yamaのブログ

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こんなページでも寄ってらっしゃい

お盆である。

本来なら「暑い!、熱い!!」と大騒ぎする頃合いなのだが、生憎の大雨。

集中豪雨に見舞われた九州地方の方々、くれぐれもお大事に。

 

さて、1年ぶりのブログ更新である。

昨年の盆休みは入院していた。
今年は入院するほどでもなく、通院と自主的リハビリで過ごしている。

昨年末から求職中なんだが、一向に働き口が決まらない。

収入がないので、庭先で野菜を育てているのだが、虫に先を越されて食われてしまう。

しかし、殺虫剤などの農薬は使いたくないので葉物野菜は防虫ネットで覆うのだが、どこから入り込んだのか知れないが、小松菜など一晩で大半の葉が食い尽くされる。

ま、いいさ。野菜がダメなら、虫の方を食うまでだ。

 

そんな、こんなで俺の夏は過ぎ行く。

 

気が付けば、もう8月。早くも一年の3分の2が過ぎようとしている。
そして、前回の記事は一年前になる。
残念な事に、去年はヨタヨタだったが、今年(現在)は入院加療中。
2010年に入院して以来なので14年ぶりである。
(そう度々入院なんぞしてたまるか)

前回の入院はゴールデンウィーク。今回は、お盆休みとあって、先日、花火大会があった。
俺のいる病室の窓からはベスト・ポジションで観覧できたものの、臨場感に乏しいのは致し方ない。
何かと制約の多い入院生活だが、エアコンの壊れた自宅で過ごすよりは暑さから逃れられるぶんマシだと思いたい。

地震に台風にと天災イベントが目白押しだが、被害に遭われた方・未だの方いずれにおきましても、暑中お見舞い申し上げます。
くれぐれも、お体を大切に。

とにかく暑い、何もかもが熱い、滴る汗も鬱陶しい夏・真っ盛りである。

 

私事であるが、今年3月に7歳上の従兄が逝去し、俺自身も5月頃から体調が絶不調。意識は明瞭なぶん、身体の不自由さに苛立ちが募る。
長年の無理無茶が積もり積もった結果なので自業自得の面はあるが、58歳で物故した従兄の初盆を迎えるにつけ、俺も後始末を考えなきゃならん年齢に達したとの自覚はある。

 

 

もし俺の死後、遺品整理するとしても、日記や手紙とか赤っ恥晒しのアンタッチャブルな私物は、15年も前(2008年頃)に処分済みなので問題なし。
家具や衣類は処分すれば良い。物量にしても軽のワンボックスに余裕で収まるだろうから、クリーンセンターへの持ち込みは1回で済むだろう。
金品や借金の相続問題もない(はず…)。
ふうむ、今さら身辺整理なんか心配しなくても、とっくに終活完了してるじゃないか?
ま、いいさ。テメエが死んだ後の事なんて知ったこっちゃない。
酷暑の夏にして、極寒の懐事情が露わになっただけ。
つまらん恥晒してないで、布団でも干してやがれってか。

 

 


 

 

約2か月前、それまでも続いていた体調不良が堰を切ったように悪化した。歩行どころか自立さえ出来ない状態で、脳梗塞か脳内出血を疑って各種検査を受けたが、原因は不明。
発症の原因だが、5月中旬、大陸からの黄砂襲来で例年になくアレルギー性鼻炎が酷かった。くしゃみ、鼻水、鼻詰まり…。鼻のかみ過ぎで、鼻血は出るわ、鼻腔の粘膜はカサブタだらけで大変だった。・・・するってぇと「外傷性髄液瘻」による「脳脊髄液減少症」を疑うべきか。
長年にわたるクリーン・ルーム作業とコロナ禍のマスク着用で持病のアレルギーが、(免疫力の低下で)さらに過敏になってたのが根本的原因だろう。
しゃっくりで傷が開くくらいだから、くしゃみでも起きるだろう。だが、しかし、俺は医者じゃないんで断言は控える。
担当医3名+検査技師多数で原因不明なら、それが医療の限界ってヤツだ。ギックリ腰と同じで原因やら何やらを追及したって元には戻らない。なっちまったもんは仕方ないんで、そういう身体になっちまったんだと諦めて、さっさと今後のあり方を考えろって事だ。

 

 


 

 

さて、2か月間養生して、他人の身体を操ってるような遠い身体感覚と痺れっぱなしの指先だが、こうして何とかPCのキーボードを打てるくらいには回復した。
若気の至りで無茶してきたツケもあるし、年寄りらしくボチボチ様子見しながら過ごすとしよう。
どちら様も、くれぐれもご自愛召されますように。

 

