「仕事納め」となった今日、娘と一緒に映画を観賞した。相手をしてくれたのは前回(『カラダ探し』)と同様次女で、作品は『すずめの戸締り』だった。

 

 この『すずめの戸締り』には、劇中歌として河合奈保子の『けんかを止めて』が流れるということで、そのネタで以前ブログをしたためたことがあった。もっとも、新海監督作品には『君の名は』で興奮(感激)したものの、『天気の子』でいささか拍子抜けしたいきさつがあったので、当初本作は自分の中の観賞リストには入っていなかった。

 

 だが、某番組(本作を取り扱ったドキュメンタリー)で、この『すずめの戸締り』が東日本大震災を真正面に取り扱っていたことや、その番組の中で、本作を観賞した、実際に震災で妻(母)を失った父娘の、それぞれ異なる印象の感想を報じていたことがきっかけで、観賞しようと思い立った次第である。年間25本観賞した昨年と異なり、今年は1月からずっと「月1本」のペースでしか観賞していなかったが、今月は今週の頭に『月の満ち欠け』も観に行き、最後の最後で「月2本」の観賞と相成った。まあ、個人的な話だけどね(;^_^A

 

 

 本作は、東日本大震災で唯一の肉親であった母親を失った主人公の鈴芽が、叔母に引き取られ宮崎で第二の人生をスタートし、今では高校2年生に成長した、その日常から始まる。そんな彼女が、「閉じ師」と名乗る草太という大学生に出会ったことから、世にも奇妙な世界に巻き込まれていくわけなんだけど、家の近くにある廃墟にあった「要石」を鈴芽が不注意で抜いてしまったことから、日本のいたるところで自然災害という災厄が胎動し始めるという“最悪”の巻き込まれ方だった。それを防ぐのが「閉じ師」である草太の務めだったが、要石から変異した謎の猫の魔力によって、草太は鈴芽の母の形見である、脚が一本外れたままの手創りの子供椅子に憑依させられる。そこから、謎の猫を追って、また謎の猫が引き起こす災厄を未然に防ぐため、鈴芽と“椅子の草太”との日本列島を股にかけた珍道中が展開していくのである。

 

 この“歩く子供椅子”ってのが、地元広島を舞台にした46年前の反戦ファンタジー映画『ふたりのイーダ』に登場する“不思議な椅子”を連想させて、何とも言えぬ時代感、郷愁を感じさせた。ただ今の21世紀はSNSが全盛で、一風変わった風貌がら人気を博し「ダイジン」と呼ばれるようになった謎の猫の動向は、ツイッターやインスタグラムによってネット上に広まり、それを手掛かりに鈴芽と草太がそのダイジンを探す、っていう設定は、いかにも今風であり、災厄のきっかけとなる各地の廃墟が醸し出す昭和の残滓と、今の世相とが上手くマッチした、えも言われず絶妙なバランスを保った作品だった。昭和の残滓といえば、物語後半、草太の親友である芹沢の車に鈴芽らが乗って、一路東北を目指す際、芹沢のチョイスでカーステレオから流れる曲が「ルージュの伝言」「SWEET MEMORIES」「夢の中へ」「卒業(斉藤由貴)」「バレンタインキッス」と昭和歌謡ばかり。それも何気に歌詞がその時の展開とシンクロしている絶妙なチョイスがなされていて、件の「けんかを止めて」も、車内での気まずい雰囲気に合わせたかのように流れてくる(実は取り立てて「けんかを止めて」がドラマ世界に重要な役割を持っているわけではなかったが)。

 

 ダイジンを追って二人(厳密にいえば一人と一脚)が巡る場所は、愛媛(西日本豪雨災害)、神戸(阪神淡路大震災)、東京(関東大震災)、そして(おそらく)岩手(東日本大震災)と、全て自然災害で甚大な被害があった地域ばかりだ(西日本豪雨に関しては、広島や岡山の方が犠牲者の数も含め被害が甚大だったと思うんだけど……やはりロードムービー故、そのルートを考えて四国が選ばれたのだろうか……)。それらの地域でダイジンによって次々開かれていく「災厄の扉」を鈴芽と“椅子の草太”が命がけで閉じようとするのが物語の中心となっている。しかし、既にそれらの地域は前述のようにかつて災厄に見舞われ、多くの犠牲者を出した土地ばかりだ。なのに何故今更、との思いに駆られてしまう。「もう手遅れじゃないか」って。そこで思い当たったのが「鎮魂」という言葉だった。

 

 「扉」を閉じる過程で、2人はかつてその地で災厄が起こる前の人々(犠牲者)の当時の息遣いを感じ取る。そしてそれが「扉」を閉じる重要なプロセスだったりする。確かに、一度災厄に晒された土地で次なる災厄を食い止めたとしても、犠牲者たちが甦ってくるわけではない(そしてファンタジーとはいえそんな話ではない)。ただ、自然災害に晒される直前まで、それぞれの暮らし、それぞれの人生、それぞれの思いは息づいていたはずだ。それに思いを馳せることこそ「鎮魂」であり、敢えて自然災害被災地を舞台にした理由だったのではなかろうか。

 

 新海監督は、自作の編集作業中に東日本大震災を体験した。そのことが、その後の大ヒット作である『君の名は』(巨大隕石落下)『天気の子』(関東大水害)そして本作(数多の自然災害)といった、自然災害をテーマにした作品作りに反映しているのだと、ドキュメンタリー番組の中で語っていた。そして注目すべきは作品を重ねるごとにその描写は設定も含めリアルになっている点だ。今回、東日本大震災に作品として真正面に向き合うことに、葛藤もあったようだが、監督の「災害の記憶を風化させてはいけない、その思いを共有するには今しかない」との強い思いが、本作の制作に踏み出した原動力だったように思われる。そんな思いは作品世界から十二分に伝わってきた。ドキュメンタリー番組の中で、本作に対して互いに違う感想を持った、震災で家族を失った父娘のインタビュー(映像)を神妙な面持ちで見聞きしていた新海監督の姿も実に印象的だった。

 

 作品の雰囲気的には、『君の名は』のストーリー性と『天気の子』の独特の世界観が融合したような不思議な作品だった。エンディング曲の背景に流れる、鈴芽が宮崎に帰る道中で世話になった人々を訪ねて回るシーンは、実に「ジブリ」的でハッピーな気持ちにさせてくれた。個人的には『天気の子』よりは面白かったかな(「リトマス試験紙」!(;^_^A)。エンターテイメント性でいったらやはり未だ『君の名は』に軍配をあげざるを得ないけど………(ちなみに次女は本作を「一番よかった!」って言ってたな(;^_^A)。ただ、きっと新海監督の思いが一番色濃く出たのが本作品だったんじゃなかったかな。災害を描くのは、それに直面した被災者の思いを考えると複雑で、どうしても二の足を踏んでしまいがちだが、ファンタジーという形式ではあれ「世代を超えた”思いの共有”」を目指し敢えて制作に踏み切った新海監督の思いと意図は、本作からひしひしと伺える。何度も観返す価値のある作品だと思った。

 

 もう東日本大震災からもうすぐ12年、阪神淡路大震災に至っては、28年が経過しようとしている………