最近、テレビで政党のくだらない闘争に明け暮れているニュースを
見るたびに、子供の頃に読んだ本のことを思い出す。
…私が幼稚園生くらいだったろうか。
確か、小学生になる前に読んだ本だ。
あやふやな記憶の中によみがえる本は、イラストが多用されていた
ので、もしかしたら本じゃなくて、絵本だったのかもしれない。
両親からの情報によると、長女に生まれた私は、とても体が弱く、
本を読んだり室内で遊ぶのが多かったらしい。
なんでも、3日に一度は、かかりつけの開業医(内科)に通う程、
すぐ熱を出したり、咳き込んだりしていたそうだ。
気管支が弱かったと聞いている。小学1年生のひと夏中、まるまる
外出できずに部屋で寝込んでいたこともあった。
そんな体だからか、小さい頃から妙に聞き分けがよくて、いわゆる
良い子だったらしい。私自身は記憶がないが、幼児の頃から哺乳瓶
を抱えて暗い部屋に入り、単独で寝つくのを好んでいたそうだ。
たまに、母親がおやすみ前に絵本でも読み聞かせようとしたならば、
「…それで? うん、それで?」と絵本の物語の終わりまで、つまり
そのストーリーの結論がでるまで、瞳を爛々と輝かせ、全く眠る気配
がなかったらしい。(もちろん、本人としては記憶がないが、どうやら
その頃からこの「しつこい性格」は育成されていたようだ… ^^;)
全てのページを読み終わらないと(寝かしつける作業が)終わらないし、
内容もしっかり把握しているため、途中で適当にはしょることもできず
に、母親はとても苦労したと笑っていた。
それと比較して私の弟は、最初の1ページを読み終える前にもう寝て
しまって、夜な夜な読み聞かせをしていても、物語がちっとも進行しな
かったらしい(笑)
姉弟、似た遺伝子をもって生まれたはずなのに、こんなにも子供と
いうものは、それぞれに個性豊かなものなのかと母親ながらに感心
したそうな。
…ん? 話が脱線してしまった。^^;
今日は、ずいぶん前に大人になった(笑)私の記憶にぼや~んと横た
わる本の話だ。
その本は、タイトルも著者名も思い出せないし、本の装丁すらも思い
出せない。だいたいの愛読書(絵本)は、表紙の装丁を強烈に覚えて
いるものなのだけれど、なぜかその本は思い出せずにいる。
もう一度、どうしても読みたいなと思って、年に数回、実家に帰った時、
あちこちと保管されていそうな箱をこそこそと開けてあさってみたりする
のだけれど、残念ながらいまだに全く見つからない。
数回にわたる引越しのどさくさにまぎれて、どこかへしまいこまれてし
まったか、或いは、前のご近所の個人宅でやっている私設図書室へ
譲られてしまったか…
「探しものがでてこない」という、この寂しさにも似たほろ苦い気持ちと
いうのは、自分の中で諦めがつくまで、やや苦しくてやるせなくて、
なんともいえないものだ。
そして、肝心なストーリーも少々おぼろげだ。
物語の舞台は、縄文時代か弥生時代の稲作文化が始まった頃の日本
だったと思う。まだ人々は、麻布を半分に折って身にまとうような衣や、
一部、毛皮を使った衣服をまとっていたようなイラストだった。成人は
髪や髭が伸び放題。一部の人は、長い髪をまとめていたと思う。
物語の出だしは覚えてないのだが、時の大王(おおきみ)に、民(…今
で言うところの市民)が税金を納めて、国(=国家運営)が成り立つ…
というお話。
ある日、大王(おおきみ)が物見やぐらのような高い建物から、民草の
暮らしぶりを眺めようと、街並(…といっても竪穴式住居が並ぶイラスト
だったけど)を見下ろすシーンがあった。
本のイラストでは、ご飯時だというのに、ご飯の支度をする煙が各家庭
から細々としかあがらず、全く煙があがらない住居もあることに、大王は
ふと気づく。
大王はその光景から、民草が日々の食事にも事欠く生活をおくっている
ことを悟り、その苦しさを深く憂い、「向こう3年間、税のとりたてをなくす
のじゃ!」と、今では考えられないような条例を出す。
…3年間後、大王の一族はすっかり貧しくなり、着ている衣や邸宅は荒れ
果てて描かれていた。イラストでは、3年前と同じアングルで描かれてい
た豪勢な邸宅や豪華な衣装に包まれた大王や御后が、すっかりみすぼ
らしく落ちぶれた様子になっていた。
すると、「我らが生活を立て直すのを、根気よく待ってくれた我らの王に、
心より感謝します」と、口ぐちに感謝の意を唱えながら、大勢の民草が自
主的に大王の邸宅の前に集まりはじめ、ぼろぼろになった大王の邸宅
を笑顔で建て直したり、着物の生地となる反物を献上する姿が描かれて
いたのだ。
…つまり、徴税とは
1)支払う民の生活が、まず第一
2)国を治める王の生活は、第二
3)支払う民が笑顔でいること
まずは、国民の生活がしっかりとあってこそ、大王(おおきみ=執政者)の
存在価値があり、国としての運営が成り立つという順番だ。
大原則として、この順番が守られている必要があるのだとこの物語の作者
は言いたかったのだと思う。
そして、この順番が守られていなければ、その徴税システムは、「納税者が
笑顔で、気持ち良く支払い続ける」ことが継続できないのだ。
子供心に、「国って、税金の取り立てをやめてくれたりするのかな?」と疑問
に思っていたが、その後、私も無事に(?)大人になり、あの本に描かれてい
た世界は、あくまでも本の世界の中の物語であったという確信を得た。
実際に、自分が税金を支払い続ける番が回ってきて、これまで一度も笑顔で
税金を支払ったことはなく、当然のように払ってはいるが、この税金がどこへ
ゆき、どう使われるのかと思うと空しい気持ちがこみ上げてくるし、これまで
どれだけ給与から天引きされてきたかと累積金額を想像するだけで、どうして
も苦々しく思ってしまう。
これからもずっと、高額な報酬を受け取る議員や官僚の生活は常に優遇され、
我々庶民は、将来に漠然とした不安を抱えながら質素な生活を送ってゆき、
この国を出るか、死ぬまで税収の要求を当たり前のように受けなければなら
ないのだろう。
…あの本に描かれていたあの世界。
作者が夢見た理想郷、妄想だったのだろうか…?
いったいどこの誰が書いたのだろう?
こうやって、やるせない喪失感を感じたり、苦々しく思ったり、ぐるぐると私の中
でいろんな感情が渦巻いているうちに、タイトルもわからないあの本が、忘れら
れない本の一冊になってしまったのだ。
…今、政治に携わる人々に、あの本を読み聞かせてやりたいと思う。
「国民の生活が厳しい今、政治家や官僚の生活のための税収は、取りやめる」
これこそが、国民の生活が第一ということなんだよ、と。
(なみき)