どうしたら勝ち犬

どんなことがあっても女性は勝ち取らなければならないものだ。村上龍先生のことばを拝借させてもらえれば、男は消耗品で、女は戦利品なのだ。そのために僕らはなにをしたらいいのだろうか。僕は思う。女性の価値が上がっているのは、男性が女性をあまかやせすぎたからだし、男性がだらしなさすぎたからだ。そうならないためにも僕らは女性を育てていかなくてはいけない。全世界の女性を物欲で寂しさを埋めてあげるのではなく、精神的なもので埋めてあげなければいけないのだ。そのためには男を磨いて、素晴らしい女性が現れたときにその女性を幸せにしてあげよう。物ではなく思い出で心を満たせる。それこそ真の男ではないだろうか。俺はすごいって自分でいっているやつ程、たいしたやつはいない。僕の周りにもそういう人間が何人もいるがそいつらの中身なんてピーナッツみたいなもんだよ。中身がないのに大きな事をいう。そんな男に女はあきあきしてるし、そんなことお見通しなんだよね。だからもっと中身を磨こう。男としてかっこいい行き方を模索し、結果としてその戦利品が女なんじゃないかなぁ。

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サワコ

そんな中、密かに心寄せている女性が高校にいた。

彼女はサワコ。私が住む市の隣りの市に住んでいる彼女。ちょうどその頃同じ塾に通っていた友人が彼女と同じ中学ということだったので、彼女の情報を色々聞いた。しかし、思いを寄せている男性がいるという。元彼氏だ。女性が元彼氏を好きでいるのはなかなかその殻を割ろうとしない。  これは今になって分かったことだが、それ故その硬い殻を割るのは大変だ。 彼女について色々知るにしたがって、私は、彼女に対する思いは日に日に増していった。熱しやすく冷めやすい性格だった。前述の塾の友人曰く、大丈夫だから告白したらとのことだったので、人生三回目の告白。なぜか気持ちは落ち着かない。初めの時とシュチュエーションが似てはいないか。その一抹の不安を残して私は告白をする。後で分かったが告白前の友人の意見は信憑性にかける。参考にはなるがそれはあくまで推測及び、励ましでしかないから。信じられるのは当事者同士の気持ちのつながりだ。それを私は人に頼りすぎたのかもしれない。結局私は彼女の殻を割ることは出来なかった。しかしそれは逆に私と言う卵の殻を割った良い機会でもあった。

 私はナオミの事を思い出した。彼女と別れるあの時本心を言えなかった自分に憤りを感じた。同じ過ちを繰り返すまいと、私は本当の気持ちをサワコに何度も伝えた。繰り返し繰り返し。結果は駄目だったが、私は名誉ある敗退とここでは言いたい。私は最後までやれるところまでやってそれで駄目だったのだから、それでだめならば仕方がない。人生も同じだ。やれるところまでやって駄目ならそれで諦めがつく。この気持ちは今でも勿論待ち続けている。だからあの時の彼女が私に与えた影響は大きい。女性は自分を一回りも二周り大きくしてくれるそんな存在だ。

