと、4時頃駅周辺を歩き、缶コーヒーを飲む。これが功を奏したか、やと少し眠れたようで、気がつくと夜は明けていた。


 さぁ、これで抜けるような青空、雲ひとつない朝、とくればもう万々歳で、予定通り層雲峡から黒岳、旭岳、姿見という、2年前天候不順により断念した縦走にチャレンジ!といくのだが、天の神様は今回も我に味方しなかった。シトシトと冷たい雨がアスファルトの駅前広場を濡らし、山のほうを望んでも、見えるのは重くたちこめる厚い雲だけ。昨日の夕刊の天気図から判断した限りでは、この天気も徐々に回復に向かうと思われるが、せっかく登るなら見晴らしの良い方がいいし、何より自分は初級者。9月下旬といえどもこの時期の大雪は一気に冬山に豹変することもありうる。それに、霧の中で道を見失い、倒木で「SOS」を作るような羽目にもなりかねない。仕方なく、今回も泣く泣く諦め、6時23分発の旭川行きで上川を後にする。結局、一夜の寒さとの格闘は全くの無駄骨になったわけである。

 

 暖かい車内に入るとすぐ深い眠りに落ち、各駅ごとに乗ってくる中高生たちのざわめきにも気づかず、7時31分旭川着。一応今日だけは雨天用の予定も大まかに考えてあり、この後ホワイトアローで滝川へ行き、雄冬行きのバスに乗ろうと思っていたのだが、空を見ると予想以上に天候の回復は早く、時折雲の切れ間から薄日が差し込んでいる。山の方はまだ雲で覆われているが、これなら旭岳だけでも拝めるかもしれない。どうせ旭岳温泉行きのバスはロハだし、予定変更。待合室で9時発のバスを待つことにする。

 

 5分遅れでバス乗り場の一番はずれにやってきた旭岳温泉行きバスは、側面にデカデカと「いで湯号」と書かれた観光バス。中年の親睦団体で満員となったバスは、街中の停車場でも数人ずつ乗せ、通路の補助席まで埋まるほどの盛況。ここでもまたすぐにぐっすり眠ってしまい、気づいたときにはもう既に山合いを爽快に走っていた。雪をかぶった旭岳がいつの間にか間近に迫っている。まだ頂上は雲に隠れているが、かなり天候は回復してきた。やがてバスは旭岳と天人峡との分岐を右に入っていく。このバスは、まずここから天人峡まで8km12分を往復してから旭岳温泉へ向かうという、変則的なコースをたどる。つまり旭岳に行く人は30分近く遠回りを強いられているわけだが、そもそもタダなのだし、細かいことを言うのはよそう。天人峡温泉で1/3程の乗客を降ろしたバスは、先程の分岐点まで戻り、もう片方の道に入るとどんどん高度を稼いでいき、白樺の木が目立つようになってきた10時35分、旭岳ロープウェイ乗場に到着。

 

 丁度ホテルから団体客でも来たところなのか、切符売り場は満員。行列に並び窓口を見ると、「帰りに旭川電軌バス利用の方は申し出てください。サービス券を差し上げます」という張紙があった。時刻表にはホテルに泊まった人しか無料券をもらえないような書き方をしているが、施設を利用すればどこでももらえるらしい。2600円の往復券を買い、その旨を申し出ると、すぐに「旭岳、天人峡⇔旭川」の乗車券をくれた。

 

 乗場にも当然長い列が出来ていたが、続行運転をしており、10分ほど待つだけで乗れた。動き出すとすぐ眼下に雄大な景色が広がる。所々紅葉も始まっており、あちこちから歓声が上がった。7分で乗継駅の天女ヶ原へ到着。さっきはドアそばで景色が見にくかったが、その分いち早く下車、一番に姿見行に乗り込み、前窓に陣取ると、思わず目を見張った。目の前に広がる赤・黄・緑の織り成す壮大なコンツェルト!どんな絵や彫刻にも勝る、自然の作った一大芸術!乗客も今度は出るのは溜め息ばかり。美も極まると、めでる言葉すら見つからないものである。陳腐な表現だが、絵にもかけない美しさというのは、まさにこのことを言うのだろう。

 

 あっという間に5分間が過ぎ、姿見駅に到着。さすがに標高1600mにもなると、もう気温は0度前後。ここに来るまでにもし天候が完全に回復したら、せっかく来たのだし往復3時間と手頃な旭岳だけでも登りたかったが、ここより上はまだすっぽり雲に覆われている。岩のゴツゴツした登山道を少し登り、雲の中に突っ込んでみると、霧自体はそんなに深くなく、ある程度見通しはきくが、単調な岩場が続くようだし、万一山頂と違う方向にはまりこむと大変なので、姿見の池付近の散策にとどめることにした。どうせ山頂行ったって下界が見えなきゃ面白くないしね。姿見駅~池付近は、高山植物をめでるための散策ルートがよく整備されているが、肝心の植物は当然盛りは夏。今の時期ではすっかりしおれて寒さに負けじと仲間同士身を寄り添っているだけである。

 

 一通り回って姿見駅の食堂に戻り、山菜そばで暖をとる。こんな不便な場所なのにどれも大体500円前後と結構安い。まだ帰りのバスまで2時間あるので登山道を下りようかと思ったが、残念ながらついうっかり往復券を買ってしまっているので、もったいないから使おうと、13時10分のロープウェイで下界に戻る。

 

 バスを待つ間、ビジターセンターなどを適当にからかっているうちに、かなり晴れてきて、山の頂きも時折顔を見せるようになった。もう少し早く回復してくれていれば、と悔やみつつ、15時のバスに乗り込む。

 

 さて、次は天人峡温泉に河岸を変える。途中の分岐点から戻るような形で35分、ホテル前の駐車場に到着。この区間だけの乗車は、先にもらった乗車券では記載的には通用しなさそうなので、料金表通り630円を払おうとすると、なんと、料金は結構です、の返事。どうやら区間乗車の人も無料らしい。もう夕方だし、ここで降りる人は皆温泉に金を落としていくはずだからであろうか。とにかくこれで結局バスは全部タダ。ロープウェイ代2600円だけで、旭川からの全工程が済んだことになる。改めて券面を見ると、「東川町観光協会」とある。いくら確実に観光客が金を落としていくからとはいえ、そこまでの足を全て持ってくれるとは大したサービスである。

 

 目指す羽衣の滝は、温泉を更に奥に進んで10分。尾根付近の岩場から7段にせせらいで流れ落ちていくその様は、まさに名の通り天女が羽衣を広げたようである。更に奥に10分いくと、今度は敷島の滝が現れる。何でも北海道のナイヤガラと言われるらしく期待していたのだが、滝の横にダム建設かなんかのためか、北海度開発局が高架の道路を作ってしまって、景観が台無し!

