2022年4月23.24日、福島県にて「ももクロ春の一大事2022〜笑顔のチカラ つなげるオモイin 楢葉・広野・浪江 三町合同大会〜」が開催されました。

このライブが発表されたのは2019年夏。
元々は2年前の2020年4月に開催される予定でしたが、コロナ禍の影響で2年の延期を経て今回念願の開催に至りました。
このライブが発表された当初「福島県」という地名を見て瞬間的に感じたことは「あ、ももクロさんたちは本気で日本全国を笑顔にしようとしているんだな」ということ。


福島県、浜通り。
その地でライブを開催するということは、どういう意味を持つのか、そしてそこに至るまでにはどれほどの人の想いが詰まっていてどんな道のりだったのか。
そんなことを考えていたら、やっぱり現地の今をこの目でこの耳でこの肌で感じておかないといけない。そう思いました。


このブログは、ももクロ春の一大事(以下、「春一」)の前日、福島県浜通りに足を運んで感じたことの備忘録です。
※間違った情報もあるかもしれません。その時はそっとご指摘いただけると幸いです。


2022年4月22日(金)
朝一の飛行機に乗って仙台へ向かいました。
私の住む地域からは仙台から南下して浜通りに入るのが一番早かったので、今回は仙台から電車で南下、途中からレンタカーを借りることにしました。

被災地に足を運ぶのは11年前の9月、まだ泥や瓦礫が残る気仙沼以来でした。
車窓からの眺めは、当時から比べるとずいぶん整ったなという印象です。

福島県相馬市の「原ノ町」という駅からレンタカーを借りていよいよ福島県の浜通りに突入します。
レンタカー屋さんに「地震の影響で地面が割れている箇所があるので気を付けてくださいね」と言われましたが、11年前の地震ではなく先月の地震の影響でした。
まだ地震活動が活発な地域なのだということを再認識しながら道路の状況に注意してハンドルを握りました。

原ノ町から30分ほど南下すると、今回の春一の拠点の一つである浪江町に着きます。


浪江町に降り立った目的は3つ。


・美味しい海鮮丼を食べること
・道の駅なみえでお土産を買うこと
・浪江町立請戸小学校へ行くこと

美味しい海鮮丼とお土産を堪能してすっかり浪江町大好き人間になってしまった私は、高揚する気持ちのまま請戸小学校に足を運びました。
請戸小学校は浪江町の請戸(うけど)地区にあり、海から300mの場所に位置し津波の被害を受けた建物の一つです。
震災当時、100名弱の子供たちと先生がいたそうですが、全員避難し無事でした。現在は震災遺構としてその場所に残っています。

道の駅なみえから請戸小学校までは車で10分程度。
その道中、あまりにも整った更地と道が続き、本当にここで人々の暮らしがあったのか?と思うくらい、痛々しささえ感じさせない無機質な光景が広がっていました。
海の方へ車を走らせても立ちはだかる堤防で海は見えず、かなり先にあるはずの震災遺構の請戸小学校だけが無機質な道路を走る私の感情を動かす唯一の存在でした。

受付を済ませ中に入ると、子どもたちが課外活動や小学校で過ごす姿の写真が展示されていました。
請戸小学校に関する前知識は「避難して全員無事」ということくらいだったため「あぁ避難した先でこんな風に元気に過ごしているのだな」と思っていたのですが、その写真は震災前のものでした。
今から見る、津波に襲われた請戸小学校に通っていた子どもたちの暮らしや請戸のかつての姿を映したものでした。

展示室から一歩外に出ると、歩みを進めるのを躊躇ってしまうほど、津波の傷跡が生々しく残った校舎の光景が目に飛び込んできました。1階は教室や図工室、多目的ルームなどがあります。

校舎に一歩足を踏み入れると冷たい海風が吹き抜けたのを覚えています。
請戸小学校からは犠牲者が出なかったものの、恐らく請戸小学校まで流されこの場所から発見された人もいたと思います。
その証拠に、学校には存在しないであろう「くまのぬいぐるみ」が教室の隅にポツンと転がっているのを見た時は、さっき通ってきた無機質な道路の中に暮らしがあったのだと感じ、心に重くずっしりと来るものがありました。
感情の振れ幅が大きく、少し感情が動くだけで泣いてしまう私ですが、この場で泣いてしまうのはなんか違うと思い涙を堪えながら足を進めました。



破壊された教室を抜け外に出ると一本の小さな葉桜が立っていました。その桜は震災の後、アスファルトの割れ目から芽吹いたたくましい桜でした。その場所で人知れず頑張っていた桜は今まで見たどんな桜よりもかっこよかったです。

同時に、希望も感じました。

ももクロちゃんの曲「仮想ディストピア」にこんな歌詞があります。

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瓦礫の中からマシンをつくった
きみのそばへ まっすぐに旅するココロ
想いは伝わる、すばらしい装置
離れていても いつも 味方になれる
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瓦礫の中から芽吹いた桜が、ここで過ごしていた子どもたちにエールを送っているように見えたのです。
桜にも、子どもたちにも、町民にも。今、それぞれの場所に光が注いでいますようにと、私はその場で勝手に祈りました。




