大学時代 東京の4年生大学に通う
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大学4年時に・・。祖母が急死・・。地元に帰る
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緊急事態宣言が出・・。地元に残る
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元々Uターン就職を考えてたので・・。地元で地域活性化の活動をする・・。
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その間東京のアパートの家賃を親が払い続ける
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町おこしのため企画書を提出しながら・・。ローソンの公式派遣として活動する その間家族で2度 仙台と島根に旅行へ
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新卒採用は知能検査みたいなテストにすべて落ち 東京の魅力に負け・・。大学卒業後・・・。上京
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パン工場のバイト・ローソンで1年食いつなぐ・・。
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プロ野球実況・Jリーグ実況に目覚め・・。今にいたる・・。
情熱のあった町おこしは・・。失敗に終わった・・。いや・・。地元までいく必要なかったし・・。家族とべったりする必要がなくなった・・。介護のことまで考えてたのに・・。まぁ・・。両親が年いっても・・。施設に入ってもらったらいいかな・・。
このコロナ禍の私の過ごし方のポイントはワーカーホリックというものにあると思う・・。
応募労働の世界・・。とにかく・・・。応募して・・。働いて・・。自分を追い込んできた・・・。
このまま・・。ニッポン放送のアナウンサーを目指す・・。いつか・・。芸能人らとスタジオで絡んでみたい・・。
日陰の人生はいやだ・・。
厳しい世間の中で・・。甘く育てた両親と祖父と祖母を恨んでしまう・・。でも・・。その中で這い上がっていかないといけない