私の小学生時代




なぜ、いじめられたのか


これから成長していくにつれ、起こることから考えれば1番穏やかで楽しい時期だったと思います。

が、やはりいじめられます。


私の格好は幼稚園時代から変わらず

・2つくくりを赤いゴムで(この時にはピンクのリボンもあった気がする)

・持ち物がだいたいピンク色


さらに滑舌が悪く、人見知りと内気な性格も災いしたと思います。



詳しくはこちらをご覧下さい↓


私の思い出せる中で最もいじめの原因となったのは大きい家でした。


大きい家といっても2世帯住宅なので大きく見えているだけで実際にはそこまでですが小学校低学年の世界に2世帯住宅という言葉は存在しません。


どんな風にいじめられたのか


ここからは私がどんな感じでいじめられたのか幼稚園時代と比較しながらご紹介します。


     

 物を壊される


これが1番多く、またダメージが大きかったように記憶しています。 

なぜダメージが大きいのかと言いますと親にばれるからです。

「いじめが酷くなってもいいからばれませんように」そんな風に思っていました。


壊されたものは


・パカパカ筆箱(小学校の入学準備の時に購入するあの筆箱です)


・下敷き (切られました)


・図工の作品


・自転車の車輪につける飾り(?)     

                などなど


特にパカパカ筆箱は入学準備のために母と一緒に買いにいったものだったのでとても悲しかったことを覚えています。


 ​具体的な悪口


持ち物にピンク色が多い=ぶりっ子

というのは幼稚園の時と変わらずその子たちにあるようでした。


「自分のこと可愛いと思ってる、気持ち悪い」

これは幼稚園の頃に言われていたので慣れていますが


滑舌が悪いこともぶりっ子の要素として含められ


「さっきのあの話し方本当気持ち悪い」


と言われたりしました。


 

​幼稚園との違い


まず、物を壊されることは幼稚園時代にはなかったことで何よりも大きなダメージでした。

母にばれたときの悲しい顔は今でも覚えています。



次に悪口の量と具体性についてです。小学生の悪口には例えが出てきます。


「さっきの話し方○○(滑舌の悪い芸能人など)みたい」


さらに悪口に対する同意を求められることでだんだん私への悪口の輪が広がっていきました。



​いじめの終わり


私が完全にいじめがなくなったと感じたのは小学校3年生の頃でした。

ここでは、なぜいじめが終わったのかについて紹介します。


 持ち物を変える


これまで私はピンク色の持ち物が多くぶりっ子としていじめられてきました。


ここまで読んで下さった方の中で「なぜ鵜飼の持ち物はピンク色ばっかりなんだろう?」と疑問に思われた方もいらっしゃると思います。


回答としましては母の意向です。

私が待望の子ども、しかも女の子だったことにより蝶よ花よ、とお姫様のように育てられました。

その母が選んだ物がピンク色だらけだった訳です。


そこから買い替える時には水色を選ぶことが多くなり、ぶりっ子と言われることも減っていきました。


 ​言語訓練病院


次に滑舌についてです。

こちらは両親共に気にしてか家でのトレーニング、そして子どもの言語訓練を行っている病院への通院ですぐに解消されました。


​平穏な小学校生活


小学3年生の頃にはいじめは収束し、友達もでき残りの小学校生活は平穏なものだったと記憶しています。

むしろ、楽しかった記憶しかないです。



 

次から波乱の中学生です。




今日の一冊


真昼なのに昏い部屋


江國香降 著