久しぶりのブログ

本当に久々に書きました。


最近仕事と私生活がやたらと忙しく、ブログル時間がありませぇん。


私生活といえば、先週の土曜日についに結婚式場を決めました。


友達に伝えたら、みんな喜んでくれました。


メールももらったし、直接言った友達は泣きそうになってくれて


こっちまで泣きそうになりました。


幸せを有難うなかんじです。


式は来年の9月でちょうど一年後くらいです。


これから一年お金を貯めて、いい式ができるようにしたいです。


僕の人生やっとスタートに立てるところまで着ました。


これからが人生。


楽しみます。



会社の同僚も・・・

うちの会社の同僚で、私の席のとなりの女子社員が


MRIを取ってもらった。


その結果が、これまた、


『椎間板ヘルニア』

うちの会社はヘルニア流行ってるのか。


って思うほど腰痛もちが多い。


因みにこれで両隣が腰痛に苦しんでいる。


若干よくはなってきたが、生まれつき


腰骨がまっすぐなため、完治することは


このさきないだろう。と絶望的なコメント。


あぁ~情けない。


自分で、ポジティブとか前向きとか、オプチュニストとか


いっときながら、そりゃないなぁ。


うん。


今日もぼやき終わったから気分爽快。


これでぐっすり。明日はすっかりそんなことも


忘れちゃうのでした。


超ぅ~簡単な人、私。

人種差別

うちの会社はヴェトナムに工場を持っている会社だ。


会社には一人だけヴェトナム出身の作業者がいる。


その彼がいる目の前で、例ののんきな野郎がこう言った。


『ヴェトナム人のことなんて信じられない。


あいつらの言ってる事の意味がわからないしね。』


私はその時自分が言われているかのように


傷ついた。


それは、一人の尊厳が傷つけられたということは、


全世界の人類の尊厳が傷つけられたのと同じだと思うからだ。


しかも、そいつはうちの会社のお客様にそのことを言ったから


尚驚いた。


それはとりもなおさず、ヴェトナム工場の製品は信じられません


といっているようなものだ。


彼の中では、恐らく笑いのネタとして、客先を笑わそうと思ったのだろうが、


とらえかたによっては、先にようになる。


まったく困った野郎だ。


こんな同僚を持つとこっちまで、冷や冷やさせられる。


今まさに、うちの会社の中では、日本とヴェトナムの摩擦が表面化し、


引いてはそれが、人種差別になってしまうことは疑う余地はない。


僕はそのヴェトナムの作業者とよく会話をするようにしている。


たったひとりで、日本にやってきて、話のできる人もすくないだろうとおもったからだ。


確かに、癖はある。


でも自分がやって分からないことも、分かりやすく身を持って教えてくれる。


素直になればもっともっと仕事がしやすくなるのに、どうしてみんなは


そうしないのか。私には理解できない。


それとも私がまだまだその人のことをよく知らないだけなのだろうか。


人なんて努力次第でいくらでも変わることができる。


皆がその気持ちで仕事ができるように、私は日々


日本とヴェトナムの掛け橋になることができればと思っている。



記念すべき初日

今日は記念すべき一日になった。


私は今まで彼女を実家に連れてきたことがなかった。


それは、母親がある意味で病的な程、私や弟のことを愛し、


我々の彼女に対して、異常なほどの嫉妬を抱くからである。



私は彼女の家にはよく遊びにいくし、彼女の両親ともうまく付き合っている(つもり)。


よく泊りにもいくし、食事も一緒に食べにいく。


時には、私一人で彼女の家族と一緒に家で食事をしたこともある。


これはとりもなおさず彼女がうまく取り計らってくれているからだと思う。


あるとき彼女は私にこう言った。


『J・Nの両親にはいつ会わせてくれるの?』


私はどきっとした。


ついにその時がきてしまった。


過去何度もトライをして、その都度敗れ去ってきたこの場面。


うちの母は絶対に会いたくないと以前から豪語していた。


私のトライアルアンドエラーもそろそろ身を結んでもいいころだ。


意を決して、母親との話し合いが始めた。


相変わらず代わらぬ態度。


もう何度も何度も同じ会話を交わし、そのたびに最後は母親は怒って、


寝室に帰っていく。


今回もダメかと思った。時に、思い出した。


近所の外人の子供が父親と母親に抱きついてきたときの


あの嬉しそうな、両親の微笑を。


私は、こう言った。


『親父もお袋も、もう若くない。俺だって自分の息子を


あの子みたいに抱いてもらいたい。そして、両親の喜ぶ姿を


見たいんだよ。』


心の底から思った、真の言葉だった。


その一言が状況を一変させた。


それまで感情的に物事を捉えていた、母親も今度ばかりは


目に涙を溜め、嬉しそうに言った。


『9月の涼しくなったときに会おうわ。』



そしてその日が今日だった。


ちょうど近くのお祭りが催されており、それを見に行く前に、


近所のいきつけの飲み屋に、両親と私と彼女で行った。


彼女を紹介し、うちの両親を紹介した。


飲みの席は終始盛り上がり、地元だけあって、


色々な人と代わる代わる会って、その都度彼女を紹介できた。