 

 温泉街に戻ると、バスまではあと1時間。待つにはちょっと長いので、バス代も浮いていることだし、ホテル天人閣で湯につかる。入浴料は600円。中は、普通の湯船の他に、湯に打たれる「湯滝」、天人峡を眺めながらの露天風呂といろいろある。あごまで湯につかって思い切り足を伸ばすと、昨夜からの疲れが吹き飛んでいくようだ。

 

 あまりにゆっくりつかり過ぎて、ホテルを出たのはバス発車5分前。身体を乾かす暇もなく服を着たので湯冷めしそうだったが、バスの中は程良く暖房が利いて暖かく、うとうととまどろむ。いつしかバスは市街地を走っており、18時35分、定刻に駅前に横付け。タダ券を出すだけじゃ申し訳なく、思わず丁寧にお礼などして下車する。

 

 明日は適当に車で回ろうと思い、19時から24時間駅レンを予約してある。今夜から走って車中泊としてもいいのだが、疲れたし布団に横になりたいので、ホテルを電話予約する。結構今日の旭川は混んでて、5件目でやっと見つかったのはワシントンホテル。さっそく車を借りてチェックイン。駐車場は、ホテル専用はなく街中の一般Pだった。明朝はなるべく早く出たいので、一旦駅に腹ごしらえをしに行っただけで、早々に寝る。

(つづく)

 すっかり装いを改めた札幌駅であるが、実際はただホームが北側に移動しただけで、表玄関である南口に出るには長い通路を渡り、元の駅舎に行かねばならない。駅舎とホームの間の広い空間はイベント用として現在使われているが、駅舎も将来的にはここに移転するのだろうか?今のままではかえって不便だと思う。

 

 いつものように、使い慣れた東側便所そばのロッカーにザックを入れ、デイバックだけの身軽な姿になって街に出る。これと決めた予定はないので、とりあえず、まずはまだ未訪の北大植物園へ向かう。

 

 道庁を抜けると、近代的な建物の立ち並ぶ中に突然うっそうとした森が現れる。入園料は360円。しっかりと消費税がついており、しかも入園券は自販機のペラ券でそっけない。しかし、一たび園の中に入ると、つい先程まで都会の喧騒の中にいたのが嘘のように、生い茂った木々が目の前に広がる。

 

 日本最古のライラック、潅木園、ライラック並木、自然林と一通り回り、博物館の前の芝生で一休み。寝っ転がって手足を思いっきり伸ばす。秋の空は雲一つなく、抜けるように高い。うっとうしい観光客もほとんどおらず、本当に来てよかったと思う。

 

 最後に日本一の規模という高山植物のロックガーデンと、温室を回り、園を後にする。

 

 丁度昼過ぎなので、このまま北大へ行って飯でも食らおうかと思う。大学まではほぼ一本道。教職員宿舎の脇から入り、クラーク会館の中にある学食へ。ピリ辛とかいうカレーを食う。辛めのカレーにサラダとJAVA TEAがついて310円。税込で10円単位になるよう本体価格を調整してあるので便利である。ピーク時を過ぎたのか、中は意外とすいていた。

 

 食事のあとは、クラーク書籍。C大の書籍より規模がでかいこの本屋。来るごとに何かしら欲しい本が見つかる。今回は初めて学術書の方を物色してみたが、C大では置いてもいない画像工学関係の本が、その手のことはそんなにやってはいないと思う北大にあるわあるわ。思わず2冊買ってしまった。おかげでまた使う機会のない図書利用券(1枚につき8円のクーポン券)が20枚もたまってしまった。

 

 お次は生協。こちらは建物が改装中で、プレハブによる仮営業であった。明日の大雪山行のために、ビスケット、チョコ、キャラメルなどを買い込む

 

 明日の買い出しが済んだところで、とりあえず駅へ戻る。今夜は大雪に乗り、旭川でロッカーに荷物を預け、山行の装いになって上川で降りるつもりだけど、旭川のロッカーが何時まであいているかわからないので、一応20時か21時のライラックで先回りしようと思う。とすると、あと7~8時間はフリー。列車に揺られてこの後の行程を考えることにし、改札を通る。電光掲示を見ると、丁度江別行きが来るところ。ホームへ上がると、たった今入線したばかりであった。何系というのか忘れたが、ステンレスの新車両である。ひょっとしたら北海道では初めて?の3ドアだが、寒冷地らしく、車両中央のドアのところもデッキになっていて、一車両に2つのコンパートメントがある感じになっている。

 

 13時44分発車。さて、どこへ行くかな、とふと車内吊り広告を見上げると、野幌森林公園の宣伝が。そういえば種村氏の本の中で、そこに開拓の村があって、旧建築物を保存してあるって書いてあった。丁度江別方面に向かっていることだし、あっけなくそこにいくことに決める。となれば、たった14分の乗車で森林公園で下車。

 

 駅からはJRバスが連絡しているが、40分ほど待つので歩くことにする。R12との交差点に出ると、すでにそこが森林公園の入口。しかし、そこから先の登り坂が長い長い。10分ほど歩いてやっと公園入口。さっき森の中を歩いたばかりだから、森林公園の方は後回しにしようと、開拓の村を案内図で見ると、さらにそこから900m!乗りかかった船だし、仕方なくさらに10分歩いて、やっとこさ開拓の村到着。

 

 入口でもある管理棟は、旧札幌駅の駅舎を再現したもの。入村料は大学生360円。改札を通ると、目の前に古めかしい建物が広がり、一気に昔の時代へタイムスリップ。

 

 まずは旧農家などが集まっている農村群へ向かう。シーズンオフの平日ゆえ観光客はちらほら。散策にはもってこいの場所である。

 

