覚悟の夏 | yamaのブログ

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ひとの人生を辿ってみれば、

この世に生まれた赤子の頃。
穢れを知らず、あどけない幼児の頃。徐々に生意気が増してくる少年の頃。
将来への期待と不安に焦りを覚えだす思春期。モラトリアムを終え、社会へと踏み出す青年の頃。
理想と現実のギャップ、己れの実力を思い知らされる頃。日々の生活に追われ、しかし単調な繰り返しにウンザリする中年の頃。先の見えた人生に対して、若かりし頃の記憶に縋る初老期。子が親になり、孫も成人し、ひ孫の顔も見れそうな本格的な老年期。
瞼を上げ、息をする事さえ億劫なのに、燃え尽きる寸前の蝋燭のように得体の知れない発作的衝動に駆られるが、上げかけた腰を途中で戻すしかない終末期・・・
そして、永遠の無、死である。

苦労多くして、稔り少ないのが、自分の人生というもの。
何のために生れて、死んでいくのか?
幾多の先人が押し並べて哲かにしようと苦心してきたものの、これぞという答えには誰も達しえていない。
死の恐怖は、他人の死に目はまみえても、肝心な自分のそれを自覚できないことにある。死ぬ瞬間や死んだ後、どうなるのかが分からない。経験者たる死人は何も語ってくれない。無知なるが故の恐れは何より耐え難い。堂々巡りが繰り返される。
すべては時の流れがそうさせる。刻一刻、止まることも、弛むこともなく流れゆく時間とは、真に残酷である。

夏は、死の予感に満ちている。息詰まるほどの勢いで迫る草木の緑や短い生を懸命に謳う虫たち。命溢れる季節は、やがて訪れる秋の前触れでもある。自然の営み、季節の移ろいは巡り来るが、果たして人間の生に輪廻は有りや無しや?

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我が一族の7月の誕生日ラッシュを終えて、俺もまた一つ歳を重ねた。子供たちの成長は素直にうれしいが、老いていく親、伯父、伯母が不憫でならない。来年も全員揃って誕生日を祝いたいと思っているが、喪服の用意もしておくべきか・・・