1階の展示の最後には「あなたにとっての大平山はどこですか?」という文字がありました。
大平山は子どもたちと先生が避難した、小学校から2キロ離れた山です。小学校までの道中、車で通ってきた場所だったので、恐らく子どもたちも同じようなルートを走ったのだと思います。
子どもの足で、しかもまだ余震が続く中、2キロ離れたあの場所まで必死に走って逃げたのです。軽々しい言葉かもしれないけど「本当によく頑張ったね」と心の中で呟きました。

そして2階へと足を進めます。津波の被害を受けなかった2階部分は展示室になっていました。

当時のまま残された黒板には自衛隊の方やここを訪れた卒業生が残した、請戸への激励の言葉が綴られていました。チョークで書かれたその文字は力強く、人の強さを感じました。

また当時、請戸小学校に通っていた子どもたちが震災から10年経った時に綴った作文が展示されていました。率直な感想として「この子たちはきっと大丈夫だな」と思いました。
震災当時の記憶や失ってしまった故郷に対して、辛い気持ち悲しい気持ちはもちろんあると思います。でもそれを全て飲み込んだ上で、今しっかりと自分の足で立っていて、未来を見据えて開拓しようとしている気がしました。
自分が経験したことを一ミリもかわいそうだなんて思っていないんだな、と。

私が目にした光景は、目を背けたくなるような痛々しい光景でしたが、今の請戸地区の中では何よりも心を動かされるものでした。こういった表現が正しいのかわかりませんが、暮らしや思い出の影も形もなくなった綺麗に整備された土地とは違い、まだ当時の面影が残る請戸小学校には希望や思い出も詰まっているなと感じたのです。


請戸小学校から出ると夕方が近づいていたため、次の目的地、ライブ会場であるJヴィレッジに向かいます。浪江町からJヴィレッジのある広野町までは車で40分ほど。国道6号線を道なりに真っ直ぐ進みます。

今回の春一は楢葉・広野・浪江の3町合同開催でしたが、浪江と広野の間には双葉・富岡・大熊という町もあります。それらの街を結ぶ国道6号線で目にした光景は現在進行形で続く震災の爪痕でした。震災というより、原発事故の影響を受けた街の今でした。

浪江町を出発するとすぐに「帰還困難区域」という黄色い看板が現れます。テレビやネットでその言葉を目にする機会はあり、それがどういうことなのか頭では理解していました。帰還困難区域に入ると、道路の両脇には震災当時のままの建物がいくつか残っていました。津波の被害でも地震の被害でもないであろう、明らかに劣化した建物が並んでいました。
一見すると普通の田舎道なのですが、量販店の看板は色あせ、草は生い茂り、恐らく人が住んでいた街なのだろうけど、時が止まっているのともまた違う。自然の時は動いているけど、人の時は止まったままと言いますか。
その時の感情は今思い出してもよくわかりません。ストレートに言うと、千と千尋の神隠しの冒頭で千尋と両親が足を踏み入れた人気のない街のような異様な雰囲気でした。

春一開催が発表された時から「なんで離れた町同士が3町合同なんだろう?間にある町は参加しないのかな?」と思っていましたが、その光景を見て察しました。初めて訪れた人間が何をわかったようなことを言っているんだと思われるかもしれませんが、今回6町合同ではなく3町合同だった理由を知ったような気がします。

恐らく今回の春一に関して、現地の人の中では賛否もあったと思います。まだ復興どころか人も立ち入れない場所があって、そんな場所で何がライブだ!という意見もあったはずです。それでも開催を強く願う地元の人たちや、ももクロちゃんたちの心意気、浪江を盛り上げようとしてくれた浪江女子発組合のみんな。一つでもピースが欠けていたら、ほんの少しでも誰かの想いが違う方向に向いていたら、今回の春一は実現しなかったと思います。

本当に本当に開催してくれてありがとう。という気持ちでいっぱいです。

今回は半日間、浜通りの今をこの目で見させてもらいました。その全てが現実で、今で、地元の皆さんが歩んできた道を表しているのだと思います。

私は度々思います。ももクロちゃんは嫌なことを忘れさせてくれるのではなく、現実と向き合わせてくれる人たちだ、と。現実と向き合った上で、それも踏まえた上で、今を生きる力をくれる人たちだと思っています。

「被災地だから。被災した人たちだから。」そんな目線でももクロちゃんはあの場所でライブをしたわけではないと思います。その土地がどんな場所であれ、その土地に住む人がどんな人生を歩んでいたとて、変わらずやることは同じ。目の前の人に笑顔を届ける。笑顔を届けるためには手段を厭わない。損得なんて二の次。

そんなももクロちゃんの心意気が大好きで、それに賛同するファンが同じように現地で楽しんでお金を落として、楽しみながら自然に盛り上げる。そんな春の一大事が私は大好きです。そして来年も続く春の一大事が今から楽しみでなりません。

最後になりましたが、ももクロちゃん。

福島に連れてきてくれてありがとう。
大好きだと、愛おしいと思える瞬間にたくさん出会わせてくれてありがとう。
特別な感情をいくつも抱かせてくれてありがとう。

「離れていてもいつも味方になれる」
いつもももクロちゃんが私たちの味方でいてくれるように、私もももクロちゃんの味方です。きっと私の周りの仲良しのモノノフさんも同じように思っていると思います。たくさんの笑顔と共に、これからも一緒にいろんな景色を見たいです。

どうぞこれからもよろしくね。