円光院は真言宗豊山派の寺院で「南池山貫井寺」と称します。「南池山」というのはかつて寺院に南面して大きな池が水を湛えていたからです。現在の参道入口は目白通りに面します。「貫井寺」は土地の名前が貫井だったから。なかなかストレートな名付け方でございます・・・弘法大師霊場を巡る豊島霊場第十一番札所に指定されています。
(参道入口)
「新編武蔵風土記稿」によると円光院の草創は1585年に亡くなった円長法師です。円長は現在も埼玉県飯能市にある大鱗山の子聖権現を勧請したとされます。かつては境外に子権現社が設けられ、「貫井の権現さま」として近在の大きな信仰を集めました現在は本堂に移され十二年に一度子の年、子の月、子の日に開帳されます。
「新編武蔵風土記稿」は円長が子聖権現を勧請した経緯を次のように伝えます。円長が密教の修法に励んでいた時に激しい脚腰の痛みに襲われ、あらゆる治療を施しても痛みが治まらず困り果てていました。円長は七日間の断食とともに大鱗山の子聖権現を遥拝し続けました。するとある夜夢にお告げがあり霊石を得ました。(霊石で痛む脚腰をさすること三日、あら不思議、これまでの痛みが嘘のように治まりましたこれぞ子聖権現の霊験だっ、と感激した円長は円光院の堂宇を建てるとともに権現を勧請、霊石とともに子権現社に奉安しました)
江戸期を中心に子聖権現は大きな信仰を集めましたが、その名残として練馬区内各地には子聖権現への道筋を示す道標が残されていますまた、阿佐ヶ谷と中村橋を結ぶ中杉通りも子聖権現への道筋に当たることから、かつては「権現道」と呼ばれていました。子聖権現とともに信仰を集めたのが「東高野山」と呼ばれた高野台の長命寺です。(円光院の近くには、長命寺への道筋を示すために1799年に設けられた「貫井の東高野山道道標」が残されています)
参道を進むと朱色が鮮やかに映える山門が見えて来ます。脇には六地蔵を始めとする古いお地蔵さまや馬頭観音、庚申塔が並びます。ちなみに六地蔵も後述する六観音と同じく六道で苦しむ衆生を救う存在で、各道に「担当者」が割り当てられています。境外に地蔵堂があり1980年に修復再建されたそうですが、どこにあるのか分かりませんでした・・・(45年に戦災で焼失してしまった建物が再建されたそうです。円光院では本堂、観音堂など諸堂が戦災で焼失の憂き目に遭いました)
(参道から山門を望む。山門がなければ住宅地のフツーの道にしか見えません・・・)
(参道に咲いていた花。サルスベリ?)
(山門。神社の鳥居並みに朱色を主張しております)
(山門脇に並ぶお地蔵さまたち)
(六地蔵が二つの石材に別々に刻まれた「二石六地蔵」。1777年に寄進されました)
(不動明王像。溶岩を積み上げているのでしょうか、明王さまの迫力が増してる感じがします)
(弘法大師像)
山門を潜ると正面に本堂が見えます。本堂の向かって左手前に「ごんげんこづち」と刻まれた妙な形の石造物が・・・。この石造物は円長が夢のお告げで得た霊石が木槌の形をしていたことをモチーフにして造られました。円光院は知る人ぞ知る脚腰の病気に霊験新たかな寺院なのです。無事平癒した人は木槌を奉納してお礼をするそうです。(公共交通機関を使って円光院にアクセスする場合、西武池袋線中村橋駅が最寄り駅です。駅から中杉通りの商店街を抜けて徒歩10分程です。脚腰があまり強くない方にとっては結構大変ですので、練馬駅から西武バスに乗車し中村橋駅入口というバス停で降りた方が便利だと思います)
(本堂。2015年に改築したばかりでとても綺麗です)
(「ごんげんこづち」。個人的には「そば喰い地蔵尊」以来のインパクトです)
観音堂には十一面観音像が安置されています。近在の村人たちは馬が重要な役畜であったことから、十一面観音像を馬頭観音としても信仰しました。明治期になると毎年春に「馬頭の祭」が開かれ、馬飼いたちが集い「馬駈け」が行われたといいます。「馬駈け」は練馬四大祭りの一つに数えられ大いに賑わいました。(時代が変わり、近在に馬飼いがいなくなるとともに「馬駈け」も姿を消しました)
十一面観音像は「子ノ聖観世音」の名でも知られました。山門前には1810年に商人講中によって寄進された「子ノ聖観世音碑」が立ち、2001年には練馬区登録有形文化財となりました。気になるのは「十一面観音像が馬頭観音としても信仰」されたというところです。「観音経」では観音さまは三十三の姿に自在に変化すると説かれています。(その中でも衆生が生まれ変わりを繰り返す天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道で苦しむ衆生を救うために、各道に「担当者」として割り当てられたのが密教の六観音です。十一面観音は「修羅担当」、馬頭観音は「畜生担当」です。そういう意味でどちらも観音さまが変化した姿なので、「まあいいや」ということなんでしょうか・・・馬頭観音の像容が忿怒の形相を示すこともあり、本尊にするには他の六観音と比べてあまり人気がなかったとか)
(鐘楼の四隅に彫られた獅子。鐘楼は戦災での焼失を免れた数少ない建物だとか)