かに本家の社長のエネルギー | 【奇跡の祈りで世界平和へ】天宮玲桜公式ブログ Powered by Ameba

【奇跡の祈りで世界平和へ】天宮玲桜公式ブログ Powered by Ameba

✨著書6冊✨ 
♀️【女神塾】‍♀️【幸運が集まる女になる「女神」生活12ヶ月】王様文庫、‍♀️【女神暦】徳間書店、‍♀️【強運に生きる女神のたしなみ】かんき出版、‍♀️【運命の人に出会う女神の法則】大和書房、‍♀️【神様から手紙が届きました。】リンダパブリッシャーズ

 

 

 

 

 

 

 

すごい!

 

 

 

 

 

 

ホームページに載ってました。

 

 

 

 

 

情熱がすべて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【日置達郎 ひおきたつお】

中学卒業後、製材所勤務を経て、板前の道に。四日市や大阪、東京などで腕を磨き、1971(昭和46)年名古屋かに道楽、1974(昭和49)年札幌かに本家を設立し社長に。
両社の合併により2002(平成14)年から存続会社、札幌かに本家社長。

82歳。三重県津市出身。
筆者近影

人が遊んでいる間に働く

はじめに
食で救われ、食のご縁で知名を拝した。
今回、裸一貫から82歳までの人生回顧の機会をいただき心から喜んでいる。
三重県美杉村(現津市美杉町)に生まれ、幼少期から好奇心や探究心が旺盛な上、家事や野良仕事も進んで手伝う、自分で言うのもおかしいが、正義感の強い学級一の腕白少年だった。
小6の夏、家計を助けるためアイスキャンデーを売り歩いていた時に「腹膜炎」にかかったが、12人の大家族では入院はできなかった。
自然から得られる食材での「食餌療法」に望みをつないで闘病し、3カ月程で全快を果たした。

中学時代は牛での農耕、炭焼き、機械式麦こき機での作業などで、学校を休むこともしばしばあった。中学卒業後は近くの製材所に勤め、材木のことを学んだ。リフトもない時代、力仕事で心身を鍛えた。
18歳の春、食で救われた命を食でお返しすべく食の道を志し、「人の寝ている間に学び、遊んでいる間に働く」ことを決意した。家のことばかりさせて背広の一つも買ってやれずに…と泣き崩れる母と、手を離さない妹弟をなだめ、猫ほどの着替えの袋を一つ小脇に抱えての旅立ちだった。
3年間無休で通した四日市の店から始まり、東は東京、西は広島、神戸、松葉かにの本場・山陰の城崎と、商いを学びつつ板前修業を続けた。城崎「金波楼」の大阪支店勤務時代は、本格的なかに料理の創作により、不振だった小料理店の売り上げを、わずか3カ月間で10倍に伸ばしたこともあった。
また、大阪・道頓堀の最高立地を探し当て、今に続く「動くかに看板」も考案した。

修行中も親や実家を忘れず仕送りを続け、無学を補うため夜学で学び、建築設計の知識を得、さらに行商を通じて経営のあり方も体得した。
そして名古屋で独立。71年(昭和46)年に現在の札幌かに本家を設立して今に至っている。札幌かに本家の店舗は、ほとんどが自社物件で、各地のケヤキ、赤松、スギなどを私自身で購入・製材し、飛騨の匠の技で組み上げている。重厚で豪華な店の雰囲気が特徴だ。
現在、全国に14店舗を展開しているが、ここまで拡大できたのも社員と人や土地の縁に恵まれたお陰だと感謝している。