 宇宙への憧れを抱く者は少なくない。しかし、そんな純真無垢な夢を打ち砕く最大の難関は、宇宙へ至る移動方法である
。  現在、我々人類が地上を離れ、宇宙空間へと旅立つ手段は唯一ロケットだけである。
 その現在唯一宇宙へ行ける手段であるロケットだが、ロケットの製造や打ち上げには莫大な費用と大勢の人員が動員されるが、安全や安定性が担保されていないこと、高価であるにも関わらず大半の機器が使い捨てであること、近年では環境に対する負荷の観点からも否定的な意見も出ている…等、数々の弱点がある。
 そんな多くの課題を克服してもなお現実的な到達点である国際宇宙ステーションISSでさえ、地上から約400km上空(最低高度278km、最高高度460km)でしかない。それも厳しい選抜試験をクリアし、訓練された極少数の選び抜かれた宇宙飛行士のみが行けるに過ぎない。

(宇宙飛行士でなくとも宇宙へ行った者はいるが、大富豪や実業家のように高額な費用を用意できた人物に限られる。 かかる費用の何十分の一の生涯賃金でしかない筆者のような貧乏人には高嶺の花でしかない)

 

 筆者も含め、人類の大半である凡人は、ただ見上げるしかない遥か天上の世界。
 もっと手軽に安価に、せめて今ある海外旅行程度の気軽さで宇宙へ上がる手段は無いのか?

 

 SF小説の世界では、かなり以前から『軌道エレベーター』というアイディアがあった。それを単なる空想で終わらせず、実現させようと研究を続けている科学者も存在する。

(現に、全米宇宙協会などは2031年の開通を目指し(当初の予定では2018年だった)、1メートル幅のカーボンナノチューブで出来たリボンを赤道上の海上プラットフォーム上から10万km上空まで伸ばすプロジェクトが進められている…はず。 米国の政治・経済的実情、新型コロナ、ロシア・ウクライナ紛争、月面到着プロジェクト…etc.、実現までの将来的予算が確保できるか否か? 再び延期するのか?)

 

 正直、彼らの描く良いとこ尽くめの軌道エレベーターのメリットには首を傾げざるを得ない。
 まず、エレベーター施設の建造についてだが、地上のプラットフォーム(駅)建設に最適な立地の確保についてである。

 

 軌道となるケーブルの設置場所は、遠心力の観点から赤道上にあることが望ましい。また長く重いケーブルを繋ぐ土台も頑丈かつ安定していることが求められる。
 ISSまでとしても約400kmのケーブルは想像を絶するサイズ(重量)である。そんなケーブルが万が一にも破断して落下してきたなら、係留している土台周辺は安全の為にも広大な緩衝地帯としなければならない。
 また、エレベーター施設を運営するには、強力な動力を生み出す発電所、ゴンドラをメンテナンスする為の施設も必要。宇宙へ上げる荷物を一時的に保管する倉庫や旅客を捌く窓口や待合室。
 宇宙へ行くことばかりに注目して忘れがちだが、長期間、無重量空間で過ごした人間のリハビリ施設も必要である。

 

(メガフロートを大洋上に建設するという案もあるようだが、数万人くらいが常駐・居住できる人工浮島となると資材や建造費は、いくらかかるんだろう?)

 

 このように地上のプラットフォームだけでも広大な面積を占領するはずである。さらには全人類にとって公益性のある施設なので、立地となる国家においては政治や経済が長期に亘って安定していなければならない。そして、テロや自然災害のリスクが無いことも要求される。

 

 次に、宇宙側のプラットフォーム建造について。
 赤道上・高度3万5786kmの静止軌道に設置するのが妥当である。
 当然だが、資材・建材のすべては地上からロケットで打ち上げることになる。
 地上施設程の強度や規模は必要ないとはいえ、微惑星(流れ星の原因)、スペースデブリ(宇宙ごみ)の衝突に余裕で耐えられる程度の強度は必要である。まして恒久的に運用される施設であるならば、保守の為の資材の保管場所や大勢の建設作業員の長期滞在を可能とする酸素、水や食料、医療、居住施設を打ち上げねばならない。これらが軌道エレベーター実用化最大のネックだと筆者は考えている。
 詳述すると、軌道エレベーターの経済性をメリットとする意見に対するアンチテーゼである。
 軌道エレベーター建造にかかる費用は、現状のロケット運用を下回るとは考えられず、莫大な資材や建材の調達によって引き起こされるであろう地上の自然破壊(鉱山開発と利権争い)・環境汚染も免れない。
 宇宙側のプラットフォーム建設では、施設完成までの作業員らの生命維持や長期滞在に難関が存在する。
 こちらは工期の延長など絶対に容認できず、生命維持に必要不可欠な資材搬送ロケットが打ち上げ失敗などしようものなら、宇宙側での作業員にとっては死刑宣告に等しい。逆に、宇宙空間で治療不可能な傷病患者を速やかに地上へ移送する手段は?

(次回に打ち上げ予定のロケット発射を前倒しするとしても何日かかるやら。それを見越して複数のロケットを予備として連続して打ち上げられる体制にするのか。数か月、数年分の予備を備蓄しておくのか? その予算は、どこから出る?)