本当に今日は今までの人生の中で一番嬉しい日になった。


何年も何年も悩んでいたことが、やっと解消された。


のどにつかえた骨が取れたとはこのことかもしれない。


ただ、これはプロローグに過ぎない。これからが彼女との


結婚に向けての第一歩だ。


これから如才なく彼女、両親、そして彼女の両親とうまく連携を


とり、人生のスタートラインに立つその時まで私は、


準備運動に余念はあってはならないと思っている。


初めに・・・

私の父をご紹介します。 私の父は、高校卒業する際、担任から 松竹にいけって言われるくらい かっこいい人です。 そんな父は結局松竹へは行かず、某コーラメーカーの所謂ベンダーにジュースを 補充する仕事を3,4年し、その後家業を継ぎました。 家業は魚屋。 S没Aバチック天国に出演するなど、湘南のこの地域にいたっては ちょっとした有名人??? そんな父は私に対して、時にやさしく、時に厳しくととにかくメリハリを 効かせたしつけをしてきました。 そのおかげか、私も25歳(もうすぐ26歳)になり大人としてある程度の分別がつき、 仕事や私生活にメリハリをつけることができるようになりました。 私の人生にもっとも身近で、もっとも尊敬できる父がいたから私がいるんです。 私が どうしても今すぐ結婚したい女性がいる。どうしたらその女性と結婚できるか。 深夜の2時、朝の早起きの父を起こして私が問うと。 父は冷静に おまえの人生だから好きにしろ、だけれども今すぐそれができるか といったらそれはNOだぞ。 しっかりと私の意見を聞いた上で、 今すぐは無理だろうけどそのうちできるように今から一生懸命頑張れ っと言われ、私は父の胸の中で大粒の涙を流して、泣きました。 本当に包容力があり、しっかりと私のことを抱きしめてくれました。 私にとって父は、目標です。 父のような家族にやさしく、温かみがあり、そして情にあつい男になりたいです。

椎間板ヘルニアもどき・・・

湘南のTカ崎にある整形外科を変えた。


別の整形外科でも、同じようなことをいわれた。


やっぱり椎間板ヘルニアなのかも・・・


リハビリの最中におばちゃんに聞いたら、やっぱり


『あんた、椎間板ヘルニアね』


『若い子はすぐに治るわよ』


ってさ。


僕そんなに若くないし、サッカー、サーフィンとかエッチ大好きだから


結構腰には来るスポーツです。


一生この痛みと付き合っていかなければいけないと思うと


先が思いやられるけど、毎日少しづつワォーキングをして


腰の運動をさせてあげるようにしてます。


早く治るといいけど。



ご紹介します。

このテーマでは、私の人生に良い影響、悪い影響を与えてくれた、人々に 感謝に気持ちをこめて、ご紹介していこうかと思います。 小さい頃にうけた心の傷も、今となっては人生の糧です。 そういう辛いことがあったからこそ、今があるんです。 僕の人生は素晴らしい仲間に大勢囲まれていて、非常に波乱万丈です。 ここで分かってもらいたいのは、周りの環境がどれだけよくても 自分がそれをどのように感じるかが大切だということです。 僕なら、仕事で客先からのクレームとか時とか、逃げ出したいって思うより 先に、どうしたらお客様に納得してもらえるかなぁ。って考えます。 つまるところ、前向きにことを考えられるか、それとも後ろ向きになるか。 ポジティブに考えられるか、ネガティブに考えるか。 オプティミストになれるか、ペシミストになるか。 その違いです。 アメリカ合衆国第2代目大統領で、合衆国憲法を草案した、ジェファーソンは こういっております。 『前向きに考えられる人には必ず良い結果が待っているが、 後ろ向きに考える人は必ず悪い結果が待っている』

困ったことに・・・

先日整形外科でのこと・・・。 『このカルテをもって二階にあがってくださいね。』 っと看護婦。 カルテなんて初めて見るので、よく見てみると。 病名欄 『椎間板ヘルニア』 (-_-;) えっっっ!!! 先生には神経痛なんていわれてたもんだから、驚きを隠せなかった。 二階でリハビリを終え、診察室に行って先生に聞いてみた。 『自分椎間板ヘルニアなんですか?』 『あぁ~そうそう、骨と骨の間にあるやつがね、圧迫されてるのよね ほら、この間そういう話したじゃない』 おいおい大丈夫か俺!どうする俺! まさか椎間板ヘルニアだったなんて・・・ でもなんだか胡散臭い先生だったから、病院変えて再検査してもらうことにしました。 適当な先生だとは前から思ってたけれども、そこまでとは。 挙句の果てには 『俺だって、わからないけどね。』 だって。あきれて、ただ笑うしかないね。 だれか僕を助けてください。

むかつくやつだなぁ。

会社にむかつく先輩がいる。 そいつは口だけは達者で、自分ではなにもやらずに、人にばっかり仕事を押し付ける。 私は今の会社に入って、まだ4ヶ月だから、最初のうちはそいつのいうことよく聞いてた。 でも最近はあまりにも仕事しね~もんだから、軽く切れ気味。 私もまだまだ器が小さいです。 そんなやつの気にせずに自分の仕事だけをまっとうすればいいことなのになぁ。 とおもいながらいつも仕事してます。 それでもそいつは俺に仕事をやらせて、自分はどうでもいいような、仕事をダラダラ 女性社員と話しながら、やってる。 そろそろ怒りの鉄拳を食らわせてやるべきかな。 こんなブログを書いてるその後ろでは、そいつが馬鹿笑いをしてるよ。 めでたいやつだねぇ。 またぼやいちゃいました。