人間1人ひとりの心の境界線突破への水先案内人、おがじゅんです。

最近、上地 優美さんのブログを読む事が多く、読むたびに気づかされることがあり、なおかつかつてのおがじゅんがずっと疑問に思っていた「生きる」上でのテーマでもあったことを思い起こされますね^ ^

そこで、今回はあなたの「価値」についてお伝えしたいと思います。

いきなり皆さんにお聞きしますが、「どうれオレなんて・・・」「どうせアタシは・・・」って口に出したことってありますか?

また、どんな相手・どんな場面でこれらの言葉が出て来たことがありますか?

さらに、このような言葉が出た時、あなたはどんな気持ちだったり、またはどんな想いがありましたか?

なぜこのような質問をしたのかというと、これらの言葉を発するのは何かしら特定の条件が揃った時に出てくるから。

そして、このような言葉の背後には、あなた自身が「自分自身をどう意味づけ・価値づけをしているのか」が現れるのが大きく関わっているから。

皆さんは自分自身を「価値ある」と思っているのか、それとも「価値なんかない!」と思っているのか、どちらでしょうか?
あるいはどちらの方が割合が高かったりしますか?

ちなみに、おがじゅん自身は90%の割合で「おがじゅん=無価値」と自ら判断・審判していました。

ではどんな条件の時にこのような判断・審判があったのかをみていきましょう。

・幼稚園から小学生では、周りが出来ている事がおがじゅんは出来なかったことに遭遇した時(しかも、その後他の人にバカにされたり、先生に怒られたりのトリプルパンチを食らいました・・・)

・他の子が中学受験で合格しておがじゅんが不合格だった時

・僕とほぼ同じ学力の人が実力通りの高校に進学した一方で、評定に泣かされておがじゅんは実力よりも1.5ランクから2ランク下の高校に進学するハメになった時

・大学時代、周りが彼女がいるのに対して、おがじゅんは全然出来なかったのを目の当たりにした時(しかもダメ押しで、「えっ、お前まだ童貞なん!?」とも言われたことも・・・)

・イギリス留学時に、他の学生は順調にシュタイナー学校の教師への道を歩いあるんだ一方で、おがじゅんは「あなたは不向きだから勧めない」と言われて断念せざるを得なかった時

共通して言えることは「必ず出来ている相手がいて、出来ている相手と出来ていないおがじゅんとの比較」をした時に、「おがじゅん=無価値・落ちこぼれ」と判断を下したのです。

その時の気持ちとして、出来なかったおがじゅん自身に対する怒り・悔しさと、出来ている人たちに対する嫉妬・恨み・復讐心、想いとしては「おがじゅん自身に失格の烙印を押したくなる」想いや「そんなことを絶対許さない、そんなことを認めてなるものか!!」という自分と他人に対する否定の想い、結果に対する拒否・拒絶がないまぜになるのです。

そして「これを覆し、お前らを追いつけないところまで越えてやる!!」という想いにもなるのです。
だから、何かと「一発逆転」を求めたくなるのです(-。-;

なぜならば、これが出来ることでおがじゅんの価値を劇的に高められると思い込み、さらに「おがじゅん=超価値ある」という感覚を味わいたかったから(笑)

そう、おがじゅんが常に相手と比較して、脳のクセで出来ていないところだけを取り、そして勝手に自分や相手に怒ったり、自分自身を呪って自ら好んで絶望したり、そんなアホすぎる1人芝居を自作自演してばかりな人生だったのです。

ここまでくるともはや、宇宙トップレベルのウッカリですよね〜(-。-;

でもね、Noh Jesu氏と観術との出会いのお陰で、そんな1人芝居に明確に終止符を打てたのです!!

だって、全てに共通する仕組み・存在の仕組みから観たら、無価値なおがじゅんも存在はしないし、ウルトラ価値のあるおがじゅんもそもそも存在しないし真実は全てをほんの一瞬で創ったり壊したりするウルトラスピードしかないし、おがじゅん自身もウルトラスピードそのものでしかないことが明確に認識出来て腑に落ちた時に、「おがじゅん=無価値」から脱出出来たのです╰(*´︶`*)╯

さらに、観点や認識のメカニズムもハッキリ理解した時に、「おがじゅん=無価値」も他人や社会の影響を受けて、そのように思わされていただけであり、しかもこれを決めつけたのもおがじゅん自身であるので、自分自身で決めたことはゼロ化も出来るし、さらにそこから自分のイメージやアイデンティティすらも自ら再規定出来る、そんな「自由」をも手にしたのです(๑>◡<๑)

このような変化を遂げたからこそ、おがじゅんは誰の個性も価値も活かさせる、そんな「違い」と「多様性」が美しく絡み合う、そんな尊厳溢れる時代をこの日本から創るのです!!

その為に人間1人ひとりが勝手に引いた「心の境界線」のゼロ化に導き、自分自身に対する観方の固定からも、他人や社会に対する観方の固定からも解放させ、悟った人間の量産とそんな人たちが集まれる「場」を実現させることから、同じ志を持った広島を始め全国の仲間と共にやるのです( ^ω^ )

全てが尊厳であり、全ての存在は何も無いところから観たら無条件で価値あるもの、これがアタリマエの時代は皆さん1人ひとりの認識の次元上昇にかかっているのです!!

なお、下は今回おがじゅんに気づきをプレゼントして下さった、上地 優美さんのブログです(^_^)
彼女が実際に自らカベを越えてきた、そんなプロセスが詰まっているので、心のカベを越える最初に大きな1歩に是非☆