 

 このように軌道エレベーターを一基建設するだけでも、得られるメリットよりデメリットを考えれば、決してバラ色の未来絵図だと両手を挙げて歓迎することはできない。
 さらにエレベーターが一基のみの存在で収まるはずがない。エレベーターを所有する国家が優位的立場にあり他国に対し覇権的態度を取らないとは確信できず、核開発の最悪シナリオにもある核ドミノのように軌道エレベーター・ドミノが生じるだろう。ましてエレベーターの保有や自力建設が不可能な国家や所属国家体制に不満を抱く極左・極右勢力がエレベーターの占拠や破壊行動(テロ)に出ないとも断言できない。
 自然災害やテロルや国家間紛争のような人災のみならず、エレベーター自体の不測の事態による故障や破損によって、宇宙に取り残された人員を救助・回収する体制も常時維持しなければならない。
 一刻の猶予もない救助の為のロケットを、いつでも発射可能な状態で維持するとなれば、現状のロケットより安上がりとは決して言えない。

(複数の軌道エレベーターがあれば補間できるじゃないかって? 複数のエレベーターが完成する前に自然破壊か資源・資金の枯渇によって人類は滅んでるさ)

 

 無から有は生じない。メリットとデメリットはコインの裏表である。
 宇宙へ上がるのに必要なエネルギーの総量は、ロケットであろうと軌道エレベーターであろうと同じ。メリットと同じだけのデメリットを抱えているのである。

 

 結論として、このように軌道エレベーターは、建造・建設段階でさえ否定要素が山積しているのに、「○○があったらこうなるだろう」と虫の良い結果だけを夢想したり喧伝するのはフィクションの世界だけに留めておいた方が無難であろう。

 


蛇足:

「軌道エレベーター」
(copyright ”yama_D-pro/2022”)

 広大な土漠、雲ひとつない紺碧の空を背景に地平線の彼方から覗く山脈。稜線の頂きから天に伸びるカーボンナノファイバー製のケーブル。
 見上げれば、灰黒色の耐熱セラミックで覆われたドーナツ状のゴンドラがゆっくりとケーブルを昇っていく。ゴンドラの周囲や底面の認識灯の明滅。空の彼方に溶けていくケーブル。
 プラットフォームは、山体を刳り抜いた山脈内部に作られ、乾いた平原と山脈とが交差する山麓には数十万枚にも及ぶ太陽光発電パネルが広がっている。トンネルを潜って内部に入れば巨大なバッテリータンクや整備工場、宇宙へ上げる荷物の倉庫や積み上げたコンテナがビルの群れのように立ち並ぶ…
 ゴンドラの与圧されたキャビン内では、宇宙旅行の初心者は期待と興奮に胸を弾ませ、旅慣れたビジネス・マンはタブレットで電子版経済ニュースに目を走らせたり、衛星経由のインターネットでオフィスとメールを交わす。
 そんなエコノミー、ビジネス・クラスとは一線を画するファースト・クラスのキャビンで寛ぐ資産階級は、広々した特別キャビンで高級レザ―張りのリクライニング・シートに身を委ね、同室のセレブ達と談笑を交えた手の内・腹の探り合いを繰り広げる…。地上を出発した軌道エレベーターは、2万7000km彼方の宇宙ステーション目指して平均時速200kmで約5日間をかけ、蒼穹の空を駆け上がって行くのであった。

 

 今回の記事を書いた発端は、官民どちらも「エネルギー保存の法則」すら理解していないのか?と、余りの無知ぶりに呆れたからである。これが戦後、国民の教育を牛耳った左翼どもの無能化政策の成果である。

 燃料、電気代の値上がり著しい昨今。以前にも書いたように、今は「戦時下である」そう思って腹を括ってしまえば、常時物不足の生活状況も苦になるまい。無い物ねだりと始終不平不満を吐き散らす己の醜態を恥じる心性を取り戻せるかもしれない。

 この辺りも参考にしてくれれば、俺の長ったらしい下手くそな文章を読むより、ためになるだろう。次いでに、俺の「左翼アレルギー」の理由も…
 SF小説は大好きなんだが、想像(イマジネーション)と妄想(デルージョン)は別物である。

 

 

 季節は、すっかり秋。

 毎度、神出鬼没のブログ更新だが、前から書いてるように俺の自宅にはネット環境が無い。ケータイもスマホも持たない主義なので…。
(拒否してる訳じゃないが、滅多に使う機会も無いのに毎月の維持する金が無い。老眼が絶賛進行中なので、スマホの小さい画面は天敵だ)

 さて、半年以上の間が開いた久々の更新の理由だが、近年使っていたネット喫茶がフィットネス・ジムに商売替えしてたり、新たなアクセス・ポイントを探す手間すらネット検索が使えないとままならなかったり。・・・バカでかいデスク・ノートPCを携えてフリーWifiを訪ね歩けってか?

 

 思い返せば、今年の新春正月の初夢で見た最悪な予知夢が実現してしまった。

 薄々気が付いていたが、俺の予知(感応)能力は、野性の本能的な『虫の知らせ』みたいなもので、悪い予感は的中する。

 

 宣戦布告なきロシア侵攻によるウクライナを取り巻く情勢は、他国においてもウクライナ支援を決定した時点で参戦したも同然。にも関わらず事を荒立てたくないがゆえか表面上は非難(経済制裁)に留めているが、それは既に世界大戦の開始と同義なのである。

 果たして、いつまで、そんな欺瞞が通じる事やら。あるいは、非難するだけで事態が解決するはずもない。

 2014年のクリミア(強制)併合の時でさえ、
「さすがプーチン。恐(おそ)ロシア~」
と面白がっていった者どもは、どう責任を取るつもりか?

