観るべき建築物に挙げられているニ見ヶ岡刑務支所。

現存する最古の木造刑務所として移築された。

 

農園作業の先導的施設として設置された。

収容者の食糧を担う場所としてまた広い農場で収容者が作物の管理から収穫まで自立的に行う開放的処遇施設として重要な役割を果たしている。

 

伝書鳩を使って通信手段とした。

 

 

 

 

 

 

網走監獄の典獄(最高責任者)を務めた大谷友次郎氏が揮ごうした書を篆刻したもの。

 

 

建物の出入口。

 

細い廊下。

 

廊下の先にトイレ。

 

作業部屋。

 

 

煉瓦敷きの廊下。

 

教誨堂。

 

 

食堂。

 

食堂。

 

食堂の天井、換気。

 

炊場。

 

炊場。

 

 

炊場。

 

浴場。

 

浴場。

 

煉瓦・瓦。運送費が高くつくため、所有地の粘土で自前製造を始めた。

 

木製水道管。敷地裏の沢の湧き水を水源として利用。

網走の町に設備されるより先に水道施設を持っていた。

 

 

明治29年建築時、朝夕の出入り時に、受刑者の戒具を着脱させる場所だった。戒具を装着させないようになってからは農場から帰り、泥で汚れた足や長靴を洗い、衣類を洗濯する場へと使われ方が変わった。

 

 

 

更衣場。

 

 

 

網走刑務所裏門の笠石。

網走刑務所と構外作業場の間の通用門に設けられていた。敷地内の石切り場から切り出される軟石を加工して基礎材や要石などに使用。

軟石とは火山活動により堆積した溶結凝灰岩のことで加工が容易な点からも北海道では様々な用途に用いられてきた。有名なものに小樽軟石や札幌軟石が挙げられるが、網走刑務所の軟石はそれらとは石の性質が異なるため「網走軟石」と呼んで差し支えないものらしい。

 

 

 

2階。

 

 

 

 

 

 

作業道具。

 

この部屋にはストーブがあったようだ。

 

小豆の選別作業。

 

舎房。

木造舎房として現存する最古のもの。

左回りに第一舎、第二舎、第三舎と十字型で構成されている。

 

斜め格子。

 

 

 

置き便器。

 

 

ストーブは廊下に2台しかなかったため、真冬の寒さをしのぐため、壁にコンバネを打ち付け、天井にビニールを張り、熱が逃げないように防寒対策をとりながら100年以上風雪に耐えて使用されてきた。

 

舎房の廊下のストーブ置き場。

 

洗面台。

 

 

耕耘庫内には数々の機具が展示されている。

アメリカの近代的農業制度を取り入れていたので、その技術は非常に進歩したものだった。

これはプラウと呼ばれるもので荒地の開墾など、牛馬にひかせ固まった土地を耕起、反転させた。

 

手押し豆播(まめまき)機。

 

 

タコ足(奥)という名前のもみのじかまき機。種子函から16本以上の種子導管を伸ばしてたねもみを落下させた。

鬼ハロー(手前)は水田の砕土と地ならしに使われた。粘土質の土壌を馬でひいて土のかたまりを砕いた。

 

肥料まき機。3つの函から三畝にわたって肥料を効率よくまく。

 

三台除草機。

 

田打転車。回転式除草機の原型。木枠の取っ手を持って歩きながら押し引きして回転させ、稲株の間に生えた雑草を抜きとり、同時に土をかきませた。

 

田下駄。

泥炭質水田のぬかるみに足をとられずに作業するために使用された。

 

背負い噴霧器。

手押しポンプで圧力を加え、2本のホースの先端ノズルから薬液を噴霧した。15分間の作業ができた。

 

背負い噴霧器。

 

 

 

つけもの庫。

網走分監でも創設時にまず野菜が栽培され、秋になると収穫して乾かした大根を桶に3000本たくあん漬けにして貯蔵した。この味は天下一と評判だった。

 

 

 

 

道の駅メルヘンの丘。

 

しじみラーメン。

しじみのだしが十二分に利いて上品な味わい。

 

女満別空港では網走湖の蜆が売られていた。

 

思わず足をとめた売店。

 

ビッグサイズのアスパラと生食できる紫アスパラ、持って帰りた~いと心から思った。

 

通路の蛇腹が機体に接続する瞬間を初めて目にした。

 

窓の外を見たらプロペラが回っていた。そういえば飛行場には何機ものプロペラ機がとまっていた。

 

 

夕食は室蘭近くの輪西駅の小料理屋。

 

なすのはさみ揚げ。

 

お刺身。

 

生ウニ、豚角煮、イカのスタミナ焼き。

 

ご飯とみそ汁を注文して生ウニを載せて勝手にお手軽ウニ丼。

 

このあと、ウニの時期にたらふくウニが食べられると楽しみにしていたのだが、

高値と天候不漁のため、なんとか小出しで食するのが精一杯だった。