メタボリ番長のハマリ具合 | 地味メタボリX

メタボリ番長のハマリ具合


メタボリ番長のコラム-j-art
中学校時代の美術の作品



上の写真は、メタボリ番長が中学生の頃、美術の授業でエッチングを用いた課題で作ったという品です。雑誌で見つけたジミの白黒写真を見ながら、せこせこと、この20cm四方ほどの銅版に穴を開けて作ったものです。

かつて、リッチー・ブラックモアをきっかけに中1でエレキギター(初めてのは赤色の通販ムスタング)を弾き始めたメタボリ番長は、その1年ほど後には実兄のただノエルCOXに薦められたジミ・ヘンドリックスにハマっていき、上記のようなモノまで作ってしまう程のリスペクトぶりになってしまいました。
当時は現在ほど文献や音源も出回っておらず、ようやくMTVのテレビ放送や、VHSビデオが発売されだして、映像でジミの姿を拝めるようになったくらいの時代でした。初めて映像で見たのは「ARE YOU EXPERIENCED?」のPVで、色んな所のライヴ映像が次々に映し出される内容だったと覚えています。同PVでジミの様々なステージアクション、さらにはギターを燃やしてしまうパフォーマンスは当時中学生のメタボリ番長にとって強烈過ぎました。
その後、近所のレコード屋でジミのレコードを少しずつ取り寄せてもらって、小遣いの中からレコードを徐々に購入していきました。VHSビデオもモンタレーのドキュメンタリー映画や、マウイでのライブ(当時はレインボーブリッジからの抜粋版が売られてました)、バークレー、「FILM ABOUT JIMI HENDRIX」など、国内版や、国内版が無ければ輸入版で、徐々にコレクションしていきました。(一部、ただノエルCOXに購入してもらったのもあったかな?) 

という訳で、この当時のメタボリ番長は、かなりハマってました。上記の美術の作品もそうですが、下の写真からでもジミの影響が垣間見えます。


メタボリ番長のコラム-kasuga
中学校の卒業アルバムより



さすがに、この頃はメタボってません(笑)。
んで、これ、分かりにくいかも知れませんが、ひそかに
鼻の穴を膨らませているんです。ジミの鼻になりたい!」って思ってたんですねぇ(何で鼻やねん.....www)。
あと、現物が残ってないので写真はありませんが、当時のメタボリ番長の生徒手帳には、雑誌から切り抜いたジミの顔写真を貼りつけ、名前欄にも雑誌から切り取った「ジミ・ヘンドリックス」の文字を貼ってました。クラスメイトの中には、私のことを「ジミ」(そのまんまですがwww)と呼んでくれるヤツもいました。

中学校時代はバンド結成までには至りませんでしたが、しょっちゅう家でジミの曲を弾いてました。
高校に入ると、美術と音楽の授業はいずれかの選択制だったんですが、当然メタボリ番長は音楽を選択。1年生の終わりに自由発表の課題があったので、みんなは笛やピアノ、唄ったりとかやるのが普通な訳ですが、メタボリ番長はストラトキャスターとファズ、ワウを学校に持ち込んで、ジミのアメリカ国歌をノイズまじりでソロ演奏し、級友たちはある意味ドン引きだったものの、音楽の先生は高評価をつけてくれた、なんてこともありました。
あとはやっぱりメンバーを探して、バンド結成ですね。高校でのバンド、それから中学校時代の友人ともバンドを組み、3種類くらいメンツの異なるバンドがあったんですが、プレイする曲はあまり変わりなく演ってました。レパートリーは、ジミは勿論のこと、クリーム、グランドファンク、ディープパープル、それからやっぱり当時のメンバーの好みも取り入れて、ボンジョヴィ、モトリークルー、アースシェイカーとか、かなり異質な取り合わせの曲のラインナップでした。ある意味、芸達者になったかな?


メタボリ番長のコラム-ichijo
高校時代、文化祭でのショット



その後、大学で軽音楽部に入ってからは、かなりジャンルも色々、精力的に演りだします。高3くらいでこれまたハマりだしたボブマーリィ、レゲエもやるようになったり、ソウル、ファンク、たまにジミも.......。



ま、今日はこの辺にしときましょう。好評なら続編書きます。




メタボリ番長のコラム-banandtada
おまけ。Gは高校時代のメタボリ番長で、Drは何故かただノエルCOXというショット