 ま、いいさ。
 何にせよ、去年のように俺が絵描きの本分を差し置いて、物書きに精を出す時ってのは要注意である。なので、不特定多数に向けてのブログ更新が滞ってる時の方が世間様は安泰なのかも知れない。柄にもない事に精を出しても益は無いってか。

 

 所詮、知らぬが仏、とも言う。

 

 疫病神貧乏神だって神様のうち。粗末に扱えば罰が当たるぞ。人間どもよ、精々、俺を大事に祀っておくれ。

 

 くだらない冗談は置いておいて、季節の変わり目である。今年の冬は、ちょいと厳しくなりそうだから、どちら様も今からお気を付けて。

 

 例のコロナのお陰で自宅待機・外出自粛を食らっていた間、メンドーくさい文章も書いてる一方で、銃のイラストも描いてた。
 銃イラストは、pixivに投稿している。こっちの方がブログより閲覧数も反応も良いんだよな…

 ※俺の描いた銃イラスト 画像検索でメジャーなピストルの名称を打ち込めば、俺のイラストが必ずヒットする
(だから何?って…それくらいしか自慢が無いんだよ)

 2022年の時点でありながら、自宅にネット環境が無いってのは、暇潰しに難儀する。
(家人は別として、俺はスマホどころかガラケーすら持ってない)
 仕事先とか現場は、大抵、ネット環境が用意されてたので、自宅にまで引く必要が無かったってのもある。前にも、ちょいと書いたが、ここ10年くらいは裏方の仕事も、現場よりチラシやパンフ、ポスター作りがメインになっていた。
 昼夜どころか休日も無いデジタル漬けのDTP作業に嫌気が差すと、五輪特需の建設業や林業の手伝いで電気も水道も無い山奥の飯場を起点に山籠もりという極端な出稼ぎ生活に逃げていた事も自宅のデジタル・インフラが疎かになった理由である。
 東京五輪も終わり、イベント屋もコロナで壊滅。さて、今後は何をやって糊口をしのいで行こうか?
 YouTuberもレッド・オーシャンが目に見えているし、「選ばなきゃ仕事なんて、いくらでもある」と宣<のたま>う輩には、「お前さん、億近い借金と死にかけの老親抱えて、テメエが食ってく金だけじゃ足りないんだよ」という俺の状況を見ても、そう言えるのか?
(地方都市でも、コンサートひとつ飛べば~3千万の負債が出る。テメエの取り分にしか頭が回らないオバカさんに用は無い。損害保険も有るには有るが、世界中がコロナ禍の現状、保険会社が素直に払うとでも?)

 捨てる神しかいないのが人間の社会である。そう思ってた方が腹も立たん。自棄になったところで、馬鹿を見るのはテメエだけ。狡賢い悪党どもが喜ぶだけである。

 

 さて、pixivで思い出したが、小説も投稿してたんだった。勝手に「R-18」指定にされてるが、レイティングに有用性はあるのだろうか? ノイジー・マイノリティに配慮した結果だとすれば、本末転倒だろう。
 母親の股から生まれてきた以上、人間なんて排泄物の一種に過ぎない。それ自体がR指定だろう? 生意気な口きく糞が、お天道様の下を大手振って歩くなんざ、恥を知らないにも程がある。もっともらしい、キレイ事抜かす輩が一番汚い卑怯者ってのは、娑婆でのお約束である。
(全く罪作りな話だ。官能小説かと思えば大外れ。要らん期待させるんじゃないよ)
 廃れた場末ブログで悪言ブチ撒いてても、しょーもない。俺も悪党の仲間入りしようか。

 

「徳政令で借金帳消しにしてくれよ」「助成金くれよ」「生活保護よこせ」「権利をよこせ!尊重させろ!!」・・・
 万年野党の国会議員の皆様、我が社でステマ広告なりデモ動員なり何でも引き受けますので、是非ご一報ください。

 

 ……書いてて、何故か口が腐るような気がしたので、前言撤回。仕事と依頼人は選ばせてもらう。
 この冬、俺の地元も先週から、まとまった積雪に見舞われた。雪掻きに追われるのも悪くはない。
「雪掻き・1時間1千円、いかが?」
(待てよ、金取ると課税されて赤字になる。米か味噌か醤油、漬物でも良いや。現物支給のボランティアにしよう)

 

 

 このところ真面目ぶった話が続いたので、オカルトめいたトンデモ話をしたいと思う。

 縄文海進を知っているだろうか?
 去年あたりの記事でも触れたが、約1万2千年前にビュルム氷期が終わり、約6千5百~6千年前の温暖化によって融けた氷河が海に流れ込み、海水面の上昇がピークを迎えた頃とされている。

