言葉遣いで運気は変わる

良くも悪くも

病気も快復へ向かうも悪化へ進むも

商売繁昌も

商売撤退へと向かうも

離婚も結婚も


言葉で運気が変化するのは

心理学の学者も

心理カウンセラーも

宗教家も

成功者も述べて来ていることです。


ただ、口をついて出た

言葉であっても

〈そんなことはあるわけない〉

と大脳、前頭葉がそう思っていると

なにも作用は現実的に起きないと思いますが、


合気道でも

居合道でもそうですが、

自分は上手くなっているはずだ

思えたら、どんどん上達していきます。


この意識は本当であれば

きちんとした結果がついてきます。

現実に起こって来ます。


難病〈特定疾患、血管の病気〉を卒業したのも

自分は病気ではもはやないと

そういう状況で生活していけたので

14年で直せました。

身体のどんな小さな部位も失わず‼️です。


しかし、

大勢の方は病気だという意識に取りつかれ

頭から離れないため

前に進みづらいんだと14年最後の頃は思った

次第です。


それと難病連なんかでは

〈一部分の、かたですが〉

病気を人と比べたりします。


私は、命を落とすけど、あなたは手足を切断

するだけじやない‼️

これは30年前に実際に言われたことです。


どうして、

病気に上下や色がついているのでしょう。

例えば、

車イスに乗っているかたでも

それが、普通だと思って生活しているかたも

いれば

自分だけはどうしてこんな目にあうのか?

なんて思って生活しているかたもいます。


病気は身体現象だけ

心までやむ必要はないとおもうんだけどと

そんなことも私の14年間に考えていたことです。


みんな比べたがりです。

比べても仕方がないのに


日本と韓国を比べたり

アメリカ合衆国と比べても

個人では仕方のないことと同じ根っこですね。


日本の社会は、

もともと

弱っている者をさりげなく

普通に助けたり(接することができたり)


ゴジラ-1.0にもあったでしょ、そういうシーン

あれが

本当の助けあいで、

昭和では当たり前レベルに見られた光景なんです。

いまがどうのという皮相の話しではないですが


こういうことが

なくなって、ギスギスが行きすぎると

@@ハラというものになります。


私が新卒で証券会社に入った頃は

どこでも

ブラックだらけでした。

セクハラだらけ

でもそんな、下品でもなかったと感じるのは


まだまだ、日本人の受け継がれてきた

よい気質が町や村全体に漂っていたからだと思います。


でも、

今の社会で、おきているニュースなど


下品

あさましい

ことだらけです。

この社会に慣れ、麻痺してしまうと

もう

昔の日本人が住む国ではなくなり

移民が進んで

人口の30%くらいだともう別の国になっています。

学者じゃないから適当なことを書いていますが、

たぶん、

私ら昭和の人間は、ただ見ているだけなのかも

しれません、個人としては。


武道も茶道も

やる気のある

日本人、外国人問わず

真っ直ぐに、自分の専門(道)へ

向き合って修練できる

人を少しでも残しておけばと


JMMAでも

合気道鴻心館、居合道刀一会でもやってい

るつもりです。