 しかし、この閑けさも束の間であった。遭遇してしまったのである。「黒」と「青」の集団に。連中に、古き良き時代を理解せよと言っても無理な話。どの建物に入っても、制服どもが否が応にも視界に入り、「黒」はギャーギャー、「青」はキャピキャピ、騒々しいことおびただしい。

 

 それでも、農村群では、部屋の造りや古い農機具に、自分の先祖でもある屯田兵達の暮らしぶりを憂い、市街地群では、特徴を凝らした各商店や、故人のモダンな洋風建築の邸宅に、当時の活気あふれた街並みを偲び、恵迪(けいてき)寮=札幌農学校寄宿舎=の寮歌に、苦楽を共にした寮生達の友情と強い団結力を感じた。

 

 15時半集合という高校生達の退散するのを待って村を出る。予想外に広くて歩き疲れたので、森林公園の方はやめ。駅までまた30分も歩くのはつらいので、ナム三、とバス停の時刻表を見ると、ついていることに45分、森林公園、新札幌経由札幌行き、というのがあり、待つほどもなくやってきた。これで森林公園駅で降りてもよいが、どうせ札幌には戻るのだし、このまま乗っていくことにする。

 

 しかしもう16時。観光地に行くには遅すぎるが、旭川に向かうには早過ぎる。両親には止められているけど、琴似の親戚の家にでも行こうかな、と思っているうちに、ふと思い出した。琴似には、確かまだ訪れたことのない屯田兵屋があったはず。それに、バスが次停まる新札幌駅は、琴似に向かう地下鉄東西線の始発駅じゃないか。そうと決まればすぐ行動。駅前でバスを捨て、丁度入線していた地下鉄に乗り込む。中高生達の下校時刻と重なり、座席は常にサラッと埋まっていた。大通駅までは初乗りだが、景色の見えない地下鉄だしそんなことどうでもよい。16時36分、約30分で琴似着。

 

 お目当ての屯田兵屋は16時迄で中には入れなかったが、外観は拝むことが出来た。明日のためにスーパーで、北大で買いそびれたカロリーメイトを買い、親戚宅周辺を一回りするうちに街は暮れなずみ、人々の動きも慌しくなってきた。とはいえ、まだ札幌行くには早いので、夜の小樽でも歩こうと思い、JR琴似駅に行くと、またもや丁度17時10分の小樽行が来るところ。急いで切符を買い、高架になって不便になった長い階段を登ると同時に列車は入線。快速の止まらない琴似では、小樽行きは1時間に2~3本なのでついてたといえよう。ラッシュ時であるが、皆快速に乗るのか車内は結構空いている。手稲で快速の待ち合わせ。案の定あちらは通路まで立ち客。小樽着は7分しか違わないんだけどなぁ。1ボックス独り占めで悠々足を伸ばして17時55分、南小樽下車。

 

 まずは2年ぶりに北一硝子3号館へ。19時までなので展示ホールを一通り足早に見渡して、北一ホールへ。ここで夕飯も一気に済ましてしまおうかと考えたが、あのランプの灯りの揺らめく暗く幻想的な世界の中で「いくらどん」ってのも何なので、ケーキセットにする。席につき改めて周りを見渡すと、奥の方にカップルばかり3組、かろうじて壁際に一人、旅行者風の男性が「いくらどん」を食っていた。彼を見てたら、逆に、一人で「ケーキセット」なるものを食っている自分のほうが虚しくなってきた。開き直って時刻表を開く。あとは札幌発21時のライラックに間に合えば良いから、19時38分か、20時4分の小樽発に乗ればよい。

 

 ホールを出た後は小樽運河へ。ここも夜来たのは初めてである。水面にレンガ造りの建物が映り、昼間とは違う雰囲気を醸し出している。又もやカップルに当てられながらも運河沿いを散策。頃合いを見て駅へ戻ると、今度も札幌行きがちょうど出るところで、急いで駆け込む。予定より1本早い19時11分発であった。網棚にあった道新夕刊で時間を潰し、20時、三たび札幌着。

 

 明日の山行に向けて栄養を取っておきたいので、改札を出て、食堂みかどで焼肉定食を食う。自販機で旭川までの特急券を買い、20時半頃、3人しか並んでいない自由席列へ付くと、意外と早く40分には列車が入線してきた。乗客は少なく、発車間際でもまだ横2列が空いているところも多い。その少ない客も、砂川や滝川で下車していき、22時33分、旭川着。

 

 懸念していたロッカーは24時間開放で、これなら大雪で来ても大丈夫であった。ザックの中から山行の装備だけディパックに詰め込み、軽登山靴に履き替え、残りの荷物をロッカーに押しこむ。上川までの乗車券と急行券を買ったあとは、相変わらず浮浪者っぽいおっさんの多い待合室でしばし横になった。

(つづく)

 18時34分、山手線は、自分の沸き立つ緊張感とは裏腹に、無表情に、そして機械的に上野駅4番線ホームに滑り込んだ。他の人達にとっては、いつもと変わらぬ山手線でも、今日の自分にとっては、一駅毎に旅立ちの気分を高揚させてくれる、短く長い7分間の大切な旅のプロローグである。

 

 一人場違いな出で立ちの自分は、帰途につくサラリーマンでごった返す中央通路を足早にすり抜け、地底ホームに下りる。向かうは13番線。そう、北斗星5号の発車するホームである。今になって、上野発の寝台列車に乗るのは、小六の「ゆうづる」以来であることに気づく。

 

 18時40分、推進運転でゆっくりと濃青の車体がその身をくゆらし行止りのホームへ入線。これから16時間、快適な北海道へのアプローチを約束してくれるB寝台個室は3号車。ロイヤルと同じ車両である。2階の10号室へ荷を下ろし、夕飯の調達や、ホームからその全景を眺めているうちに、またたく間に時間は過ぎ去り、19時3分、定刻に列車は静かに滑り出した。

 

 このまま乗っているだけで北海道へ行けるとは夢のようである。しかし、行き先表示や車内放送が、それが現実となったことを認識させてくれる。もはや北海道は、「島」ではなく、東京と「陸続き」なのである。

 

 高ぶっていた神経が、列車が都会から遠ざかるにつれ次第に落ち着いてきた頃、車内検札。切符のチェックと引き換えに、部屋の鍵をもらう。ご存知の方も多いと思うが、北斗星の個室の鍵はカード式で、部屋番号を押して、このカードを差し込むことによって、鍵の開閉が出来るわけである。

