く堺市で古流居合道や合気道、時には空手道

太極拳を教えています。

平日は、和歌山県某市立中学校で理科を教える

非常勤講師をやっています。


私が指導しています

合気道などは

身体を鍛えるということが必須です。


ごくたまに、合気道では

鍛えなくてもいいという

話を聞くこともありますが

(そのどうしてかという、理は今日は書きませんが)

ところで

武道とは全く縁のないかたでも

人間である以上、身体を(程度は別としても)鍛えることは

健康で生活していく上で大事なことだと分かると思います。

野生動物なら話しは別ですが、


人間は

動物と違って、人間特有のココロがあります

そもそも認識という『頭とココロの』働きは

ホモサピエンス固有のものです。

ヒトは野生本能で統括されていないため

ある意味、野生動物よりしっかりしないと

堕落してしまいます。


運動(仕事、家事など)

怠けたりしますし、怠けることが出来てしまいます。


自分が動かなくても

生活がまわったりします。(社会性であるが故に)

それはともかく、


武道で身体を鍛えるとは、

健康上の理由ではなく、その武道に見合った

身体を創るという意味です。


合気道なら

受身を20~100本程度を一回の稽古で

でき、

めまいなどなく、何ともない身体の耐性が

要求されます。

(入門~初級クラスでは)


居合道であれば

刀や木剣での

素振りをしても肘など大丈夫です、という

身体能力から

正座の業を90分~120分やっていく

月日(毎日)を持っても

膝を痛めないなどの

基本的な人間体力が初級では要求されます。


その人の能力(体力)に

武道を合わせる

というコンセプトも当然ながらあります。


しかし、

本来の武道習得の過程は

武道自体の特性に身体能力を合わせての

修練となります。


話は大きくなりますが、

私たちの宇宙は、

ビッグバン理論の上に成り立っています。


宇宙はどういう状態から始まったのか?

これははっきり答えはでていないものの

『無』から始まったと考えられています。


無からというのは、なかなか

想像すらできませんが

しかし、もし宇宙が

何かから始まったとしたら

その何か(モノなのか、精神なのか?)は必ず

どうして生まれたのか、存在しているのかを

確かめなくてはなりませんね。


それが出来ないから

だから

宇宙は『無』から始まったとするコンセプトは

合理的だと言う、考えていくしか人類には

ないようです。


この宇宙の起源、答えは

出ないと思います。

不可知とまでは言えないかもしれませんが


宇宙の理屈は、おおよそ

物理法則で成り立っています

物質ありきの考えからですが、


私たちの地球と

身体の構造も

宇宙のなかの1要素ですから

私たちも物理法則に従って生命体として進化し

生きていると言えます。


さて、

武道に戻りますが、

武道にも始まりがあります。

現代の武道武術は、

人類誕生からの時間のながれ

発展過程から生まれてきたものです。


これは生生流転という

大きな運動のながれの結果です。

運動は、

変化という意味の哲学用語です。


宇宙の誕生~今日のながれは

一言でいえば『変化』です。


生生流転が当たり前に

時々刻々と起こると共に

その刹那は止まって見えている

そういう矛盾が宇宙の本質だと思います。

(学者ではないため、思惟レベルです)


また、武術武道に戻りますが、

宇宙の話から

運動の本質も『矛盾』だと言えるのです

これは、私が言ってるのではなく

学者達が証明、説明しています。


武術武道も400年前と現代では

大きく変わってきています。

嘗ては

命をかけた勝負の道であった武術武道から


人の道

となりました。

社会や国家の闘争は個人としての

規模をはるかに超越して

個人が集団のなかでの身体を用いた闘い

から

社会の移り変わり(産業革命以後)で

武器兵器は科学と共に進み続けボタンひとつで

終わらせる

そんな世の中になってしまいました。


そうなると

武道は必要なくなって役目を終えたのでしょうか。

それは

否です‼️

武道は止揚されて

世界中で人の道として続いています。