 広大な海面から蒸発した水蒸気が気温を保存し、温室(サウナ)状態となった当時の平均気温は、文字通り冬が無い常春、常夏の温暖な気候であった。
 それが約3千年前くらいから大気中の水蒸気量が増加し、飽和した時、水蒸気は結露して液体となる。低温の高空で水は氷結し雲となり、太陽光を反射、遮って地表は寒冷化した。
 分厚く成長した雲は高度が下がり、温度が上がる。そして融けた氷は凝集して水滴となり、雨となって地表に降り注ぐ。低温と日照不足で草木の枯れ果てた大地を容赦なく大洪水が洗い流した。
 これが古代の洪水伝説となった事は想像に難くない。地上を洗った雨は、やがて蒸発し、気化熱で周囲の熱を奪う。寒冷化していた気温は増々下がり、さながら氷河期の到来を思わせた。
 この時代、世界各地は荒ぶる気候変動に翻弄され、飢餓と飢饉、疫病も蔓延した。混乱は戦乱を生み、人心も荒廃した。
 紀元前7~5世紀くらいにかけて、荒廃し乱れた戦乱の世に新興宗教としてヒンドゥー教(バラモン教の変貌)、ジャイナ教仏教ユダヤ教(バビロン捕囚からの帰還後)と言った古代宗教が勃興した。この頃、ギリシア神話(#体系的記述)、インド神話といったメジャーな、今に伝わる各地の神話が概容を整えていった。
日本の皇紀も、神武の即位時期を西暦・紀元前660年(約2千7百年前)としている)

 さて、ざっと縄文海進から西暦元年くらいまでの気候変動からみた古代世界を踏まえたところで、本題に入る。
 これは、俺がマヤやインカといった中・南米の文明に興味を覚えた小ガキ生時代、気候変動と歴史の相関を考えた仮説である。


 まずはマヤ文明(先古典期、古典期)から。
 ユカタン半島にあったマヤ文明は、紀元前10世紀から紀元後10世紀(3千~1千年前)くらいまで繁栄と衰退を繰り返していた。
 最初期の文明の始まりの時期は不明だが、マヤの都市遺跡は今でこそ熱帯のジャングル地帯に位置するが、繁栄したであろう頃は周囲に迫る海と水路に浮かぶ水上都市だったのではなかろうか?
 車輪や鉄器を知らなかったとされる新大陸の文明だが、重量物の運搬には船や筏<いかだ>を使い、水路を行き来していたのなら荷車は不要だった。
(トラック輸送が主流となった現代では水上交通・輸送と聞いても、内陸の居住者や現在40歳以下の世代にはピンとこないかも知れないが、東京湾や大阪湾など大都市圏の沿岸は水運で成立していたと言っても良い。埋め立ての進む東京湾だが、1970年代までは京葉・京浜工業地帯や品川の倉庫街などには運河が縦横に走り、運搬船や艀<はしけ>が頻繁に行き交っていたものである)
 食糧生産についても、日本の沿岸漁村のように栽培農業は一部で、海から離れた内陸の丘陵や谷地でムギやキビといった穀類やウリやナス、果実を栽培し、主な第一次産業は猟漁業であったと考えられる。
 海水温の高い沿岸部なら、暖房に消費する木材資源は少なく済むので森林に依存せず、牧畜を営む訳でもないので耕作地も人間様の食べ物だけ作れば良かった。
 マヤ文明が繁栄の頂点に達した8世紀。繁栄の頂点は衰退の始まりとは、よく言ったもの。
 衰退し始めたのは、~9世紀(古典期後期)くらい。北半球の極地方が万年雪と氷河に覆われ極寒化し、メキシコ湾の温暖な海水が極地へ向かい始めた。
 熱の拡散により、赤道と極地との海水温度が平衡状態に近付き、それまで温暖湿潤であったメキシコ湾周辺の気候が亜熱帯、熱帯化し、雨季と乾季の二極に分かれ、陸地の浸食速度と沿岸の沖積速度が拮抗。次第に沿岸部が土砂で埋まっていき、海岸線が後退(陸地が拡大)していく。極地での氷河形成も進み、さらに海水面が下がって水上都市が維持できなくなったからだと推測する。
(この時期までをプレ・マヤ文明、古典期終末期から後古典期をポスト・マヤ文明と区別する説が、俺が興味を持った40年前にはあった)
 半島南北の平地・低地に繁栄したプレ・マヤは、沿岸の都市を放棄して離散し、グアテマラ高地など標高の高い地域がポスト・マヤとして残ったが、16世紀以降の植民地時代に完全に終焉を迎えた。

 プレ・マヤが衰退に向かっている頃、世界の他地域に目を向けると、欧州が中世の温暖期の後、小氷期に移る頃である。西欧ではキリスト教の浸透により教会勢力が拡大していく。また、寒冷化していくにつれゲルマン人の移動によって先住民国家は動揺に見舞われていた。
 この頃、日本でもヤマト王権による中央集権体制が強まり、古墳時代にイメージされる地方豪族による地方支配が弱まった時期にあたる。この時期から平安海進が中世(鎌倉時代)まで進行していく。
 西アジア(中東)でも、アラブの台頭によりイスラム教の萌芽を迎えていた。