 

 さて、これでもう明日まで誰にも邪魔されることは無い。改めてゆっくりと部屋の中を見渡す。ゆったりとしたオレンジ色のシート兼ベッド、4チャンネルのBGM、高級感をかもし出すフットライト。部屋の高さにしても、2階建てのこともあり、鉄道雑誌とかで低い、狭いとか言われていたが、実際乗ってみると、そんな窮屈感は全く無い。むしろ同じ値段で普通のB寝台に載っている人に対してすごく申し訳ない気がする。これならばB寝台より1000円くらい高くしたって構わないと思うが。

 

 一通り室内の観察をした後は、鍵の初使用をかねてロビーカーへ。形としては、既にはやぶさに導入されているものと同じだが、こちらは片方は売店、もう片方はシャワー室となっている。さらに大画面のCRTでビデオサービスもあり、「ラストエンペラー」が流れていた。

 

 宇都宮の停車を最後に部屋に戻る。青函トンネルの、せめて出る瞬間だけでも見たいので、なんだかもったいない気もするが、早く寝ようと思う。文庫本を片手に、OLDのポケット瓶をちびりちびり飲って睡魔を誘い、読書灯と逆に、窓の方に頭を向けて横になる。窓が曲面になっているので、寝ながらにして満天の星を見ることが出来る…はずだったが、今夜の東北は小雨のパラつくあいにくの天気。BGMをクラシックのチャンネルに変え、静かに目を閉じた。


 5時50分、目覚ましの音で起きる。青森で進行方向が変わったため、昨夜とは逆の方向に景色が流れている。放送では確か今頃トンネルを出ると言っていたが、残念ながらすでに出てしまった後のようで、列車は低い山合を走っている。見るからに貧弱な線路と合流し、木古内を過ぎると列車は海沿いに出る。丁度朝日が昇り始めたところで、遠くに函館山がシルエットになって浮かんでいる。確かに眠っているうちに北海道に来てしまったのだ。何か妙な感じである。

 

 まだ6時過ぎだが、景色で顔を洗われた感じで、もう全然眠くない。程なくお早う放送と食堂車の案内が入ったので、服を着替え、洗面を済まし、ロビーカーへ行って隣の食堂車の開業を待つ。今朝は「柔」のビデオが流れていた。

 

 やがて家並みも増え、左から函館本線が合流し、6時38分、定刻に函館到着。方向転換のため6分間停車する。50人くらいが下車した。自分もちょっと失敬して、スリッパのままkioskへ行き、道新と道内時刻表を購入。

 

 函館を発車するとまもなく、食堂車開店の放送。すぐに行くと、何せ隣の車両、私が一番の逆であった。さっそく和風朝定食を注文。ジャスト1000円。朝飯にしてはちょっと高いが、朝食用メニューは他は洋風朝定食(1000円)と、サンドイッチ(800円)しか選択肢がないのだから仕方が無い。すぐ運ばれてきた料理は、さすが値段にたがわず、旅館の朝食のような品揃え。味も申し分なく、駒ヶ岳を眺めながら、ひととき旅の醍醐味を満喫した。

 

 腹を満たした後は、再びロビーカーに戻る。部屋に戻ってもいいのだが、ソロ個室は進行方向左側についており、片側の景色しか見れないため、両方見渡せるロビーカーで過ごすこととした。折しも列車は丁度駒ヶ岳の麓を巻いている、道内まず第1のハイライト区間。

 

 長いこと車窓を楽しませてくれた駒ヶ岳が後ろに去ると、今度は列車は内浦湾に沿って走る。天気はすっかり回復し、紺碧の海の向こうに、これから向かう室蘭の半島が見えている。

 

 どこまでも続く果てしなく青い海を見ているうちにさすがに飽きてきて部屋に戻る。横になって窓の外を眺めていると、めったに見ない山側の景色だけに非常に新鮮な気分。思えばこの区間を乗る時は、必ず海側の席を陣取っていたし、ひょっとすると山側の席は初めてかもしれない。

 

 登別を発車後、文庫本を手に3たびロビーカーへ。白老を過ぎた辺りで、この列車初の車窓ガイド放送は樽前山。いままで意識になかった車窓に映るその姿は低い円錐形でなかなか美しい。何回も通っているところなのに、このような景色の存在もろくに知らなかったとは、いかに山側の車窓をないがしろにしていたか判ろうというものよ。

 

 10時2分、苫小牧を発車。ここからはエアポートシャトル切符でも乗車可能だが、目だった乗客はなかった。自分も、部屋中に散らかした荷物の整理のため個室に戻る。

 

 あと50分。いよいよラストスパートである。来る毎に開けていく札幌郊外を、列車は颯爽と高架で突っ走っていき、久しぶりの高いビルの群落の間を走り抜け、10時57分、新しく高架となった終点札幌駅に到着。長かったようで短い16時間54分であった。

 

 タラップを降り、ホームに立つ。今、自分は確かに「さっぽろ」と書かれたホームの上に降り立っている。しかし、まだ何か現実味がない。こんなに楽に北海道の地を踏んでいいのだろうか。けれど今や、青函トンネルの開通がそれを可能にしたのだ。そして、この瞬間、北海道と内地が一本の線路で結ばれたことを、自分の身体で実感したのである。

(つづく)

全線完乗記録としては、昨日の投稿ですべて終了だが、
それでは単なる数字の羅列だけで味気ないので、
最後に、手元に唯一残っている学生時代の旅行記である、
1989年、完乗から2年後の秋の北海道旅行記を
今日から6日間に渡って載せて締めくくる。

あいにく写真が現存しないため、文章だけですがご了承下さい。


 

 1989年9月末、北斗星初乗車を兼ね、北海道を旅した。

 

 北海道にしようかな、と思ったのは上旬のことで、とりあえず辛うじて残っていた25日の北斗星5号のB寝台を確保しておいた。やがて、大雪山の紅葉と初雪の便りが聞かれ、その気持ちは固まった。

 

 全線踏破を目指していた頃と違って自由に動けることから、旅程は、27日に前回天候不順で行けなかった大雪山系縦走、28日旭川のレンタカー予約、そして28日の帰路はミッドナイト~はつかり~スーパーやまびこ、と大筋だけ決め、あとは天気や気分で動くこととした。

