※1年前に旅行した時の記事です。皆さん今は大変な時期ですから、旅行は控えましょう!!(2020年5月29日)

 

和泉浜遺跡は、元町市街地から海際を北に向かった地点に立地する遺跡です。これまでにA、B、C地点の調査が行われています。A、B地点は中世の遺跡で、B地点からは祭祀遺構と考えられる6基の積石が発見されました。「双孔儀鏡」という独特な鏡が出土したことでも知られます。(双孔儀鏡は名前の通り縁に2つの孔が穿たれた銅製の小さくて脆い鏡です。海を隔てた利島の阿豆佐和気命神社境内からは同じく中世のものと考えられる双孔儀鏡が40点近くと積石が出土しており、同様の時期に同様の祭祀が営まれていたことが分かります。伊豆諸島では中世から近世にかけて石神信仰が見られ、このような積石遺構が各地に残っています。和泉浜遺跡でもその流行!?に乗って石神さまに鏡を供えて祈りを捧げたようです合格

 

C地点は、時代をずっと遡る奈良時代7世紀後半の祭祀遺構とされます。短冊の形をした「金札」、「銀札」、須恵器の瓶、鉄刀などが出土し、祭祀のために用いられたと考えられています。金札、銀札は非常に珍しい出土品で、他の出土品と併せて國學院大學博物館に展示されていますかさ(C地点もB地点と同じく祭祀遺構ではありますが、その背景は大きく異なります。B地点で見られた祭祀は中世の民間信仰に関わるものですが、C地点はその出土品の内容などから国家的祭祀の痕が窺えるとされます。「日本書紀」には、天武天皇の治世の684年にそのヒントとなるような出来事があったという記述があります。その記述には、「大きな音が(当時の奈良の都から見て)東から聞こえて来た。ある人によると「伊豆嶋」の西と北で300余丈の土地が自然に増え新しい島になったそうだ」と書かれています。伊豆嶋としか書かれていないので伊豆諸島のどこかの島だということしか分かりませんが、この記述を大島最古の記録として捉え三原山が大噴火してその火山活動で島が出来たのだ、とする説があります。そしてその物証が和泉浜遺跡で営まれた国家的祭祀の痕だ、ということです。この記述の直前には同年に発生した「白鳳地震」のことが書かれています。白鳳地震はM8.4の南海トラフ巨大地震で、本州・四国南岸各地に残る記録や伝承の中で津波のため沿岸の土地が「海になった」と伝えられています。白鳳地震は東海・南海地震が同時に発生する「東西連動型」だったとされており、その影響で震源域に近い三原山が大噴火を起こしたことはあり得ます。白鳳地震は当時の日本の中心部に壊滅的被害をもたらした地震であり、相当なショックを受けた朝廷にとっては神の怒りを抑えることが急務だったと思われます。その一連の流れの中で、大島にも祭祀遺構を構築したことは十分考えられるのではないでしょうか)

 

(和泉浜の夕日。ここは西に向かって遮るものがないため、夕日の名所として知られます。静かな波の音と夕日ってこんなにも絵になるんですねウエディングケーキ

 

(和泉浜園地。和泉浜沿岸にある公園です。公園と言っても芝生と東屋があるだけですしっぽフリフリ夕日という主役が目の前にドンと構えてますからこれで十分、シンプルイズベストです)

 

(波打際。訪れたのは2月、強い季節風と高波が発生しやすい時期ですが、この日は奇跡的に凪いで最高の天気でした丸ブルー

 

(元町市街地から大島北西部に向かう沿岸は、「サンセットパームライン」というサイクリングコースになっています。名前の通りサンセットは文句なしに素晴らしかったのですが、パーム(ヤシの木)は気付かなかった・・・ダウン