 

 さてさて、続いて南米大陸に栄えたアンデス文明、その末期となったインカ帝国を見ていこう。
 インカ帝国は、主に現在ペルー、ボリビア、エクアドルとなっている地域にあった。
 縄文海進によって南米大陸の内陸低地は水没(海没)。標高の高い山地や山脈に逃れた住民たち(南米先住民を総称するケチュア族)は、水没を免れた高台や高地で暮らさざるをえなかった。アンデス山脈の高地・山岳地帯に王都を築いたのが、ケチュア族の一つであるインカ族である。
 南米大陸・西部を南北に貫くアンデス山脈という地形は、南太平洋を西から東へと流れるジェット気流に立ちはだかる障壁である。
 アンデス山脈を越えようとする湿った海風は雪や雨となって山頂を濡らす。山脈を越えた乾いた風は内陸(水没していた)に吹き下ろし、フェーン現象をもたらす。雨水とそれが溜まった湖が唯一命を繋ぐ水源であり、食糧生産を担う灌漑の源となった。
 一方、大陸内地に残った塩水湖(ボリビアのウユニ塩湖など)は干し上げられ、岩塩鉱床となった。
 氷河や海水の重しによって沈んでいた陸プレートは水が引いて軽くなり、反動として短期間で(地質学のスケールで言えば、数百~数千年は「一瞬」に等しい)急激に隆起していく。

 小高い丘陵程度であったアンデス東麓は標高2千メートルを超える山岳・高原となった。盆地は傾斜地となり、豊富な水量を誇った内陸湖も水かさを減らしていく。かつて山麓の水際近くにあったアンデス文明の都市群は山脈の高地に取り残されたが、水が引いた斜面や窪地は良く肥えた農地や岩塩、貴金属の鉱脈となった。
 他の地域と獣毛や貴金属の交換によって繁栄したインカ族だが、内陸湖の完全干上がりによって水上交通が途絶え、交易も衰退した。
(荷車の発明がなく、起伏の激しい地形ではリャマによる輸送力では貧弱であった)
 主な食糧であるイモ類やトウモロコシ、豆類などは土壌の栄養を根こそぎ搾取する。過剰な焼き畑農業・牧畜によって、農産物の収穫も減少していった。淡水の減少によって、塩害も深刻となった。
 インカ族は帝国を築き、周囲の王国を統率する事で延命を図った。しかし、それも長くは続かなかった。内陸部は乾燥化が止まらず、一方で大西洋岸側は熱帯植物からなる森林が拡大していった。猛スピードで農地を奪いながら広がっていく熱帯雨林との戦いは、熱帯雨林に付き物である赤痢・コレラ・マラリア…疫病との戦いでもあった。
 そして、15世紀。西欧は大航海時代に突入し、新大陸にも進出してきた。インカ帝国がスペイン人による侵略によって滅亡したのは、歴史の授業でも習ったであろう。

 

 この頃、我が日本は戦国時代、真っ只中。全国統一を目指し、群雄割拠の乱世であった。
 インドを始めとする南、東南アジアは西欧の侵略に抗い、あるいは屈して植民地化されていった。
 東アジアの多くを占める中国は、打ち続く飢饉により内乱を繰り返し、短期間で支配者がコロコロ変わり、新しい国名を覚える暇もなかった。
 小氷期という寒冷化気候が北半球を覆った事情が背景にあったと想像するに難くない。

 仮説の主旨は、地球規模での環境・気候変動が歴史を作る。というものである。
 俺の学生時代は、日本史と世界史は別物として扱い、並列して学ぶという発想は無かった。また、歴史年表を機械的に暗記するのみで、その歴史上の出来事の原因や背景についても、人間中心で、地学や気象学(理科)との連携はなかった。
(「歴史」は「社会科」、「理科」は「理科」と教科毎に専門特化した縦割り構造もある)
 ミクロな出来事に偏っていては、マクロの変化に目が届かない。視野とは、広くも狭くも自在でなければ役に立たない。という自論に行き着いたのである。


 上の仮説は、ユカタン半島が半ば水没した浮島状態であったとか、南米大陸の内陸部が広大な湖だったとか、前提にした根拠に証拠は無い。
 縄文海進の時期は、日本国内では凡そ確定しているが、地球規模での見解は、国際的なコンセンサスが得られていない。なので単なる想像の域を出ない。こういう信憑性の無い妄言を世間では「オカルト」と言うらしい。
 数百・数千年の短期間で大規模な地殻変動が起きるなんてのは、夢物語も良いところ。プレートテクトニクス理論でさえ、ここ半世紀でようやく認知され始めたに過ぎない。
 地震のように、大地がダイナミックに動くなんて信じられない。地動説でさえ信じられない(信じたくない?)という意見も未だに多い。世界には、日本人には日常茶飯事、お馴染みの地震でさえ、生涯未経験で過ごす者もいるのである。

 毎度長ったらしい説教じみた記事ばかりじゃあ、書いてる方もいい加減ウンザリなんで、今回は短めの軽い与太話にしようとしたんだが、例によって小論文のダイジェストみたいになってしまった。

