考えることと疑うことは同義なのだろうか?コンサルをやってるとこんな葛藤に苛まされる。

考えるとは、ある事象に対して、その表層の現象だけを受け入れず、水面下にある原因は何かを突き止める思考作業とでも言えるか?では、疑うとは・・・。

疑うとはありとあらゆる事象が偽であると決めつけ、真実を探求する姿勢とでも言えようか?

仕事をしていて、成果を上げるには疑う方が、真実に迫れるケースが多い。疑うという行為は全ての物事が対象になるからだ?何かに対して「本当か?それは、嘘だろ、こういうことじゃないの?」と心の中で追求している姿勢だ。

一方の考えるは興味のある事象にしか着目しないケースが多く、網羅性に掛ける気がする。興味のない事象には「うん、そう思う。確かに。それでいいんじゃない」と納得させている側面がある。

しかし、人として常に疑う姿勢をもっていると、自分自身に嫌気が差すことがある。でも、人にはない視点を持つにはこれが効果的である。

疑うではなく、好奇心でことに当たりたいのだが、中々難しい。

こういうときに大事なのは、強靭な信念だとか、大げさかもしれないが宗教のような心のよりどころなんだろうなと思う。

特にエキスパッツの連中は、なんらか信仰心を持っているため、このあたりのバランス感覚が非常に良い。家族の写真をデスクに置くのもそういうバランスの現われかもしれない。

日本人のコンサルに人が悪い奴が多いのもこのあたりのバランス感覚の無さゆえか・・・。コスト削減プロジェクトで、すぐ人件費に目が行くのもその現われか・・・。どこかしら上目線で、客を馬鹿にする態度も気になる。「おまえできんのか」と。

かなり偏在的な見方かもしれないが、そんな気もしている・・・。

滔々と変な思考を連ねたが、自分はそうはありたくない。食わず嫌いせず、ちょっと宗教、精神性の世界にも触れてみるか・・・。