 

 ただ、どうせなら、北斗星もせっかくだからB寝台でなく「ソロ」にしたいなぁ、と、いわゆる「2日前」の23日夕方、藤沢駅で、どの号でもいいからソロがないかマルス叩いてもらうと、何と5号で「YES、残席2」の表示!かくして今回の旅が始まったわけである。

(つづく)

●踏破期間中に廃止された区間
※左から、廃止日、線名(※は一部区間)、区間、営業キロ、踏破日

1981.09.30 夕張線   追分-夕張       43.6 -
1981.09.30       紅葉山-登川       7.6 -
1982.06.30 仁堀航路  仁方-堀江       -    -
1983.03.21 筑肥線※  博多-姪浜       11.7 -
1983.03.21       東唐津-山本       7.4 -
1983.10.22 白糠線   白糠-北進       33.1 1983.03.30
1984.03.31 相模線※  寒川-西寒川       1.5 1982.08.21
1984.03.31 清水港線  清水-三保        8.3 1981.07.31
1984.03.31 盛線    盛-吉浜        21.5 -
1984.03.31 宮古線   宮古-田老       12.8 -
1984.03.31 久慈線   久慈-普代       26.0 -
1984.03.31 日中線   喜多方-熱塩      11.6 1982.10.10
1984.03.31 赤谷線   新発田-東赤谷     18.9 1981.08.08
1984.03.31 魚沼線   来迎寺-西小千谷    12.6 1982.08.01
1984.09.30 神岡線   猪谷-神岡       20.3 1982.03.18
1984.10.05 樽見線   大垣-美濃神海     24.0 1982.03.19
1984.10.31 黒石線   川部-黒石        6.6 1982.07.30
1984.11.30 高砂線   加古川-高砂       6.3 -
1984.11.30 宮原線   恵良-肥後小国     26.6 -
1984.11.30 妻線    佐土原-杉安      19.3 -
1985.03.13 小松島線  中田-小松島       1.9 1985.03.07
1985.03.31 三木線   厄神-三木        6.8 -
1985.03.31 北条線   粟生-北条町      13.8 -
1985.03.31 倉吉線   倉吉-山守       20.0 1983.07.27
1985.03.31 弥彦線※  東三条-越後長沢     7.9 -
1985.03.31 室木線   遠賀川-室木      11.2 -
1985.03.31 勝田線   吉塚-筑前勝田     13.8 -
1985.03.31 矢部線   羽犬塚-黒木      19.7 -
1985.03.31 添田線   香春-大任-添田    12.1 -
1985.03.31 香月線   中間-香月        3.5 -
1985.03.31 万字線   志文-万字炭山     23.8 -
1985.03.31 渚滑線   渚滑-北見滝ノ上    34.3 1983.03.27
1985.03.31 相生線   美幌-北見相生     36.8 -
1985.06.30 大畑線   下北-大畑       18.0 -
1985.06.30 岩内線   小沢-岩内       14.9 1983.03.26
1985.06.30 興浜北線  浜頓別-北見枝幸    30.4 1983.03.27
1985.07.14 興浜南線  興部-雄武       19.9 1983.03.27
1985.09.16 美幸線   美深-仁宇布      21.2 1983.03.31
1985.09.30 矢島線   羽後本荘-羽後矢島   23.0 -     
1985.10.31 明知線   恵那-明知       25.2 -
1986.03.02 内子線※  五郎-新谷        5.0 -
1986.03.31 甘木線   基山-甘木       14.0 -
1986.03.31 高森線   立野-高森       17.7 1985.03.11
1986.03.31 漆生線   下鴨生-下山田      7.9 -
1986.06.30 丸森線   槻木-丸森       17.4 1983.01.03
1986.10.31 角館線   角館-松葉       19.2 1982.07.29
1986.10.31 阿仁合線  鷹ノ巣-比立内     46.1 1982.07.30
1986.10.31 胆振線   伊達紋別-倶知安    83.0 1985.07.24
1986.10.31 富内線   鵡川-日高町      82.5 1985.07.27
1986.12.10 越美南線  美濃太田-北濃     72.2 1986.03.13
1987.01.09 宮之城線  川内-薩摩大口     66.1 1985.03.08
1987.02.01 広尾線   帯広-広尾       84.0 1985.07.27
1987.03.13 大隅線   志布志-鹿屋-国分   98.3 1985.03.13
1987.03.14 二俣線   掛川-遠江二股-新所原 67.9 1980.12.27
1987.03.15 瀬棚線   国縫-瀬棚       48.4 1985.07.30
1987.03.19 湧網線   中湧別-網走      89.8 1983.03.28
1987.03.22 士幌線   帯広-十勝三股     78.3 1985.07.29
1987.03.26 伊勢線   南四日市-津      26.0 1983.12.26

計 55線区56区間(内4線区4区間は部分廃止)1航路  1601.7km

未踏破:24線区25区間1航路(内部分廃止3線区3区間)  425.3km
踏破済:31線区31区間(内部分廃止1線区1区間)    1176.4km

 

●踏破期間中に新規に開業した区間
※左から、開業日、線名、区間、営業キロ

1980.10.01 東海道本線 品川-新川崎-鶴見     17.8
1981.10.01 石勝線   千歳空港-新夕張-新得  132.4
1981.10.01       新夕張-夕張        18.2
1982.06.23 東北新幹線 大宮-盛岡            -
1982.11.15 上越新幹線 大宮-新潟            -
1983.03.22 筑肥線   唐津-西唐津         3.3
1983.07.05 中央本線  岡谷-みどり湖-塩尻    11.7
1985.03.14 東北新幹線 上野-大宮            -
1985.03.14 上越新幹線 上野-大宮            -
1985.03.14 鹿島線   鹿島神宮-北鹿島       3.2
1985.09.30 東北本線  赤羽-武蔵浦和-大宮    18.0
1986.03.03 京葉線   西船橋-千葉みなと     18.4
1986.03.03 予讃本線  向井原-内子        23.5
1986.03.03       新谷-伊予大洲        5.9

 

