趣味ではなく、自他共に称する絵描きです。
3歳の頃、初めて描いた絵は、競馬のポスターをなぞった物。
4~6歳、子供図鑑シリーズのイラストをページの余白に真似て描いてた。同様に、姉貴のノートに描いてあった「リカちゃん」だか「ベルばら」の似顔絵イラストに修正を加えていた。
(俺の方が上手かった。後に、マンガ描いてた頃も、初期は少女マンガだった・・・)
7歳~現在、当時中学生だった従兄弟の描いた絵が、県展に陳列されたのをきっかけに絵画展に連れて行かれる様になる。
俺はというと、作文では何度か賞状貰ったが、物心ついて以来30数年絵を描いているが、一向に目が出ず、現在に至る。
中学、高校時代は、同人誌ブームの真っ最中で、マンガにイラスト、小説を寄稿していたが、版権がうるさくなったので止めた。
一応、舞台美術の裏方もやってるんで、ポスターのレタリングやパンフを作ってるが、これだけじゃ値上がりしたタバコ銭くらいにしかならず、会場スタッフ(肉体労働)で時給を稼ぐ。
(弁当や飲み物が、バイト代とは別に提供される現場は、20世紀で絶滅した模様)
クルマが大っ嫌いな(乗り物全般だが)俺に回ってくる仕事は無い。
(広告も含めて・・・)
いい加減、クルマに頼った産業構造を改革しろや!
原発より性質が悪いだろう。自然破壊に環境汚染、現代病(公害)の元凶だぜ!?
さて、
俺の趣味は、銃とナイフなんだが、
(絵描きは、趣味じゃなく、本業・・・に、なれよ!)
長年愛読してきた「月刊Gun」誌が値上がりして、バックナンバーが古本屋に並ぶのを待つようになって久しい。
俺が銃に興味を持ち出したのは、絵を描き出したのと同じ頃である。銀玉鉄砲や水鉄砲、従兄弟の持ってたSS‐5000とか・・・
アクション映画に出てくる銃に魅せられた。
俺の初恋GUNは、「ブローニング・ハイパワー」だった。
アル・パチーノのセルピコ、原作小説版ランボーのティーズル署長、ジロン・アモス・・・
アーマンド・アサンテがマイク・ハマーを演じた「I the jury」のタイトル・バックは、ハイパワーが主役!
クリスチャン・ディオールのベルトは、今も持ってる。カフス・ボタンとベルト、タイ・ピンの3点セットは、成人式のプレゼントだった。
(ハイパワーは、出てくる割には本編ではちっとも活躍しない・・・)
俺の履歴書に書けない経歴に、短いながら軍隊経験がある。
(不名誉除隊に、国際指名手配食らったからね。ふざけやがって、クリントン氏ね!!!)
アフリカのとある国で、
「隣りのケニアもエチオピアもコーヒーの産地なんだろ!何でソ**アには、コーヒーが無いんだ!?」
(コーヒー豆の価格低迷で、政府までもがチャット栽培を奨励してたくらいだ。先進国の裕福な嫌煙家にジャンキーが多いのは、そのせいだ。アルコールよりモルヒネ、ニコチンよりヘロイン・コカインてか?)
ルワンダから脱出してきた戦争難民の隔離キャンプの警護をしていた時、俺の腰に吊り下がってたのが、B-HPだった。
インド洋を渡ってオイル・マネーでウハウハのアラビア大陸まで密入国させてやる、ってなインチキ闇船に頼ろうとする連中を押し留め、PKFだかPKOだと偉そうに侵略してくる国連軍を追い返し・・・
着剣するライフルのない銃剣とHPが俺の相棒。
技術支援と医療ボランティアの恭しい名目で海外に渡った当時の俺は、世間知らずのガキでしかなかった。
馬鹿なのは今も変わらない。
昨年、食うに困って銃を売り飛ばした。ハンティングは趣味(遊び)でなく、死活問題である。
雪に埋もれた灌木のショボイ枝先よりも、雪解けした平地に生えるフレッシュで柔らかな草が萌える春になって、獲物も移動した。
俺も移動しなきゃなるまい。
俺のスキル
・2秒で人が殺せる
・獲物の解体は、皮剥ぎも含めて半時間以内。
・博覧強記だが、肩書きは無い
・何度も死線をくぐり抜けた強運
・絵も描ける
レオナルド・ダ・ヴィンチの履歴書みたいだな。誰か、雇ってくれ!!