俺の年末年始は、20数年来の慣わしとして山に籠るのである。
ただでさえクソ寒い信州の山で、電気も水道も文明の利器と言えるものは何も無い原始人に等しい時間を過ごす。
ひたすら薪を集め、暖房を兼ねるキャンプサイトに設えた即席の竈の火を絶やさぬようにと、夜とて浅い眠りを繰り返し、朝を迎える。
誰もいない。何もない。
唯々、寒さに震えながら生きる日々である。
”テレビも 冷蔵庫も 新聞も来ない代わりに門限もないわ~ 自由って こんなものね♪”
と、ジャスラックにケンカを売るような文章を考えながら、霜焼けの鼻をかめば、青っ洟に血も滲んでる。
焚火の煙に燻されてダニやノミは駆虫されるだろうが、脂臭(やにくさ)さが、衣服から自分の内臓までも染み渡る。生きた燻製の出来上がりである。
とにかく寒い!。クソ寒い!。痛い!!。(身体が)動かない。寂しい。辛い・・・
そんな肉体的限界にまで追い詰められながら、俺の脳味噌はアニソン熱唱やら、架空の相手に熱い議論の弁舌(独り言)を展開していくのである。
「狙撃の理由」(ジョー・ゴアス:新潮文庫)にもあった。
独り言は、孤独に生きる者にとっては生きていく必然、だと。
(自問自答だったか? ま、いいさ)
どんなに大声をあげようが、泣こうが騒ごうが、誰もいない山の中である。
世俗を離れ、己の卑小さを嫌というほど身につまされ、それでも晴れ上がった冬の青空は、どこまでも澄み渡っている・・・
人恋しいと涙を流し、満腹の御馳走を夢に見る。凍えて満足に動かない手指に苛立ちながら、
愛して欲しいか?
そもそも愛とは何だ?
と、戯言に現実逃避する。
今、緊急の必要にして、解決しなければならないことは、火にかけた鍋に放り込むコンソメ・スープの素を包んだ銀紙を開くことである。
山を下りた下界での生活なら、決して味わうことなどない不自由、不器用さ!
ひゅうと風が吹く。
焚火にあたる前面は暖かくとも、背中は寒さに凍り付く。
毎年、こんな馬鹿げた年越しを経験しながら、俺は一体、どんなメリットを享受しているというのだ!?
年越しソバによる食物アレルギーで死ぬ、という無様な死に様から逃れられている。
この地球からソバが消滅しない限り、
俺の人生は生き地獄が続く・・・!