●踏破期間中に営業キロが変更された区間
※左から、変更日、線名、区間、増減

1980.07.09 日豊本線  豊後豊岡-亀川    ▲0.1
1980.09.25 中央本線  信濃境-富士見    ▲0.2
1981.11.01 仙石線   西塩釜-陸前浜田   ▲0.2
1982.05.17 中央本線  小野-塩尻      △0.5
1982.05.17       塩尻-洗馬      ▲0.1
1982.05.17 篠ノ井線  塩尻-広丘      ▲0.5
1982.06.13 飯田線   鴬巣-平岡      ▲0.2
1982.09.29 中央本線  木曽福島-上松    ▲0.2
1983.03.22 唐津線   唐津-西唐津     ▲0.1
1983.03.22 筑肥線   東唐津-虹ノ松原   ▲1.2
1983.03.22       今宿-姪浜      ▲0.1
1983.07.26 伯備線   井倉-石蟹      ▲1.2
1986.03.03 土讃本線  大杉-土佐北川    ▲0.4
1986.03.03       土佐北川-角茂谷   △0.2
1986.08.01 福知山線  宝塚-三田      ▲1.8

完乗時における全区間リスト
※左から、路線名、区間、完乗時の営業キロ(括弧内は開始日以降の増減)、踏破日

●新幹線(3線区3区間)
東海道・山陽新幹線 東京-博多 - 1986.12.28
東北新幹線     上野-盛岡 - 1985.12.20
上越新幹線     上野-新潟 - 1985.07.23

●東海道線(20線区26区間)
東海道本線 東京-神戸          589.5 1985.03.16
      品川-新川崎-鶴見       17.8 1980.10.01
      大垣-美濃赤坂          5.0 1982.03.19
      大垣-新垂井-関ヶ原      16.7 1981.04.29
山手線   品川-新宿-田端        20.6 1980.07.06
赤羽線   池袋-赤羽            5.5 1980.07.26
南武線   川崎-立川           35.5 1980.03.26
      尻手ー浜川崎           4.1 1982.08.10
鶴見線   鶴見-扇町            7.0 1982.08.10
      浅野-海芝浦           1.7 1982.08.10
      武蔵白石-大川          1.0 1982.08.10
武蔵野線  府中本町-南浦和-西船橋    71.8 1982.08.12
横浜線   東神奈川-八王子        42.6 1980.07.06
根岸線   横浜-磯子-大船        22.1 1980.03.26
横須賀線  大船-久里浜          23.9 1980.10.06
相模線   茅ヶ崎-橋本          33.3 1980.03.26
御殿場線  国府津-御殿場-沼津      60.2 1980.08.08
伊東線   熱海-伊東           16.9 1981.07.30
身延線   富士-甲府           88.4 1980.08.08
飯田線   豊橋-辰野          195.8 1980.12.28
                     (▲0.2)
岡多線   岡崎-新豊田          19.5 1986.08.03
武豊線   大府-武豊           19.3 1986.02.25
湖西線   山科-近江塩津         74.1 1986.08.03
大阪環状線 大阪-大正-京橋-大阪     21.7 1983.12.27
桜島線   西九条-桜島           4.0 1983.12.27
福知山線  尼崎-福知山         106.5 1984.07.29
                     (▲1.8)

●北陸線(8線区8区間)
北陸本線  米原-直江津         353.9 1983.07.23
小浜線   敦賀-東舞鶴          84.3 1984.07.29
越美北線  福井-九頭竜湖         55.1 1984.07.30
七尾線   津幡-輪島          107.9 1982.03.17
能登線   穴水-蛸島           61.1 1982.03.17
城端線   高岡-城端           29.9 1982.03.18
氷見線   高岡-氷見           16.5 1982.03.18
富山港線  富山-岩瀬浜           8.0 1982.03.18

●高山線(1線区1区間)
高山本線  岐阜-高山-富山       225.8 1982.03.19

●中央線(8線区9区間)
中央本線  東京-みどり湖-塩尻-名古屋 396.9 1986.03.13
                     (▲0.5)
      塩尻-辰野-岡谷        27.7 1982.03.20
                     (△0.5)
青梅線   立川-奥多摩          37.2 1982.05.03
五日市線  拝島-武蔵五日市        11.1 1982.08.12
八高線   八王子-倉賀野         92.0 1986.03.16
小海線   小淵沢-小諸          78.9 1980.08.08
篠ノ井線  塩尻-篠ノ井          67.4 1982.03.20
                     (▲0.5)
大糸線   松本-糸魚川         105.4 1985.05.11
太多線   多治見-美濃太田        17.8 1986.03.13

●山陽線(20線区23区間)
山陽本線  神戸-門司          535.0 1985.03.16
      兵庫-和田岬           2.7 1985.03.05
加古川線  加古川-谷川          48.5 1985.03.05
鍛冶屋線  野村-鍛冶屋          13.2 1985.03.05
播但線   飾磨港-姫路-和田山      71.3 1985.08.25
姫新線   姫路-新見          158.1 1985.08.21
赤穂線   相生-伊部-東岡山       57.4 1985.08.25
津山線   岡山-津山           58.7 1983.07.24
吉備線   岡山-総社           20.4 1985.08.21
宇野線   岡山-宇野           32.9 1983.03.06
伯備線   倉敷-伯耆大山        138.4 1985.08.25
                     (▲1.2)
芸備線   備中神代-広島        159.1 1985.08.22
福塩線   福山-塩町           79.4 1985.08.21
呉線    三原-呉-海田市        87.0 1985.08.22
可部線   横川-三段峡          60.2 1986.08.03
岩徳線   岩国-高水-櫛ヶ浜       43.7 1985.08.23
岩日線   川西-錦町           32.7 1985.08.23
山口線   小郡-益田           93.9 1985.08.23
宇部線   小郡-居能-宇部        33.2 1983.07.23
小野田線  居能-小野田          11.6 1983.07.23
      雀田-長門本山          2.3 1983.07.23
美祢線   厚狭-長門市          46.0 1983.07.23
      南大嶺-大嶺           2.8 1986.07.31

●山陰線(9線区10区間)
山陰本線  京都-松江-幡生       675.4 1985.08.24
      長門市-仙崎           2.2 1983.07.23
舞鶴線   綾部-東舞鶴          26.4 1984.07.29
宮津線   西舞鶴-豊岡          84.0 1983.07.28
因美線   鳥取-東津山          70.8 1983.07.24
若桜線   郡家-若桜           19.2 1983.07.25
境線    米子-境港           17.9 1983.07.26
木次線   宍道-備後落合         81.9 1983.07.26
大社線   出雲市-大社           7.5 1983.07.27
三江線   江津-三次          108.1 1985.08.22

