しかし、①絶対的な最低基準の制度が充実したこと②評価、報酬システムとして、年功序列から成果主義が認められていくにつれ、労働組合はその存在意義が薄れている。
つまり、賃金決定要素は、これまでの企業の業績上昇分を労組との交渉でどう分配し合うかを決定する仕組みが薄れたことを意味している。代わって、個人としてのエンプロイヤビリティー(つまるところ、俺は此の位の給料がないと転職するぞ)であったり、反対にある程度の能力を有する労働者を雇い入れるために必要な魅力的な賃金がどれほどなのか、という、より市場メカニズムに近い仕組みとなってきているのではないだろうか。
かくて、使用者対労働者の対立構図から、市場価値の高い労働者と、安値で買い叩かれる未熟練労働者の二極化へと様相は変わったのだと思う。
さて、これが果たして良いのか悪いのか。
①マクロの経済成長②個人のキャリアという二つの視点から考えてみる。
①について、まず企業の業績と労働者の賃金は、直接リンクしにくくなったと言える。市場価値の高い労働者は、より給料の高い企業へとグローバルに渡り歩くことで、その収入を安定的に得ることができよう。一方買い叩かれる非正規雇用の労働者は、いつでも最低基準の賃金だ。
これはつまり、景気と賃金がリンクしないということだ。雇用なき景気回復とはこうした雇用形態の多様化と賃金決定要素の変化によるものだ。これにより、賃金の下方硬直性は、最低賃金と個人の労働価値とに二分、上方硬直性もまた最低賃金と個人の労働価値に規定される。
今後の労働法制はどうあるべきなのか、このあたりを糸口に考えたい。
