ジェニーの息子です。
日ごろから母のブログを読んでいただき、ありがとうございました。
一つ前の日記でささなさんから書き込みを頂きましたが、あらためてご報告させていただきます。
母は、9月2日午後8時5分、永眠しました。
2日は母の61歳の誕生日でもありました。
小細胞肺癌と診断されたのが2014年7月7日でした。
有効な治療方法がなく、平均余命が2年半という極めて予後の悪い病気でしたが、約3年2カ月、頑張ってくれました。
最期は私と祖母、叔母の前で、眠るように息を引き取りました。
8月28日に入院してから、わずか6日間でした。
亡くなる2時間ほど前に、母は私の頬を両手で包み、「頑張ってね」とほほ笑んでくれました。
心身とも、とうに限界を超えていたにもかかわらず、最後まで弱音を吐くことなく、気丈なままでした。
以前、ブログに書いていたかと思いますが、母は32歳で離婚し、3歳の私を連れ、故郷の福岡県へ戻ってきました。
その後は女手一つで私を育ててくれました。「自分が父親を奪ってしまった」という後悔をずっと抱きながら、同時に「自分が父親の代わりにならなければならない」と、時に厳しく、時にあふれんばかりの愛情で接してくれました。
母は人生のすべてを私に注いでくれていたのだと思っています。
がんが発覚したのは、女子大の寮母をしていたころでした。
日々目が回るほど忙しいと話していましたが、楽しかったのでしょう。充実した表情でした。がんが治ったらまた働きたいとも言っていました。
私が社会人になり、子育てもひと段落し、ようやく旅行や趣味など自分の時間を楽しめるという矢先でした。
がんになって悔しかったことでしょう。それでも、不平不満を言わず、亡くなる1週間前まで自宅で私と過ごすことを選んでくれました。心配をかけないようにと、苦しくても我慢していたのだと思います。
本当に、強い人でした。母として、一人の人間として、尊敬の思いしかありません。
ブログのことも気にしていました。2年前に私の転勤で縁もゆかりもない場所に住むことになりました。読者の方々との交流で、心細さを埋めていたのだと思います。
母には言っていませんでしたが、私も熱心な読者の一人でした。
楽しそうに、画面に写るもう一人の自分に庭の手入れをさせている姿が好きでした。
「ブログを書いたらアクセス数が増える」と嬉しそうに話していたのを聞いて、黙って何度もブログを覗いたりしていました。時々、私が登場したりすると、恥ずかしいのと同時に、嬉しくもありました。
まだ気持ちの整理がつかず、支離滅裂な文章となってしまい、申し訳ありません。
母が前向きになれたのは、読者の皆様の言葉が支えなった部分も大きいかと思います。本当に、お世話になりました。母を励まして頂き、ありがとうございました。
今、自宅の部屋には母の笑った遺影と、骨壺があるだけです。
これから最愛の母を失った悲しみが募っていくのだろうと思います。
それでも、母が最期に遺した「頑張ってね」の言葉を胸に、前に進んでいきたいと思います。
長年のお付き合い、本当にありがとうございました。