●関西線(8線区9区間)
関西本線  名古屋-奈良-湊町      175.1 1983.12.29
草津線   柘植-草津           36.7 1983.12.25
信楽線   貴生川-信楽          14.8 1983.12.25
奈良線   木津-京都           34.7 1981.04.29
桜井線   奈良-高田           29.4 1981.04.29
片町線   木津-長尾-片町        45.4 1981.04.30
和歌山線  王寺-和歌山          87.9 1983.12.28
阪和線   天王寺-和歌山         61.3 1981.04.30
      鳳-東羽衣            1.7 1983.12.27

●紀勢線(3線区3区間)
紀勢本線  亀山-新宮-和歌山市     384.2 1983.12.28
名松線   松阪-伊勢奥津         43.5 1983.12.26
参宮線   多気-鳥羽           29.1 1983.12.25

●東北線(26線区30区間)
東北本線  東京-田端-仙台-青森    739.2 1982.07.30
      日暮里-尾久-赤羽        7.6 1980.03.26
      赤羽-武蔵浦和-大宮      18.0 1985.09.30
      岩切-利府            4.2 1981.08.07
常磐線   日暮里-原ノ町-岩沼     343.1 1983.04.02
水郡線   水戸-安積永盛        137.5 1980.10.01
      上菅谷-常陸太田         9.5 1986.02.24
川越線   大宮-高麗川          30.6 1980.03.26
高崎線   大宮-宮原-高崎        74.7 1981.08.08
上越線   高崎-水上-宮内       162.6 1980.08.09
吾妻線   渋川-大前           55.6 1986.03.14
両毛線   小山-新前橋          84.4 1986.03.16
足尾線   桐生-間藤           44.1 1986.03.16
水戸線   小山-友部           50.2 1980.10.01
真岡線   下館-茂木           42.0 1986.02.24
日光線   宇都宮-日光          40.5 1987.03.27
烏山線   宝積寺-烏山          20.4 1986.02.24
仙山線   仙台-羽前千歳         58.0 1981.08.07
仙石線   仙台-石巻           50.3 1982.07.28
                     (▲0.2)
石巻線   小牛田-女川          44.9 1982.07.28
気仙沼線  前谷地-気仙沼         72.8 1985.12.30
大船渡線  一ノ関-盛          105.7 1986.08.11
北上線   北上-横手           61.1 1982.07.31
釜石線   花巻-釜石           90.2 1985.12.26
田沢湖線  盛岡-大曲           75.6 1982.07.31
山田線   盛岡-釜石          157.5 1985.12.26
岩泉線   茂市-岩泉           38.4 1985.12.26
花輪線   好摩-大館          106.9 1982.07.29
八戸線   八戸-久慈           64.9 1986.08.11
大湊線   野辺地-大湊          58.4 1986.08.11

●磐越線(4線区4区間)
磐越東線  平-郡山            85.6 1980.10.01
磐越西線  郡山-新津          176.3 1980.08.09
只見線   会津若松-小出        135.2 1982.10.10
会津線   西若松-会津滝ノ原       57.4 1980.08.09

●奥羽線(7線区7区間)
奥羽本線  福島-秋田-青森       487.4 1982.08.02
米坂線   米沢-坂町           90.7 1981.08.08
長井線   赤湯-荒砥           30.6 1981.08.08
左沢線   山形-左沢           26.2 1981.08.07
男鹿線   追分-男鹿           26.6 1985.07.23
五能線   東能代-深浦-川部      147.2 1982.07.30
津軽線   青森-三厩           55.8 1985.12.27

●羽越線(2線区2区間)
羽越本線  新津-秋田          271.7 1982.08.01
白新線   新発田-新潟          27.3 1980.08.09

●陸羽線(2線区2区間)
陸羽東線  小牛田-新庄          94.1 1982.07.28
陸羽西線  新庄-余目           43.0 1982.07.28

●信越線(4線区4区間)
信越本線  高崎-長野-新潟       327.1 1982.03.21
飯山線   豊能-越後川口         96.7 1986.03.14
越後線   柏崎-岩室-新潟        83.8 1986.03.17
弥彦線   弥彦-東三条          17.4 1986.03.17

●総武線(9線区11区間)
総武本線  東京-銚子          120.5 1980.07.06
      錦糸町-御茶ノ水         4.3 1980.07.06
京葉線   西船橋-千葉港         18.4 1986.03.16
外房線   千葉-大網-安房鴨川      93.3 1984.03.26
内房線   蘇我-木更津-安房鴨川    119.4 1984.03.26
木原線   大原-上総中野         26.9 1984.03.26
成田線   佐倉-成田-我孫子       46.0 1980.03.26
      成田-松岸           62.3 1980.07.06
鹿島線   香取-北鹿島          17.4 1986.02.24
久留里線  木更津-上総亀山        32.2 1984.03.26
東金線   大網-成東           13.8 1980.03.26

●予讃線(3線区5区間)
予讃本線  高松-宇和島         297.5 1985.03.06
      向井原-内子          23.5 1986.07.30
      新谷-伊予大洲          5.9 1986.07.30
内子線   新谷-内子            5.3 1986.07.30
予土線   北宇和島-若井         76.3 1985.03.06

●高徳線(2線区2区間)
高徳本線  高松-徳島           74.8 1985.03.07
鳴門線   池谷-鳴門            8.5 1985.03.07

●徳島線(2線区2区間)
徳島本線  徳島-佃            68.9 1985.03.07
牟岐線   徳島-海部           79.3 1986.07.29

●土讃線(2線区2区間)
土讃本線  多度津-窪川         198.7 1985.03.06
                     (▲0.2)
中村線   窪川-中村           43.4 1986.07.30

●鹿児島線(8線区8区間)
鹿児島本線 門司港-新中原-熊本-鹿児島 399.5 1985.03.12
香椎線   西戸崎-宇美          25.4 1986.08.01
篠栗線   吉塚-桂川           25.1 1986.08.01
三角線   宇土-三角           25.6 1986.08.02
肥薩線   八代-隼人          124.2 1985.03.08
山野線   水俣-栗野           55.7 1985.03.08
指宿枕崎線 西鹿児島-枕崎         87.9 1985.03.13
湯前線   人吉-湯前           24.9 1985.03.09