 

 長くなったついでに、脱線話。

 

 これら歴史の変遷から見て取れるように、人間は自らの意思なりで歴史を築いてきたと思っているようだが、実際には地球に起きた変動に翻弄されてきたに過ぎない。
 先日のトンガの海底火山噴火で右往左往した御仁もあろう。火山噴火一つでさえ大騒ぎする程度の卑小な人間如きが、一方では自然破壊だ、環境汚染だと言い争っている。
 環境変動は、すべて人間様の仕業だとでも思い上がっているようだが、身の程知らずも大概にしてもらいたい。
 大気汚染物質の何パーセントか削減で戦争も辞さない駆け引きしている横で、必至こいて削減しようとしている人間が排出する数年分の二酸化炭素や有害ガスを、火山噴火は一度で撒き散らしているのだ。

 

 ま、だから排ガス規制なんて不要だ、と言うつもりは無い。

 

 俺が言いたいのは、現状維持がモア・ベターと考える姑息で小手先の環境対策より、生活スタイルや産業構造を根本から変える覚悟をしろという事だ。
 強すぎるクーラーに冷やされるからと真夏にカーディガン(冬の防寒着)を羽織るとか、冬は寒くて雪に閉ざされるような暖房費が嵩む北国に住み続けるとか。
 居住地や職場を一か所に限定せず、夏は北国、冬は南国で過ごせば良い。ひとつところに定住しなきゃならん、という法律は無い。
 常識だと思い込んでいた生活スタイルを、季節や状況に応じて変化させられる柔軟性(適応性)を持てば、多少は気楽に生きられる。
 それを否定するような社会の慣習や法律ならば廃止すれば良い。そもそも自然災害は、人間の都合なんて、お構いなしだ。
 革命ってのは、外に向かって起こすんじゃない。自分の中に起こすものなんだ。

 

 ふと、渡辺美里の「My Revolution」のタイトルが思い浮かんだ。1986年のヒット曲。もろ厨二病の中学2年生の頃じゃねえか!? 歳食っても頭ん中は厨二のまま、ってか…

 

 コロナの濃厚接触者との事で自宅待機中。だが、フリーランスに休業補償は無い……餓死しろってか?
 臨時特別給付金支給要件確認書も来たが、10万そこらの端た金で生活再建が出来るとでも?
 ・・・・・・ブツブツ
 前回記事の「上げ底問題」と同じだ。臭いものに蓋して解決した心算じゃあ、ダメなんだよ。根本的解決になってない。
 こんな状態では自暴自棄にもなろうってもの。
 ―――と、強引な導入だが、今回のお題は、このところ立て続く無差別かつ動機不明瞭な連続殺傷や放火事件について考えてみようと思う。
 事件そのものを扱う気はないので、野次馬は、お帰り願う。
(今回の記事タイトルの意味は最後に)


 無差別殺傷事件を起こした犯人の心情として、
「俺は悩んでるんだ、苦しんでるんだ!なのに誰も俺を庇ってくれない理解すらしてくれない。こんな世の中は間違ってる、腐ってる。だから道連れに、みんな〇んでしまえ!!」
とばかりに凶行に及ぶ馬鹿が後を絶たない。…というスタンスの報道が見受けられる。

 犯行動機である”理解されない”事に対する怒りや憎悪、あるいは満たされない欲求不満と他者に対する嫉妬が綯交<ないまぜ>になった分類不可能な感情が引き金になっている、とコメンテーターの社会心理学者は、さも在りなんの解説を披露するが、それで説明した心算<つもり>なのだろうか?
 分類不可能な感情とは、喜怒哀楽以外のどんな感情を指すのであろう?
 熱いとか冷たいとか、痛いとか痒いとか、既にある言葉を使うか、無ければ新造すれば良いのに学者自身のボキャブラリーの無さを白状しているだけで、観察対象の犯人を分析している訳ではなさそうだ。

 冒頭で掲げた科白にしたところで、犯人がそう言ったのでも、書き記したわけでもない。
 単に、報道記者の想像に過ぎない。「意味するところを汲み取って編集しただけ」と抜かすかもしれないが、そんな記者は記者失格である。

 

 医療の現場で、患者のCT画像なりレントゲン写真が、別の患者のそれに差し替えられていたとしたら、どうだろう?
「同じ症状の検査画像なんだから、他人のだって良いじゃないか」とでも言うのであろうか?
(事実を伝えるのが報道の役目。内容を吟味し、解釈するのは情報を受け取る側の責任である。取り上げている事象と無関係な事物を引き合いに出して論じるというのは、言うまでもなく詭弁であろう)

 

 

 関係者でもないクセにエラソーな事を抜かしてる点では俺も同罪であるが、真実の追及という冒険は、学者や報道のやる事ではない。では、誰がやるべきか?
 俺は絵描きだが、物書きもやるのでストーリーをデッチ上げる。事実の断片を繋ぎ合わせて想像力を働かせるのが、物書きの仕事。
(とは言え、90%くらいは取材と実体験による。知ったかでは説得力のある文章は書けない。ドブに落ちた人間の心情は、ドブに落ちてみなきゃあ実感も理解も出来ない。ま、木乃伊<みいら>取りが木乃伊になる前に潜入取材からは逃げ出すのがコツだ)

