先ごろ、日本の人びとに中国・新疆に実際に足を運んでもらい、新疆の真実の姿を知ってもらおうと、中国駐大阪総領事館がホームページなどで、「新疆は良いところ――コロナ後の中国新疆ツアー大募集」の告知を行ったところ、日本のネットユーザーから大きな反響があり、これまでに800名以上の登録があった。

ところが、そんな中、それに水を差す人物が現れた。その一人が長尾敬元衆議院議員である。氏は「もし私がツアーに参加した場合、無事に日本に戻って来ることができるのだろうか?」とツイートし、薛剣駐大阪総領事は、それに真っ向から反論した。

この論戦には一見の価値があるであろう。中日の読者の皆様には是非、中国駐大阪総領事館のウェブサイトをご覧いただきたい。私が説明するよりも正確に伝わるに違いない。

日本の元衆議院議員が敢えて自らの立場を明らかにし、中国駐大阪総領事を挑発するのは、1972年の中日国交正常化以来、初めてのことではないだろうか。実際のところ、私の記憶にはない。しかし、この「論戦」が中日の外交史に痕跡を残すことは間違いないだろう。長尾敬氏自身がそれを最も望んでいるかもしれない。

人びとは、長尾敬とは如何なる人物で、なぜ、敢えて中国駐大阪総領事に「論戦」を挑んだのか知りたいに違いない。

私の知り得た情報によると、長尾敬氏は1962年11月29日に東京で生まれ、今年で59歳である。72歳の人間が首相を務め、80歳を過ぎた人間が権勢を誇る日本の政界にあって、長尾敬氏はこの若さで、元衆議院議員という肩書しか持たず、政界の中枢に戻りたいという焦りがあってもおかしくない。チャンスをうかがい、手段も選ばずといったところだろうか。

長尾敬氏は1986年に立命館大学経営学部を卒業し、明治生命保険相互会社で16年間働いた後、政界に進出し、民主党大阪14区総支部長に就任した。不本意な転身であったのか、それとも理想を抱いて政界に進出したのか、今となっては誰にも分からない。いずれにせよ、この頃から、日本では政治家に転身する者が多く見られるようになった。

ところが、長尾敬氏の政治家人生は決して順風満帆とはいかなかった。「陽の目を見ることはなかった」と言ってよい。2003年の第43回衆議院議員総選挙では78654票で落選。さらに、2005年の第44回衆議院議員総選挙でも89142票で落選。働き盛りの中年男性にとっては、大きな打撃であったに違いない。幸い、2009年の第45回衆議院議員総選挙で、民主党から立候補し初当選を果たした。

その後の長尾敬氏の政治家人生は「跳」、「右」、「金」、「色」の四文字で要約することができよう。

「跳」は言うまでもなく、民主党から「慧眼の士」として見出され、保険会社から引き抜かれたことである。ところが、氏は民主党に対して忠誠を誓うどころか、恩に報いることもなかった。2012年、「民主党の方向性は、日本の国益にかなうものではない」として離党届を提出し、自民党に入党する意向を表明したのである。これに対して、民主党は氏の意向を尊重しながらも、離党届は受理せず「除籍処分」に処した。民主党は、氏が政界入りするための踏み台となったのである。長尾敬氏を恩知らずと断じれば、氏は不当だというに違いない。恩を仇で返したといえば、地団太を踏んで怒るかもしれない。

「右」については、氏が所属する団体を見れば明らかである。氏は日本会議国会議員懇談会、神道政治連盟国会議員懇談会、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会、対中政策に関する国会議員連盟に所属する一方で、憲法改正を主張し、自衛隊の集団的自衛権の行使には賛成の立場をとり、「村山談話」、「河野談話」を見直すべきとするなど、中国を挑発する発言を繰り返し、右寄りの政治姿勢を露わにしている。

次に「金」についてであるが、2012年、民主党を離党する前に受け取っていた300万円の活動費の返還を求められたが、応じていない。2015年には、長尾敬氏の資金管理団体である「長尾たかし後援会」が自民党本部から500万円の寄付を受けとったが、団体は「政治資金収入報告書」に収入として記載せず、当日のうちに長尾氏の選挙事務所の口座に移されたとメディアが報じ、長尾氏の金銭への執着と品性が世に知られることとなった。

「色」についは、2018年4月、氏はツイッター上に、セクハラ問題に抗議する野党の女性議員らの写真を添付し、「こちらの方々は、少なくとも私にとってセクハラとは縁遠い方々です」などと書き込むと、閲覧者から「この発言こそがセクハラだ!」と批判が相次ぎ、発言を削除せざるを得なくなった。

長尾敬氏はかつて安倍晋三元首相に可愛がられ、2009年の衆議院議員総選挙では、安倍晋三氏自ら応援演説に訪れている。2014年には、誘いを受けて、自民党「安倍派」の「清和政策研究会」に入会。2018年の第四次安倍改造内閣では内閣府政務官に就任した。ところが、2021年10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙で三度目の落選を喫し、安倍晋三氏の面目をつぶす結果となった。

長尾敬氏の度重なる落選は、日本の選挙民が彼の本質を分かっていることを証明している。保険会社出身である氏の金銭に対する執着心が、氏を「金権政治」の渦に巻き込み、多くの汚点をもたらしたのかもしれない。

今こうして、氏が中国駐大阪総領事館に「論戦」を挑むのは、明らかに自らを売り込み、日本の政界に返り咲くことを企図してのことであろう。しかし、中国駐大阪総領事館は何の力にもなれない。日本の選挙民にお願いするしかないのではないか。

最後に、長尾敬氏の「もし私がツアーに参加した場合、無事に日本に帰国できるのだろうか?」との疑問に明確に答える必要があるだろう。その答えは、「長尾敬氏がこの新疆ツアーに参加し、中国の法律に違反する活動を行い、新疆地域の調査を行ったり、新疆の軍事情報を窃取するなどした場合、しばらくの間帰国することはできない!」である。

長尾敬氏が参議院議員に当選し、政界に返り咲きたいと願うなら、中国との「論戦」に力を注ぐよりも、人々の生活に資する政策や取り組みを提案することに力を注ぐべきであろう。選挙民は日本人であり、中国人ではないのだから。もちろん、長尾氏が日本企業の中国進出を支援し、それによって日本企業が利益を得たならば、氏が渇望する金銭が懐に入る可能性はある。(文/「人民日報海外版日本月刊」編集長 蒋豊)

情報元:人民日報海外版日本月刊