●長崎線(7線区8区間)
長崎本線  鳥栖-肥前古賀-長崎     125.3 1985.03.15
      喜々津-長与-浦上       23.5 1985.03.14
佐賀線   佐賀-瀬高           24.1 1985.03.15
唐津線   久保田-西唐津         42.5 1986.08.01
                     (▲0.1)
筑肥線   伊万里-姪浜          75.7 1986.12.28
                     (▲1.3)
佐世保線  肥前山口-佐世保        48.8 1985.03.14
松浦線   有田-伊万里-佐世保      93.9 1985.03.14
大村線   早岐-諫早           47.6 1985.03.14

●九大線(1線区1区間)
久大本線  久留米-大分         141.5 1986.08.02

●豊肥線(1線区1区間)
豊肥本線  熊本-大分          148.0 1985.03.12

●日豊線(7線区7区間)
日豊本線  小倉-大分-鹿児島      462.6 1986.08.02
                     (▲0.1)
日田彦山線 城野-田川後藤寺-夜明     68.7 1986.08.01
田川線   行橋-田川伊田         26.3 1986.08.01
高千穂線  延岡-高千穂          50.1 1985.03.11
日南線   南宮崎-志布志         89.0 1985.03.13
吉都線   都城-吉松           61.6 1985.03.09
志布志線  志布志-鹿屋-国分       38.6 1985.03.13

●筑豊線(6線区6区間)
筑豊本線  若松-飯塚-原田        66.1 1986.07.31
伊田線   直方-田川伊田         16.2 1986.07.31
糸田線   金田-糸田ー田川後藤寺      6.9 1986.07.31
宮田線   勝野-筑前宮田          5.3 1986.07.31
後藤寺線  新飯塚-下鴨生-田川後藤寺   13.3 1986.07.31
上山田線  飯塚-豊前川崎         25.9 1986.08.01

●函館線(9線区12区間)
函館本線  函館-大沼公園-小樽-旭川  423.1 1983.03.27
      大沼-渡島砂原-森       35.3 1983.03.26
      砂川-上砂川           7.3 1985.07.25
江差線   五稜郭-江差          79.9 1986.08.10
松前線   木古内-松前          50.8 1986.08.10
札沼線   桑園-新十津川         76.5 1985.07.24
千歳線   苗穂-沼ノ端          60.2 1985.07.29
石勝線   千歳空港-新夕張-新得    132.4 1983.03.30
      新夕張-夕張          18.2 1985.07.26
幌内線   岩見沢-幾春別         18.1 1985.07.29
歌志内線  砂川-歌志内          14.5 1985.07.25
深名線   深川-名寄          121.8 1983.03.29

●室蘭線(1線区2区間)
室蘭本線  長万部-追分-岩見沢     209.3 1985.07.24
      東室蘭-室蘭           8.1 1985.07.24

●日高線(1線区1区間)
日高本線  苫小牧-様似         146.5 1985.07.27

●留萌線(2線区2区間)
留萠本線  深川-増毛           66.8 1985.07.25
羽幌線   留萌-幌延          141.1 1985.07.25

●根室線(3線区3区間)
根室本線  滝川-釧路-根室       446.8 1985.07.29
富良野線  富良野-旭川          54.8 1983.03.30
池北線   池田-北見          140.0 1985.07.28

●宗谷線(2線区2区間)
宗谷本線  旭川-幌延-稚内       259.4 1983.03.31
天北線   音威子府-浜頓別-南稚内   148.9 1983.03.31

●名寄線(1線区1区間)
名寄本線  名寄-上湧別-遠軽      138.1 1983.03.27
      中湧別-湧別           4.9 1985.07.28

●石北線(1線区1区間)
石北本線  新旭川-美唄-網走      234.0 1983.03.29

●釧網線(2線区3区間)
釧網本線  東釧路-網走         166.2 1983.03.30
標津線   標茶-根室標津         69.4 1983.03.30
      中標津-厚床          47.5 1983.03.30

●航路(3航路)
青函航路  青森-函館                1983.03.26
宇高航路  宇野-高松                1985.03.06
宮島航路  宮島口-宮島               1985.08.23



195線区222区間(含新幹線)3航路
19462.4km(新幹線、航路除く)

●開始日

 1980年3月26日(水)

●完乗日

 1987年3月27日(金)

●所要期間

 7年1日

●踏破営業キロ

 20639.7km
 (内訳)
  完乗時全路線営業キロ   計 19461.1km(新幹線、航路除く)
  踏破後の廃止区間営業キロ 計  1176.4km
  踏破後の営業キロ改正   計     2.2km

  1980年~  2822.6km
  1981年~  1466.1km( 4288.7km)
  1982年~  2931.1km( 7219.8km)
  1983年~  4796.1km(12015.9km)
  1984年~   569.2km(12585.1km)
  1985年~  6030.4km(18615.5km)
  1986年~  2024.2km(20639.7km)

●踏破区間数

 225線区253区間3航路
 (内訳)
  完乗時全区間数   計 195線区222区間
  踏破後の廃止区間数 計  30線区 31区間

●交通費

 550125円

最後に残ったのは、日光線。

最後が日光になったのは、別に意図してたわけでもなく、
むしろ記録上は初乗りといえど、
小学校の時に修学旅行の団体列車で乗っている区間だから、
あまりすっきりはしないが、
めぐり合わせからこうなってしまった次第。

 


  下宿
      :
  友人S家
      :
  岩槻I.C.
      :
  宇都宮I.C.
      :
  友人F家
      :
  すかいらーく(戸祭)
      :
  宇都宮駅

 

宇都宮駅(東北本線) 1987.03.27

 

宇都宮   発1530
      ↓日光線、853M
日光    着1618

 

全線完乗の瞬間

 

日光駅日光線 1987.03.27

 


●データ

【踏破距離】
40.5km  通算:20639.7km

【踏破区間】
1線区1区間  通算:225線区253区間

・日光線  宇都宮-日光   40.5km

【交通費】
宇都宮→日光       700円
車代             ?円

           計 700+?円