 


 以下は、冒頭の犯人の科白に対する反対尋問である。

  • 悩みを抱えてるのは、この世で、お前さん一人だけだとでも思っているのか?
  • 目の前にいる赤の他人には何一つ悩みも苦労も無く、唯々何も考えず無為に自堕落に生きてるとでも思っているのか? また、そう断定するに至る根拠を示せ。
  • そもそも自分の悩みを聞いてくれと言うが、お前は誰かの悩みを聞いてやった事はあるのか? テメエが与えもしない思い遣りってヤツを他人には一方的に要求するお前は、一体、何様の積りだ!?

 世の中や他人の言行に不平不満を抱えているのは、恐らく全ての人間がそうであろう。
 特定の誰かに与えられた被害に対し、復讐なり反撃するのは、ごく自然な反応だろうから議論の余地は無い。
 不特定多数、無関係な他者に対して身勝手な攻撃の牙を振りかざすという悪質な犯行の原因は、他者ではなく、犯人の内部にこそある。これも議論の余地は無いだろう。まともな人間は、安直に犯罪には走らない。否、走れない。

 

 米国や日本で特に繰り返される劇場型憎悪犯罪(ある狭い意味でのヘイト・クライム)の背景にあるのは、思想の自由・創作、表現する自由過剰なまでの肯定に起因すると俺は考えている。

 

 他人の自由や権利を否定し、また破壊する権利は誰にもなく、そのような自由も認められないという世界人権宣言の原理自体、肯定するのみで否定は許さないという矛盾を孕んでいる。
 明らかに間違った主張に対しても、否定する自由は認められないのだ。

多民族・多人種国家である米国の場合、「自由の保障」という大義名分が無ければ国家秩序が構築出来ない。

「法律を守れ。代わりに権利を与える」

権利を縛る法は無い。よって権利は法理を凌駕する。

 

 日本でも、犯罪者の権利は最大限に尊重するが、被害者の権利は建前・名目だけ。「間抜け、お人好しだから被害者になる」「騙す方も悪いが、騙される方だって悪い」。正直者は馬鹿を見る、典型的な功利主義的倫理観である。
 このように「駄目なものはダメ!」と言えない社会が真に自由であると言えるのか?
 一見もっともらしく聞こえようと、性善説に偏り、範囲を定めない曖昧模糊とした理念は、真に正しいとは言えない。

 

 

 俺如きが、いくら能書き垂れても中途半端に終わるだろうから、問題提起だけして結論は見送る。

 

 

 満たされない私怨から凶行に及び、不平不満の原因を社会や国家制度に転嫁する。
 このようなエキセントリックでセンセーショナルな事件報道は、マスコミを通じて模倣犯を誘発する。そのクセ、犯罪抑制に繋がらないのは過去の事例が示す通り。
 なので、この手の犯罪は無くならない。独り善がりな実行犯と、それを利用しようと企む勢力がある限り。
 よって、「戦う民主主義」のような積極的制限も盛り込む必要があると考える向きもある。

 

 皮肉な事に、このような事件は個人の自由が制限されている独裁国家では起こり得ない。事件を起こす以前に、体制批難を口にする事すら許されないからだ。

 

 すべては自由から発する。だが、過ぎたるは及ばざるが如し。
 行き過ぎた自由の行使は、負の連鎖を生む。
 例えるなら、下剋上である。
 ライバルを蹴落として自由万歳と唱えていたら、別の誰かに背後から刺し貫かれるのも、これまた自由の成せる業。

 

 昨今、自由という言葉が軽々しく乱用されていないか?
 自由と言うのは、何をしても良い、責任を取らなくても良いという免罪符ではない。
 今一度、自由とは何かを深く広く考え直す必要があるのではなかろうか?
 勿論、「面倒くさいから何も考えたくない」という自由も認めよう。その結果が、どうなっても知った事じゃないよな?

<こうして事件は繰り返される…>

 

 ……ふと思う。俺は一体、誰に向けて、このブログを書いているのだろう?
 叫べども、誰も応えず…。何処の誰とも知れない匿名の赤の他人に対して、わざわざ応える義務は無い。
 言論の自由。表現の自由…。ネットでの発言が過激化し、人を死に追いやる事すらある。
 SNSで発言している発信者の多くは、反応が無いがゆえに一層、独善的に、過激にとエスカレートしていく。
 また逆に、過剰な反応(悪意ある扇動)が攻撃性を煽り、増長させているのではなかろうか?
 そもそも『自由』って、何なんだろうか?

 


真の自由は、孤独の中にしかない。
いい加減、引き籠り生活にはウンザリだ。同じ籠るなら、山に籠りたい。
※健康観察7日間・外出自粛要請が出てる。

 

 記事タイトルの件だが、過去、俺が取り上げてきたネタやリンク先が関係あるのか無いのか知らんが、萎縮したり潰れていくのがチラホラ。まさか、俺って『サゲ〇ん』?