鷹番塚横穴群は、前回紹介した梨の木坂横穴群と座間駅を挟んで反対側にある横穴群です。というわけで前回に引き続き、飲み屋ならぬ横穴群をハシゴすることにしてみます。私はお酒が苦手なので、横穴群ハシゴのほうが満足度高しです付けまつげ(汗)。座間駅の東口を降りて、ロータリー正面にあるスーパー「Odakyu OX」の向かって右奥に進むやや広い車道に出て、しばらく道なりです。(この車道を500mほど進むと、突き当りに大きな公園とぶつかります。こちらが、星谷寺を取り上げた際に紹介した県立座間谷戸山公園です。星谷寺観音堂がもともとあった場所です。公園が大きすぎて、突き当たったときには公園かどうかすらわからなかったですが(汗)。突き当ったら右、県道42号線に沿って公園を左に眺めながら250mほど進みます。右折する道はいくつかありますが、県道と同じくらいの幅の道を右折。すぐまた同じくらいの幅の道を左折すると、目の前に団地がありその手前左側に小規模な公園があります。これが「遺跡公園」と名付けられた公園で、今回の目的地鷹番塚横穴群があります。座間駅からここまでは、だいたい徒歩15分です)

 

遺跡公園のまわりに広がる団地は、「東建座間ハイツ」です。東建座間ハイツは東京建物株式会社が事業主となって1977~79年にかけて建築した高層団地(1号棟から4号棟は地上14階建)で、6棟の住居棟と店舗棟からなり約2000人が暮らしています。敷地のなかには、テニスコートや運動場、緑道などの共有施設が整備されています。さらに裏手が広大な県立座間谷戸山公園なので、レクリエーションの場所にはまったく不自由なしですね。(こういった団地内の共有施設を生かして6月のレクリエーション大会、8月の盆踊り大会、9月の敬老会などのイベントが行われるほか、頻繁に住民の方同士の交流がはかられているんだとか風鈴こういった活動の中心になっているのが東建座間ハイツ自治会をはじめとする住民団体で、70年代あたりから全国で急速に開発が進んだニュータウンの住民活動として好事例の一つになっているようです。一人暮らしの高齢者の方も遠いところ(や近くても普段の動線から外れるところ)で行われるイベントだと参加もむずかしいかも知れませんが、団地のなかであれば参加しやすいでしょうし団地全体での高齢者見守りにもつながるのでしょう。私も集合住宅住まいですが、東建座間ハイツのように住民活動が上手く回るところまで持って行くのがまずむずかしいというのが実情なのかもですが・・・)

 

(東建座間ハイツ案内板。左下の濃い緑のスペースが遺跡公園です。東建座間ハイツは高台にありまわりに高い建物もほとんどないため、東にスカイツリー、南に大島、西に大山と丹沢が一望できるそうです。最上階からの眺めとかスゴそうですねチュー

 

では鷹番塚横穴群です。1968年東建座間ハイツの開発時に発見されました。横穴5基がみつかりましたが現在は1号墓と2号墓だけが残され、他は調査が完了した後で削平されてしまいました。当時は高度成長期まっただなか、経済が最優先の時代ですから、2基残っただけでも良しとしなければということかも知れません天使(まあ団地を建てるための調査ですから、よほどのものでも発見されるか反対運動とかで収拾つかなくならない限り「古代人のお墓みつかったから開発止めるわ」とはならないでしょうね。逆に団地を建てることになったからこそ存在が世に明らかになった部分もあるわけですが・・・。どちらにしても、埋葬された人からすれば「どーでもいーけど静かに寝かせてくれよ・・・」という思いしかないでしょう(汗))

 

遺跡公園は巨大な東建座間ハイツ1号棟の西、かなり小ぶりな5号棟、6号棟の東に挟まれた場所に位置し、大きさが異なる滑り台、鉄棒、うんていなどが一つになった複合遊具が置かれたスペースが道に沿って設けられています。そのスペースの一画に小さな階段があって、北側にある鷹番塚横穴群に降りていくことができます。(横穴群のあるスペースはこんもりと樹木に覆われていて、私が訪れたのが真夏だったんで涼しい木陰に心誘われたのですが、梨の木坂横穴群で蚊の大群に襲われたばかりでトラウマが残っていたので断念。ふつうなら横穴群をみにきたのが訪問の目的なんで「蚊ごとき何するものぞ。我往かん」となるはずなんですが、滑り台だけみてあっさりあきらめちゃうのが私の何とも言えない意気地のなさです(汗)。このあたりの地形は大きく言えば座間丘陵の一部で、西の相模川・鳩川が流れる低地帯、その東の星谷寺などのある河岸段丘のさらに東側の高台に位置します。後世の開発による変形はあるにせよ座間丘陵のなかは標高の高低差がかなり激しく、鷹番塚横穴群も周囲より5mほど低い小さな窪地にあります右下矢印古代の人たちは、この高低差を上手く利用して窪地の壁を掘り横穴を造ったということですね)

 

(複合遊具。だれもいない夕暮れ時の公園で滑り台を撮る男一人・・・通報されなくて良かったバスケ(汗))

 

(横穴群はこの先の窪地にありますが、蚊の軍勢が待ち構えているのは確定・・・門松

 

(窪地はかなり小さなもので、すぐ向こうに反対側の斜面がみえますブタネコ

 

鷹番塚横穴群1号墓は、梨の木坂横穴群と同じく羨門(開口部)のまわりに河原石がビッシリと積まれています。羨門は高さが0.8m、幅が0.65mあり、複合遊具の後ろにある説明板に掲載された1号墓羨門の写真をみると立派な造りであることがわかります。埋葬された人もその一族も鼻高々だったことでしょう?!梨の木坂1号墓ほどうず高く石が積まれているわけではありませんが、両側にも広範囲に石が積まれています。(ただ現在はかなり土に埋もれてしまっていて、羨門の上部0.2mほどが顔を覗かせているくらいです。横穴を埋めているのが土なので取り除くこと自体はそれほど手数もかからないのかなとも思いますが、人が入ってイタズラするから保護のためにわざと埋めてるとかなんでしょうか?!横穴の全長は7m、奥壁は高さ1.7m、幅2.13mで、奥壁の2m手前から奥の床面に高さ0.48mの段差が設けられています。この段差部分に遺体を安置したのでしょう。2号墓は全長が7m、奥壁が高さ1.87m、幅12.02mで床面には三段の段差(0.65m、0.24m、0.08m)が設けられています。看板には奥壁の幅12.02mと記載されていましたが、2.02mの誤植?!説明板には削平されてしまった3号墓、4号墓、5号墓の写真もあって、5号墓の羨門のまわりにも河原石が積まれていました。何号墓から何が、というのは良くわかりませんでしたが、武具(刀子)、土師器、人骨が出土しました。鷹番塚横穴群は梨の木坂横穴群、鈴鹿横穴群と違って座間市文化財には指定されていないようで、説明板にも「古代遺跡」とだけ記載されていました。だから梨の木坂のようにフェンスで囲ったりしていないのかも知れません。羨門の石積みがかなり立派で貴重な横穴だと思うので、いつか文化財指定されても不思議ではないと思いますニヤリ

 

(説明板)

 

(木だけ写ってる写真が多いですが、木が好きな人のブログではないです四角グリーン