9:00の開館時間に行き、2時間半たっぷり観て回った。ツアーで時間をとっているのがよくわかった。

 

川面を鏡にたとえ「わが身を見つめ自ら襟を正す」という意味を込めて名付けられた「鏡橋」。

 

ここでもはびこっているのは外来種のスイレンなのかな。

 

正門。

木造の外塀の焼失後、用地内粘土で煉瓦の製造を始め、5年かけて築造した「赤門」と呼ばれて網走刑務所の象徴となっている正門。

使用した煉瓦は150万枚で基礎石や塀の上の笠石も用地内から採掘した軟石を用いている。

 

正門のサイド。

 

正門の内側。

 

 

看守控室。

 

看守控室の扉。

 

面会人待合室。

 

庇が特徴的な窓。

 

裏門。

この門は網走刑務所赤煉瓦門塀製作開始時に一番最初に着工した門。受刑者がこつこつ煉瓦を積み上げ5年後に延長1080Mの赤煉瓦塀を完成させた。以来70年に亘り、塀の外の作業場に出かける時に通るのがこの裏門。

 

1080Mの塀。

 

 

 

通用門。

 

通用門。

 

刑務所水門。

刑務所の前方は網走川が流れている。この川を利用して生活物資を運び入れたり、農場へ肥料を運ぶなど貴重な水路として活用していた。その出入り口として受刑者の手により完成した。昭和31年まで活用していたが、記念橋を撤去した際に封鎖された。

 

 

庁舎。まずはここへ行って見所をチェックするのがベスト。

 

屋根には半円アーチの飾り窓が6カ所に見られる。

 

 

 

屋根正面の上部にあるフィニアル(頂華)風の鬼瓦。             (説明板を引用)

庁舎の入母屋屋根の車寄せポーチ。

切妻破風には半円アーチの破風板意匠を見せ、奥に洋風窓を配している。

 

破風には紋章が入っている。

 

押し上げ式の窓、木造下見張りは明治10年ごろ学校や官公庁の建築に見られた様式。

洋風建築の上に日本の伝統の鬼瓦や瓦屋など和の要素が見られ、城郭を思わせる塔屋を載せた姿は擬洋風建築と言われている。

 

庁舎内の半円欄間。

 

ストーブの煙突の穴には、軟石に装飾しためがね石がはめ込まれている。

 

 

 

庁舎内資料、開拓使蔵板。

 

 

 

 

寺のような趣を持つ外観の教誨堂。

総瓦葺と入母屋造りの重厚な屋根を持つ。

 

外観は下見板張りの外壁に上げ下げ窓の洋風意匠が並び、窓の庇が櫛型ペディメント(破風)にデザインされている。

 

大屋根の棟飾。

 

内部は無柱の広間で、漆喰を用いて天井の中央上部には中心飾りを施し、シャンデリアを吊り下げた和洋折衷の建築様式。

 

シャンデリア。

 

 

正面講壇。

 

 

教誨事業は戦前まで仏教の浄土真宗東本願寺系の宗派が行っていたので正面に仏壇をこしらえ阿弥陀如来像を安置していたが、戦後は舞台に改造して多目的に使えるようにした。

 

 

幾重もの蛇腹をまわした折りあげ天井。

 

凝った造り。

 

講壇左右の開口部。

 

尖塔アーチ状の欄間。

 

 

図書閲覧カード入れ。

 

 

 

煉瓦造り独居房。この煉瓦も受刑者が焼いたもの。

 

窓がない真っ暗な部屋で、食事も量を減らされた。

 

樺戸衆治檻の懲罰房。

房の立ち並ぶ周囲は木塀でおおった。その中を闇堂といい、房は外から光が入らないように造られ、闇室と呼ばれた。7昼夜重湯のみが与えられて入居させられた。

 

 

懲罰房。

 

 

釧路監獄署網走囚徒外役所正門(再現)。

北海道中央道路の開削工事にあたり、囚徒1200人を移動させて外役所を開設した。

施設を囲む塀は木塀だったが、時代とともに煉瓦正門へと変化していった。

 

 

浴場。

 

大勢の者が寝食を共にするため皮膚病などが流行しやすく、衛生面からも浴場は欠かせない施設の一つで且つ、一日中の作業終了後の入浴は受刑者にとって楽しいひとときだった。

 

明治の大火で消失後、コンクリートの浴槽に蒸気で湯をわかす当時としては近代的な浴場だった。

 

旧浴場屋根の上に設けられていた「湯気抜き」に施された模様を切り抜いた板。

 

 

外壁に使われていた煉瓦の一部。

監視機能を担う哨舎は瀟洒な外観を持つ貴重な遺構。随所に凝らされた装飾性が魅力。

どの哨舎も六角形で同じ外観をしている。

 

 

 

一面を片開き戸とはめ殺し窓とし、5つの面にガラス窓が配置された。

 

屋根頂部に鉾状の棟飾りを備えている。

 

7枚の下見板張り腰壁で造られた。

 

窓上部の額付小壁と波型形状の鼻隠し板。

 

繋ぎ目も手作業。

 

 

 

 

舎房及び中央見張り所。

 

 

 

 

 

八角形の中央見張所。

 

ドアを入ってすぐ、看守の部屋。

 

面会者受付。

 

 

扉に図書廃棄口がついている。面会に持参しても許可がおりなかった本は破棄する。

 

明治時代の獄舎の名残を完全にとどめる監房としては国内最大規模で、ことに木造では現存する我が国最北端の監獄。

 

中央見張所の中のランプ。

 

少人数で大勢の囚人を管理するための放射状の舎房。

合理的で機能的ながら空間的な美しさを併せ持っている。

 

ベルギーのルーヴァン監獄を模倣して建設したもの。

 

中央見張りを中心に雑居房、独居房、鎧格子、矢筈格子といった独特の建築技法を採用して昭和59年9月まで使用されていた。

 

放射状の建物が中からも感じ取れる。

 

中央通路の明り取りのための天窓。

天窓を支える木造トラス小屋組と小屋組の梁にあたる部分を鉄筋に置き換えた造形は監視や逃亡防止を考えたものと言われるが、建築表現としても美しい空間を表出している。

 

 

舎房の中。トイレ。

 

鎧格子。

換気はできるが、舎房の中から廊下を見ることはできない。

 

 

斜め格子。平断面形状。

廊下側から舎房の中が見える。

 

廊下の中央を歩くと左右同時に舎房の監視ができる。

 

 

 

舎房の扉の厚さ。

 

 

扉。

扉の中央の窓。

 

扉の下方の窓。

 

 

扉の厚さ。

 

 

舎房外観。

 

放射状に建つ。

 

登り窯。

 

 

二見湖畔神社。

 

柾葺き屋根。

 

 

 

 

板葺き屋根の休泊所。

受刑者が塀の外に出て日帰りできない作業をする場合は仮小屋で寝泊まりした。工事の進行にともない休泊所を解体しては移動していき、別名「動く監獄」と呼ばれた。

 

 

罪人の枕は丸太を半分にした「半円木」と定められたが、時には手間を省いて1本の丸太のまま使われたこともあったと言われている。この方法はの後の「たこ部屋」にも使われて朝になると丸太の一端をたたいて一斉に起こしたと言われている。

 

テント式の休泊所。

 

 

味噌・醤油蔵。

 

 

 

北方民族の守り神ニポポ。木の小さな子、または人形の意味。どんな願いでもかなえて幸せになると言われている。受刑者が製作している。

 

釧路地方裁判所、網走支部法廷復原棟。